11 幸運を呼ぶよう

「じゃあ、基本的なことから話そう。シリンドルってのは、我らがカル・ディアルの南端に接する小国で、〈峠〉を守っている」

「峠?」

「ラスカルト地方との境界たるザヘンデン山脈は険しいが、比較的、楽に渡れるところが一ヶ所だけあるんだ。それが」

 〈峠〉だ、とプルーグは左手で山のかたちを描き、右手でその間を通るような動きを見せながら言った。

「しかし、道が楽だからと言って誰でも簡単に渡れる訳じゃない。何でもそこには神様だか精霊だかが住んでいて、シリンドルの連中の言うことに従わないと、神様だか悪霊だかの怒りを買って難所を超える以上の危険な目に遭うんだとか」

「伝説か?」

「さあね。ただ、少なくともシリンドルは本当にある国だし、〈峠〉のふもとにあることも本当だ」

 プルーグの説明によれば、その国はコミンの町も属する西端のカル・ディアル国と、東方に隣接するアル・フェイル国の間に位置している。

 カル・ディアルもアル・フェイルも山脈に面する土地を領土としているが、南方のラスカルトと頻繁に交易が可能なのは、西に海を持つカル・ディアルだ。アル・フェイルはカル・ディアルを横断してまで海に出ようとはせず、必要であれば東に隣接するオル・アディルを少し通って山脈を迂回する方向に回る。長旅に余力のない小さな隊商や旅の商人などが、シリンドルの〈峠〉を使いたがる。

 アル・フェイルはほかの国と同じように滅多にラスカルト地方の街町と接触しないものの、何かの際には他国に知られることなく通過が可能になるというので、昔からシリンドルには便宜を図っている。シリンドルの独立には、つまり大国の後ろ盾があるのだ、というような話を情報屋は得意気に語った。

「――それで?」

 タイオスは続きを促した。しかしプルーグは肩をすくめる。

「これっぽっちの金で、どれだけ聞きほじろうって言うんだい?」

「いつもお前を使ってやってるだろうが」

「恩の押し売りはご免だよ」

 ふふん、と情報屋は笑った。

「俺は掛け売りなんざ、しないんだ。その場で払えない奴に洩らす情報はない」

「そう言うなよ」

 タイオスは猫なで声を出した。

「長いつき合いじゃないか」

「俺だって、話してやりたいのは山々なんだぜ、タイオス」

 プルーグは肩をすくめた。

「だが世の中、思うようにはいかん訳よ。俺もあんたも」

「金が全てか、〈痩せ猫〉」

「いいや、そんな冷淡な男にはなりたくないね。都合が悪いというのはつまり、俺にも時間が要るからさ」

 情報屋は笑う。

「時間をくれよ、旦那。お望みのことを何でも調べ上げてこよう。その代わり」

「その時間を使って、俺はお前に支払う金を用意すると」

「そうなりゃお互い、幸せだ」

「ああ、その通りだな」

 タイオスはうなずいた。

「だがプルーグ。俺は急いでる。何より緊急で知りたいことがある。次回には倍払う約束をするから」

「空手形には興味ないんだがねえ」

 プルーグは嘆息してみせたが、そのあとで口の端を上げる。

「仕方ない。ほかならぬタイオスの旦那の頼みだ。聞こうじゃないか」

「有難い」

 彼は片方の拳をもう片方の掌に打ちつけた。

 この〈痩せ猫〉は、貧弱な外見と裏腹に、なかなか有能だ。依頼したことは、いつもきっちりと調べ上げてくる。

 それはもちろん、タイオスが払いをケチらなかったからなのだが、そうした行為はこうした胡乱な職種の相手にも「信頼」となる。タイオスなら本当にあとで払うだろう、という判断をプルーグに起こさせるのは、実績があってこそだ。

「実は、ガキを捜してる」

「何だって?」

 シリンドル云々からいきなり人捜しの話となったことに、プルーグは目をしばたたいた。

「どうしてもそいつと、話をしたいんだ」

「へえ。どんな話……かは、俺には関係ないな」

 プルーグは尋ねかけたが、タイオスが睨んだので、すぐに引いた。

「どんなガキだ」

「十二か十三か十四か、それくらいだ。髪は黒で、ぼさぼさ頭。目は青く、身長はお前くらい。声は細かったが、腹を減らしてたせいかもしれん」

 子供の様子を思い出しながら、戦士は言った。

「昨日、昼過ぎに〈カンディアン広場〉の端っこでしゃがみ込んでた」

「ふむ」

 情報屋は情報を口のなかで繰り返すように、声を出さずにぶつぶつと呟いた。

「それから?」

「それだけだ」

「名前は?」

「知らん」

 アンエスカ、ではないかと思っているが、確証はない。

「どの辺りを根城にしてるかも?」

「知らん」

 彼は繰り返した。

「この町のガキじゃないかもしれん」

 それについてはほぼ確信しているものの、やはり確証はない。

「ははあ。そいつぁ難題だね、旦那」

「判ってる。だから、お前に頼むんだ」

「おべっかはいいよ」

 プルーグは手を振ったが、まんざらでもなさそうだった。

「ガキの件が最優先って訳だな。それから、シリンドル。シリンディンの騎士。……ふうん」

「何だ」

「いいや。成程ね、と思ったのさ」

「何がだ」

「いいや」

 情報屋は唇を歪めて肩をすくめた。

「何でもないとも」

「〈痩せ猫〉。お前」

 タイオスはぎろりと男を睨みつけた。

「知っていることがあるなら、言え」

「言うことを決めるのはこっちだよ」

 プルーグはそう返した。

「旦那に有用な情報は、きちんと渡す。俺を信じろよ」

「お前を?」

 タイオスは乾いた笑いを浮かべた。

「何だよ。信じてるから、俺を探して依頼してくれるんだろう」

「お前の能力を信じるのと、お前を信じるのは違う話だな」

「酷いことを言う」

 情報屋は嘆いたが、すぐに笑った。

「いいさ。俺とあんたのつながりは結局のところ、金だ。金と情報の等価交換。生憎なことに、美しい友情なんかじゃない」

「そういうことになるだろうな」

 タイオスは肩をすくめた。そういうこと、と繰り返してプルーグは席を立つ。

「それじゃ、半刻後に、またここで」

「半刻?」

 戦士は顔をしかめた。

「それっぱかしで、情報を集められるのか?」

「急いでんだろ?」

「確かにその通りだが」

「任せな。協力をしてやるとも」

 言いながら情報屋はひらひらと手を振った。

「名も知れないガキ。シリンディンの騎士。白鷲の護符が旦那に幸運を呼ぶよう、祈ってるよ」

「抜かせ」

 あれが幸運を呼んでくれるとはとても思えない。タイオスはうなって、プルーグを見送った。

 だが、そのあとである。

「……何か」

 引っかかった。

 〈痩せ猫〉はいつもと同じように軽口を叩き、支払いがどうこう言い、そしてタイオスの依頼を受けた。

 いくらかタイオスに落ち着きがないことを除いて、このやり取りにおかしいところはどこも――。

 焦げ茶の瞳を光らせて、タイオスは呟いた。がたんと立ち上がる。

「プルーグ! 俺は護符の話なんざ、一言も」

 彼は情報屋を追って店を飛び出した。

「待て、プルーグ!」

 びゅうう、と強い春風が吹く。タイオスは反射的に、顔の前に手をかざした。

 それが納まるか納まらないかの内に、戦士は右に左にと情報屋の姿を探したが、猫はとうに路地の奥に引っ込んでしまったと見えた。

(〈痩せ猫〉め)

(何を知っていやがるんだ)

 みゃあ、と本物の猫の鳴き声が聞こえた。だが無論そこに情報屋がいることもなく、タイオスは嘆息する。

 それから戦士は、適当な方角に足を向けた。

 半刻、明るい店内にいるのは気分が乗らなかった。

 休みたい気持ちは大いにあるが、まだ休んでいられるときではない。

 彼は無法者のように、身を潜められる影を探して歩いた。

 巧く立ち回れば今宵の内に全部解決すると、このときはまだ、タイオスはそう信じていた。

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