07 考えるのはよそう
ギシッときしむ音がした。
戦士の重い筋肉に、古い寝台が抗議をしたのだ。
その音を越えるほどの大きな嘆息が、タイオスの口から洩れた。
「何だったんだ、いったい」
さすがの彼ももう脚が動かないかと思うほどに、町を駆け回った。万一にも尾けられたらことだと思ったのだ。ヨアティアと呼ばれていた男については判らないが、ついていた剣士にはそれくらいの能力がありそうだった。
もういいだろうと言うところで、目についた宿屋に入った。いつもの〈霧桜屋〉まで行く気がしなかったのだ。
疲れたということもあれば、話の通じないあの男がヴォース・タイオスを探り当て、寝床にまで押しかけてこないとも限らないからだ。
白鷲。シリンディンの騎士。ハルディール王子。心当たりのないことが祭列のように賑やかしくやってきた。
ただし、心当たる部分もある。
この護符と、子供。
護符が自分のものだという意識はなかったものの、取られたという意識はあったようで、つい奪い返してきてしまった。
タイオスは改めて、その白い石を眺める。
上等なものだ、ということは装飾品に造詣が深くなくても判る。
鋭角に切り出された
細い飾り紐は、ヨアティアが引っ張ったときに切れたようだ。何となくタイオスはそれを結び直した。
(白鷲の護符、か)
どうしてか、あの子供はこの〈白鷲〉の護符を持っていた。ヨアティアの言葉から考えれば、シリンドル国とその王子の関係者だということになりそうだった。
(いや、単なる盗っ人だって可能性もあるが)
タイオスはそれを念頭においたが、王子と関わりのある者と考える方が違和感がなかった。
荒事に携わったことのないようなきれいな手。
物乞い
ではないと、哀れみを退けようとした台詞。
(まさかあれが王子様じゃあ、なかろうが)
(と言うことは)
(王子と……何と言っていたか)
(アンエスカ?)
それが子供の名前だろうか、と中年戦士は思った。
(ハルディールとアンエスカを仕留めるとか言っていたな)
(つまり……)
反乱でも起きたのだろうか。ヨアティアはその首謀者か、それに近いところにいる。王位継承者たるハルディール王子はどうにか逃亡を果たし、〈シリンディンの白鷲〉と落ち合う約束になっている。王子の連れはアンエスカ。〈白鷲〉はアンエスカを知っているが、王子のことは知らないかもしれない。
タイオスはつらつらと考え、うう、とうなった。
(考えても仕方ない)
(俺には、これっぽっちも関係ないことだ)
大事な護符であるのだとしても、勝手に人の腰帯にくくりつける方がどう考えたって悪い。
どういうつもりだったのか。
自分が護符を持っていれば奪われそうだから誰かに託したのか、とも考えたが、いくら飯をくれたからと言って、通りすがりの相手に大事なものを渡すだろうか。取り戻せる当てのあるはずもないのに。
いや、渡したのでもない。こっそりとつけたのだ。
あとで回収するつもりだった? 無茶な話だとは思うが、頭の悪い子供なのかもしれない。だいたい、タイオスが気づいてさっさと売り払っていたら、どうするのか。
(うん? いや、待てよ)
(少しおかしいな)
タイオスは身を起こし、寝台の上にあぐらをかくと考え直した。
(白鷲が護符を持っているんなら、あのガキが白鷲ってことになっちまう)
(だが、そんなはずはないだろう)
ヨアティアは二十年前に云々、という話をしていた。子供は多く見積もってみたところで十代の後半だった。
(あのヨアティアは勘違い野郎だし、護符は何かの象徴というだけで、持っているから白鷲だってことにはならないのかもしれん)
(……いや)
「いや、いやいや」
声に出して呟き、彼は首を振った。
(考えるのはよそう)
どうでもいい、関係のないことだ。タイオスはそう考えた。
予定通り、風呂に行って飯を食おう。ティエを抱こう。明日になれば、子供も王子も白鷲も、ヨアティアも剣士も、みんなこのコミンの町を離れてどこかに行っているに違いない。
何の根拠もなくタイオスはそう思った。そう思うことにした。
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