06 護符

「……は?」

 タイオスは目をしばたたいた。

「何の、アルスだと?」

「とぼけなくていい。この護符を所持している者が、〈シリンディンの白鷲〉ではなくて何だと言うのか」

 男が手にしていたのは、確かに護符のようなものだった。

 白い石――大理石オフェインだろうか。下に長い菱形をしたそれを台座に、銀の枠がついている。枠のなかには、瑪瑙ウリスらしきものが貼られ、何か絵柄が彫刻されている。

 若木と、鷲のように見えた。

「そんなものは、知らん」

 正直にタイオスは言った。

「初めて見る」

「これは、可笑しい」

 男はくっと笑った。

「見ることもなく、腰につけたと?」

「訳の判らんことを言うな。俺はそんなものを」

 渋面を作ってタイオスは言いかけ、はっとなった。

 ――腰。

 つい先ほどのことだ。

 飢えた子供が彼を引き止めるように掴んだのは、右腰の後ろでは、なかったか。

「つまらない言い訳はやめたようだな」

 タイオスが言葉をとめると、男はひとつうなずいた。

「シリンディンの騎士コーレスたちのなかでも、とびきりの伝説たる白鷲ハールス。二十年前に現れた男の正体は、誰も知らない。どんな名剣士かと思っていたが、こんな薄汚れた男とは」

「風呂も浴びる前だ。汚くても仕方ない」

 むっとしてタイオスは応じた。

「だが、何の話だかさっぱり判らんことには変わりない」

 判らない。知らない。何も。

 あの子供が、その護符を彼の腰帯にくくりつけたことはほぼ間違いない。

(だとしても、白鷲?)

(何のことだか、さっぱり……)

 混乱をした頭のなかに、ふっと何かがよぎった。

「シリンディンの、騎士と言ったか?」

 どこかで、聞いたことがあるような気がする。物語師トラントの語る、冒険譚だったろうか。

 それはどこかの小国に仕える優秀な騎士団で、礼節、名誉を重んじ、敵にすら敬意を表するとか。

 絵空事だ、実際の戦闘では名誉もクソもあるもんか、と戦士仲間と笑い飛ばしたことを思い出した。

「冗談、だろ……」

 作りごとではなかったのか。

 だがそれにしたって、白鷲などは聞いたことがない。

「お前が求められていること、隠しおおせるとでも思ったのか。白鷲は鋭敏な男だと言われているが、何のことはない、平和な日々に鈍ったか」

「だから、俺はそんなものじゃないと」

 彼はうなるように主張したが、相手はかまわなかった。

「ハルディール王子はどこにいる」

「な、何だと?」

 聞き慣れない名前に、タイオスは目をしばたたいた。

「お前の役目は、ハルディールを保護することだろう」

 男の目がぎらりと光った。

「闇に乗じて、繰り返し逃げられた。ハルディールとアンエスカさえ仕留めればこちらの勝利は安泰だと言うのに、すばしこい」

「し、知らん、知らん」

 彼はぶんぶんと首を振った。

「王子様なんぞに知り合いはいない。白鷲も白鷺も白兎も知らん。その護符は何かの間違い」

「戯けたことを言うな!」

 男が怒鳴った。

「ルー=フィン」

 その視線がわずかに、タイオスを逸れた。かと思うと、背中の剣に力が込められる。いまのは銀髪緑眼の若い剣士の名前だったのだろう、と戦士は理解する。タイオスをもっと脅せ、或いはそれ以上――という指示だ。

 タイオスは、額に脂汗がにじみ出るのを感じた。愛用の胸当ては彼の肩と首と心臓を守るが、その下から突き刺されれば何の役にも立たない。

「白鷲は、シリンドルを離れて長い。成程、お前は王子の顔を知らないのだな。それ故、護符を外に見せ、王子の方から見つけるように仕向けていたのだ。と言うことは、アンエスカはハルディールの近くにいない……」

「待ってくれ」

 タイオスは慌てた。

「俺の反応から何を読み取ったつもりなのか知らんが、勘違いだ。的外れ。大外れもいいところ。俺はただの、隊商の護衛をして生きてるな戦士で」

 自分で言うのは自尊心に関わるところだが、本当のことだ。

「騎士なんて立派なもんじゃない!」

 腹に力を込めて、怒鳴った。唾でも飛んだと見えて、男は身を引き、顔を拭った。

(いまだ)

 タイオスは思い切り前方に一歩を踏み出し、男の手から護符を奪った。何か深いことを考えた訳でもなく、取られたものを取り返そうというだけの、反射的な行為だった。そのまま彼は男の肩を掴むと、やはりほとんど反射的に、力ずくで後方へと投げ飛ばした。

「――ヨアティア様!」

 ルー=フィンと呼ばれた剣士が男を支えたようなのをちらりと見るにとどめ、タイオスは〈尻を蹴られたケルクのごとく〉走り出した。

(白鷲? シリンディン?)

(王子だって?――冗談じゃない)

(俺には、関係、ない!)

 小道を出て、大通りを数街区越えても、タイオスは全力で走り続けた。

 嫌な汗が、あとからあとから額を流れ落ちた。

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