11)544 M.C.
事態の安定を待っていたので、フォルセティの正式な葬儀は翌年のはじめまで随分ずれ込んだ。ヴィダはそれには参列しなかった。国葬など似合わないように思えたのだ。フォルセティにも、そして自分にも。
比較的暖かなこの国では腐敗も速く進むため、遺体は葬儀そのものを待たずに火葬されていた。それは身内の者だけ――具体的にはイザークと、彼と特に親交のあった同僚数名、それとヴィダ――だけが見守り、シューレ寮の裏手で行われた。
身よりのなかったフォルセティの埋葬後の供養は、他の無縁者と同様サプレマに委ねられるのだろう。彼の一番の友人だったという先代サプレマの、まだ十歳程度のはずの娘。
あのときの少女だ。
フォルセティは生後まもなく王室に引き取られてから、イザークの監護下シューレに移り、そして卒業を迎え士官として世に出るまで、王宮の堀の外に出たことはほとんどなかったという。
「普通の家族」を知らずに大人になった彼が、ヴィダを短期間とは言え引き取って共に暮らしていた間に何を思っていたかは分からない。しかしそれでもその目は冷たいものではなかっただろう? とイザークは笑った。
ヴィダは返事をしなかった。できなかった。
フォルセティには組織の中ではそれなりの肩書きは与えられていたものの、その任務はほぼ副長に任せていたというのが実態である。実際、それを見越した組織編成がなされていた。
彼はそれをヴィダに漏らすことはなかったが、単独行動の多そうな、というのは薄々感じられていたことだった。それは表面だけみれば、組織の中では腹立たしいほどに無責任に見えたのだが。
議会の反体制派を探り、それに迎合する軍部の内情を探り、議会に影響を与えているアドラをはじめとした他国の情勢と動向とを探り。全てをひとりで。ただそれは今ある国の姿を、そして国王を守るためだ。
しかし国王イスタエフの崩御は、少なくとも分かっている限りではそうしたきな臭い問題とは無関係な理由でだったし、王妃アルファンネルは今も結局行方は知れていない。フォルセティが守りきった王族は、王女デュートだけだった。
その王女は国の決まりに則り、十七歳になるまで即位ができない。今この国にはそれで、国王がいなかった。
あと六年、王位の空白時代はどう過ぎていくのだろうか。ヴィダは舞い上がる灰を見上げて考えた。
人が死ぬというのは、こういうことなのだ。彼が生前残した全ての繋がり。その糸の先を突然放り投げて、旅立つ。あとに残された人は、その切れ端を握って見送るしかできない。
自分の身を守るためだったとは言え、ヴィダの殺したふたりにもそういう糸が沢山あったのだろう。その糸の先を握っていた人たちに、きっと自分は絶望を与えた。この手で。
火葬が済んで寮に戻り、ヴィダはいつもの自分の部屋でベッドに座ってしばらく俯いていたが、思い出したように立ち上がると椅子をひっくり返した。
座面の裏、誰かの落書きの跡がある。
「ハナクソなんかつけてねーよ、バカ」
彼はひとり、いつまでも笑った。
けれど嗚咽は隠せなかった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ヴィダはしばらく講義を無断で欠席した。それどころか彼は食堂から保存の効きそうな食材を数日分かっぱらってくると、それを持ち込んで部屋から出なくなった。教官の催促にも耳を貸さない。何かへの抗議の籠城かとも思われたが、彼はなにも要求しなかった。ただ終日、椅子の上で、ベッドの上で、ひたすら握っては離すの動作を繰り返し、何かを思い出そうとしているようだった。
人の命を奪うということ。その重み。
人の命を預かるということ。その重み。
そして「生かされる」ことの重みも。
それから彼は、まるでなにもなかったかのような顔で事務局にひょっこり現れた。「退学届がほしいんですけど」と彼が言うので、シューレの運営部はすっかり彼が退学の意思を固めたのだと考え、その事実は直ちにイザークにも伝えられた。
老人は珍しく焦った様子で寮の部屋を訪ねて来たが、ヴィダはその老人を、机に足を上げるという何とも無作法な格好(それまでの彼にしてみれば考えられなかったことだ。少なくとも、他人の前では)のまま、迎えた。
扉を開けた老人が見たヴィダは、白紙のままの用紙をつまみ上げ、そこに印刷された文字とにらみ合っているところだった。彼は開かれた扉の方に目をやると、なんの深刻さもない顔で「どうしたんですか」などと聞きながら、手元の紙をふたつに折り、真ん中から破って落としてみせた。その片方は彼の膝に止まり、もう片方は床の上を、老人の足元まで滑っていった。
老人は、くつくつと笑いながら腰をかがめ、その紙を拾った。
「紙を粗末にしてはならんよ」
「これきりにします」
「そうしてくれ、わしの身がもたん。それで、どうするのだね」
膝の上の紙を拾い、その手で耳の後ろを掻きながら、ヴィダは机から足を下ろし、立ち上がるとイザークのほうを向き直った。
「残ろうと思います」
「ここ数日の所業はだいぶマイナスになっているぞ」
「承知の上です。取り戻します」
楽勝です、とヴィダは不敵に笑う。それに一瞬、同じような笑みを返した老人は、頭を振り、ため息をついた。とても楽しそうなため息を。
「もうわしのことは奴と同じように呼ぶがいいよ。それから堅苦しいのも、なしだ」
「わかった。イ爺」
ヴィダは翌日からシューレの通常講義に戻った。
誰とでも朗らかに話し、そうでありながら誰とも同じだけの距離を置く彼の態度は大きくは変化はなかった。しかし同期の数名は、手合わせ後の彼の対応に少しの変化を見て取った。
それは勝敗にかかわらず相手を認める目だ。そしてその技術を、美点佳処を、貪欲に吸収しようとする目。
座学でさらさらと導き出していた「正解」もまた、変わった。それまでは所定の時間の四分の一は残してなんの迷いもなく組み立てていた戦略は、必ずしも「勝利」を導かないものになった。
その回答の真意を問うた教官に彼は答えた。
我々は死なせないために存在している、と。
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