7)543 M.C. I
年が明け、しばらくして。
シューレが本格的に稼働を始める直前を見計らったかのように、フォルセティはひょっこり現れた。それも夜に幾分くたびれた旅装で、シューレ寮ヴィダの部屋に直接。背中の荷物の中で畳まれた軍装が音を立てていた。
中庭からガラスを叩いて、ベッドの前就寝の準備を整えていたヴィダを振り向かせ、「よう」と敬礼するように手を挙げながら、彼は相変わらず軽いことこの上ない挨拶をした。もちろんヴィダは答えなかったが、彼は気にせず外側から器用に窓を開けて部屋に侵入した。
「相変わらずここは建て付け
「何しに来たんだよ。お前が行くべきところはここじゃないだろ」
「まあ。つれないご挨拶」
勝手知ったるとでも言うように部屋を見回しもせずつかつかと進み、フォルセティは迷いなく椅子を引くと、背もたれを前にして腰掛けた。だらしなく前に垂らした両腕の先。軍装の時にはグローブに隠れて見えない筋と血管の浮いた手の甲はそう大きくもないのに、彼の指は随分長く見えた。いつだったか、父の手に似ていると思ったその手。あるいは細ったのだろうか。
「怒ってんね」
彼は頭を掻くと椅子の底に手をやり、うわぁと呟いてその手を離した。
「なんだよ」
「いや、こういう所よくハナクソついてるでしょ。汚ねーったら、あぶねー」
さすがに二十年は残ってないかなあと笑いながら座面をつまむように椅子を動かした彼に、ヴィダはほとほと呆れた顔でため息をつきながらベッドに腰掛けた。
「だからなあ。お前は一体何をしに来たんだよ」
「お? 通報するか?」
「わかった。されたいんだな」
「待って待って。せめて俺の言い訳を聞いてからにしてくれ」
それから彼は随分長い「言い訳」を始めた。
言い訳と言いながら、内容は彼の行政論に始まり、軍人のあり方からナイトの任務に至るまで。彼がそうした話をするのはヴィダには虫酸が走るほどのものだったはずが、意外にその内容は理にかなったもので、話しぶりもわかりやすい。思想としてはごくごく中庸かつ理性的で、彼は耳を傾けざるを得なかった。
「……と、思うのですね、俺は。もともと
「うん」
「そして俺としてはね、専守防衛という以上力はもとの勢力圏外にまで向かってしまえばそれはもはや自衛とは言えないわけだけれども。内側になら幾らでも向かっていいものなのだよ。いわゆる自浄作用」
内に、と肩をすくめたヴィダはベッドの上で、朝彼が抜け出たままの形だった布団を脇に押しのけ、マットの中ほどまでずれて脚を上げた。
腰を落ち着けて聞くつもりであるらしいと察し、フォルセティはにまと笑った。この男はこれで話を聞かせるのは上手いのだ。共同生活をしていた頃からずっと、彼の話には一貫性と説得力があった。そういう面に限っては少年も彼を認めていた。だからこそいい加減すぎる行動との落差にげんなりもしていたのだが。
「とはいえ内に向かいすぎて自身が癌化しちゃ元も子もないんだけど。あくまで『防衛』である以上、俺たちにできる……じゃない。していいのはすでにできてる癌だけをきれいに切除するところまで。正常な細胞はちゃんと残しておく必要がある。じゃないと国全体に患部が広がっちゃったりするからね」
「中が腐ってるとでも? 遠回しな言い方をするな」
いらつきを隠さないヴィダを前に、フォルセティはああもうわかったよ、と頭を掻いた。そして。
「したがって俺は俺の判断で軍の上層部を裏切る」
これで? と笑ったフォルセティはあまりにあっけらかんとしていて、ヴィダは最早腹を立てる気力すらなかった。彼は
「俺にはお前のことが理解できない」
「嘘つくなよ。初めから理解する気もなかったでしょうが」
「分かってるんならいい。もう少ししたら通報してやるから、その前に早く出て行け」
冷たいね、と苦笑したフォルセティは椅子を引き、背もたれを跨ぐように片足を上げると入って来た窓の方に向かいながら、ああそうだ、と呟くと振り返った。
「質問があるなら答えてあげよう。最後の機会かもしれないしな」
「どういう意味だよ」
「言った通り」
早く早く、と口元に手をやり急かす彼にヴィダは先日の捜索の時尋ねられたことをそのまま本人に訊いた。
「病室で捨てた紙は何だったんだ」
「あれぁ恋文だよ。滅茶苦茶に熱烈で答えざるを得なかった」
「……どこに行ってた」
「その恋文が指定した先」
大きなため息をつき、ヴィダは行けとばかりに手を振った。フォルセティはそれを確認すると、じゃあなと笑って窓枠を軽い身のこなしで越え、闇に消えていった。
彼は軽い口調で答えながらも手ではこう示したのだ。『陛下からの』手紙、そして旅は『アドラへ』――何度も侵攻を繰り返す隣国へ、と。
彼が裏切ると明言した軍の上層部。
そこに何があるのか、ヴィダにはまだ分からなかった。
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フォルセティという名も、グリトニルという姓も、いずれも当時のユーレ国王イスタエフ・シュナベルとその妻アルファンネルが便宜的に――とは言え直々に、つけたものだ。
彼の本名は未だに分からない。あったかどうかすら定かではなかった。
その年の暮れ、授かったナイト位も板に付き始めた三十代のイザーク=ジーガ・チェンバレンは、夜半に赤ん坊が泣いているのを勤務帰りの王宮正門前で見つけた。
男児はとりあえず王宮で預かられることになった。それをきっかけに作られることになるとは言え、当時まだこの国にはそうした子供を引き取る施設がなかったからだ。そこで彼は未だ子供のなかった(実際彼らが子を儲けたのはかなり後になってからだ)国王夫妻に随分可愛がられて育った。
彼にとってはふたりが両親のようなものだったのかもしれない。当然普通の家族のように毎日顔を合わせることや食事を共にすることはできなかったが、夫妻は暇をみつけてはフォルセティを呼んだし、彼もまた夫妻をこの上なく敬愛していた。
しかし日増しに大きくなる少年をいつまでも、国王ともあろうものが贔屓目にしていることはできなかった。仮に彼が未だ子のない国王夫妻の正式な養子になってしまえば、彼は王位の継承権を得ることになる。一応平均的な国民の外見ではあったが、捨て子で素性の分からない彼がそうした立場に立つことを歓迎しない有力者は多かったし、彼らの言葉は、養子にするしないを論じる以前から徐々に国王の耳にも届くようになっていた。だから彼らの不満を収め平穏を保つため、フォルセティは十歳になるとシューレに移された。
彼を見つけたイザークが後見人として少年の成長を見守った。やんちゃっぷりはうまく生かせば十分利用価値がある。彼の予測は見事に当たり、少年フォルセティは実技では抜群の成績を修めた。ところが。
頭が悪いわけではなかったが、彼は興味のない学問には一切見向きもしなかった。そのため知識分野の成績は一部を除けば散々で、度々イザークは彼を小突いたが変わらなかった。
そこでそのナイトは強攻策に出たのだ。彼は少年をよりによって国王イスタエフに「ろくでもない訓練生」として突き合わせた。謁見は五年ぶりだった。
その場でどういった言葉が交わされたのかは分からない。イザークは国王の指示で席を外さざるを得なかった。
しかし部屋を出てきた少年は、「僕は陛下を守るナイトになる」と、ただでさえ音の響く王宮の玄関ホールで絶叫し、その日から猛然と勉強を始めた。
今から二十年ほど前のこと、フォルセティがちょうど現在のヴィダと同じ年齢だったときの話だ。
それから十五年と少し。彼は宣言通り、「忠誠」のナイトとして叙勲を受けた。
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