6)542 M.C. II

 その後まもなく、フォルセティは何の前置きもせずヴィダの後見人を辞任した。

 彼が何を考えてそういう行動に出たかはわからない。しかしいくら彼を頼りにも、また信用もしていなかったとは言え、何の説明もなく唐突に行われたその辞任劇はヴィダにもそれなりにショックを与える出来事だったようで、ことの次第を問い質そうと彼はフォルセティを探したが見つけることはできなかった。もう病室には別人が入っていたし、かと言って戦線に戻るようにとの辞令が出た様子も、もちろん自発的に戻った様子もなく、自宅にも長らく人の入った気配はなかった。

 自分の無愛想(あるいはそれは我侭ないし甘えと呼んでも良かったのだろう。大人から見ればだが)を棚に上げ、ヴィダはよく喋る彼が重要なことは何もかも話してくれるはずだと思い込み、それに身内でもないのに奇妙な自信すら持っていたことに気がついた。

 だが彼はそれ以上反省も後悔もしなかった。フォルセティの言動を多少なりとも知っている今、あの男が列騎されているのは紛れもない事実とは言え、それはヴィダの納得できるものではなかったからだ。

 何よりヴィダは、浮ついた彼をどこかで見下していた。少年は曖昧な自我と、なるべき「大人」の像を、なによりもだんだん薄れていく父の姿を、フォルセティと比較してでもなんとか保たなければならなかったから。


 フォルセティが消えた後、ヴィダはイザークの監護下に入った。十八になるまでは全寮制であっても保護者が必要だったからだ。その制度はシューレを自己意思で抜けるものも多かったので、そうした場合やその他の問題が起きたときのためというのが主だった。

 その頃シューレ内、ヴィダの同期生はちょうど最低限必須とされる八年の教育期間の半分にさしかかったところで、それぞれの訓練生について教官が会議を経、今後の進路を決定する時期だった。その場で不向きとされれば、本人がどれだけ望んでも以後シューレに残ることはできない。士官養成所である以上、士官になれる資質の明らかに足りない者を預かっておくことは経費、人材、時間あらゆるものの無駄でしかないからだ。

 しかし逆にそこで高評価を得れば、卒業後の昇進についても今後の四年を評価の対象に算入してもらえる。つまり軍人となった後の昇格が四年以上早まることにもなり得るので、野心に燃える訓練生はそれまでの成績をいかに上げるか相当腐心はしていたようだった。成績のために彼らは思いつく限りの根回しをし、またその根回しすらも評価の対象だった。

 そんな中、裏工作をした様子のないヴィダの純粋な成績の優秀さはある意味で目を引くもので、教官らの間では彼には飛び級の話すら持ち上がった。後見人となったイザークから明確に反対の意が表明されていたために実現こそしなかったものの、彼の名前はとにかくシューレ運営部のリストでは有望株として、常に上位三名の中には引っかかっていたし、それは軍の機関部にも申し送られていた。

 年齢上のハンディキャップが逆に高く評価されていた面もあったのだろう。彼の名前の後ろに付記された生年には、いつも赤で印がつけられていた。


 いわゆる優等生の立場をずっと維持していたにもかかわらず、相変わらずヴィダは訓練生の間では依然、「普通」の気持ちのよい少年だった。

 彼が不機嫌な顔をしていたのはフォルセティの前でだけで、シューレに戻れば彼は誰に対しても寛容で明るかったし、評判の悪い訓練生にも態度を変えることはなかった。虫の居所の悪い様子を見せたためしもないし、かと言って特定のグループと馴れ合うこともしない。正しくないと彼が思えば容赦なく突き放し、まれにつけられる因縁も非常にあっさりかわし、そのさばき方は鮮やかさすら感じるほどだ。

 年齢の割に背が伸びて、侮られにくかったのもあるのだろう。そういう訳で、周囲の少年の中で最年少だったにもかかわらず、彼の周りにはいつも彼を頼りに人が群がっていた。それは数字の上では一種のカリスマ性だとか、指揮をすべきものの資質という見られ方をしていたようだったが――本当は、違った。


 彼には関心がなかったのだ。

 誰が離れ誰が付こうと、それどころか誰が生き誰が死のうと、彼にとってはどれもこれもが他人事で、興味がなかった。何もかもが自分とは違う世界の、守ってくれる人のいるものたちが暮らす世界の出来事でしかなかった。だから、そんな世界の住人である他人がどれだけ馴れ馴れしくしてこようと、またそれにどれだけ丁寧な返事をしようと。彼にとって自分以外で気に留めることと言えば、自分のせいで独りになったあの少女のことだけで、それも彼はなるべく考えないようにしていた。罪悪感は感じても、だから何ができるという訳ではない。

 周りにどれだけ人がいようと、そしてそれが「仲間」に見えるものであろうと――彼自身の感覚では、彼はいつもひとりだった。そしてそれでいいと思っていた。他の少年達と自分とは、ここシューレにいる理由が違う。彼には未だ、士官になるというシューレの目的に沿うだけの意志も希望もなかった。自分は求められたことをこなしているだけ。なぜならそれだけが自分に期待されていることだから。それが彼の全てだった。

 故に彼の出してくる答案は全て「正解」であり、またその正解を導くまでの道には全く迷いがなかった。ただしそれはあくまで、勝つことを正解と据えた場合の評価だ。結果の成功率だけを考えるなら彼の弾き出す戦略、戦術には穴はなかったものの、そこで兵は消耗品でしかなかった。


 そうした傾向をイザークが掴んでいたのは彼自身によるものか、はたまた前任者フォルセティからの申し送りによるかは定かではなかったが、ヴィダは度々老人の呼び出しを受けた。長らく軍人でありシューレの内情にも詳しかった老人には、そうした傾向をも単純な数字に換算し、手放しにヴィダを高く評価している現状は目に余るものだった。


 フォルセティ相手の時と違い、ヴィダはイザークにはとても従順だった。イザークは彼にとっては尊敬できる大人だったし、またナイトの称号に相応しいとも認めていた。だから彼は老人の諭す言葉にしっかり耳を傾け頷いたし、それは理解していないのを隠すような表情でもなかった。

 ヴィダは未だ士官という将来を夢みてはいなかったが、フォルセティへの反発は無意識であれ、反動的に彼以外のナイトへの畏敬の念を増長させてもいた。ナイトは国に仕える軍人である以上に、国王に個別に任命される「国を守る砦」。彼の中でその位置づけは最早絶対だった。


 ただ従順だったのはその場の態度だけで、彼のそうした「正解」を求める傾向は待てども変わらなかった。しばらくするとイザークもその説得を諦めたのか、それ以上何も言うことはなくなった。

 その代わり彼はシューレの運営部にナイト、そして一軍人として意見を申し入れた。その傾向がなくならない限り、いくらシューレの成績が良かろうとヴィダを現場で受入れることはできない、と。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥



 年の暮れが迫り、多くの寮生が家族と過ごすために一時的に寮を離れていた頃。そうして人の減っていた寮で小さな事件が起きた。軍の捜索が入ったのだ。それは極めて内密のもの――具体的にはヴィダだけを対象としたものだった。

 彼には自身にやましいところはなかったし、敢えて隠して後で面倒なことになるのも望むところではなかった。だから彼は、部屋の捜索は自由にさせたし、聞かれたことにも全て素直に答えた。フォルセティが病室で千切り捨てていた紙の内容は見ていないし聞いてもいない、彼の居場所も把握はしていない、と。床板が一部はずれかけて落とし穴状態になっていたので、捜索にあたりその上を軍靴がごつごつと歩くのを見るヴィダは、いずれ踏み抜かれてしまわないか気が気でなかったが、絨毯が被せられていたからかなんとか持ち堪えたようだ。

 同じようなことが再び起きる前に、設備管理課に修繕を頼まなければならない。


 捜索者たちはそれ以上深く訊ねることはなく、その捜索自体も表沙汰にはならなかった。またフォルセティに関しては何故か懲戒の話も、ナイト位剥奪の話も全く聞こえては来なかった。あまりの不祥事で公表すら憚られたのかもしれないが事実は闇の中だ。口止めさえされなかった。

 しかしヴィダが彼に疑念や怒りを抱くのには、その事件は十分すぎた。

 それは寮内で彼が無意味で無遠慮な野次馬的好奇心の的に祭り上げられたせいではない。フォルセティの無自覚、無責任な言動は今更改めて腹を立てる対象ではなかったし、望んで関わり合いになったのでもない彼のために今回面倒なことに巻き込まれたという理由もヴィダの怒りの要因にはあたらなかった。


 軍が彼を、秘密裏に捜索している。きっとその理由が、公にできない不祥事であるということだ。そんな内容などひとつしか思い当たらない。

 あの男は裏切ったのだ。

 よりにもよって「忠誠トロイエ」の名を賜ったナイトが、軍を――国を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る