種明かしの対価
朝でない目覚めのダークサイドムーン
長い夢でも見ていたかのようだ。
どれほどの時間眠っていたのかは分からない。両手で数えられない日数だったかもしれないし、数時間だったかもしれないし、あるいは一瞬だったかもしれない。
だがここ最近、こんなことを思いながら目を覚ましそうになるのは珍しくない。そして経験上断言できよう。こんなことになっていれば、大抵現状はロクなものではない。
意識が覚醒しつつある中、最初に考えていたのはそんなことだった。
いつぞやと違って体は自由に動くので、私は首を動かしてあたりを見回す。
見覚えのある部屋だ。ひどく見覚えのある部屋に私はいる。それ故ここがどこなのかという疑問は抱かなかったが、別の疑問が浮上する。
「壁や天井がある……?」
寝起きの口で、私は疑問の声を漏らす。
そう、私が目覚めた場所はC隊隊長室だった。それも崩壊の「ほ」の字もないような手入れの行き届いた内装のだ、ここには血も死体も瓦礫もない。
「あら」
見慣れた部屋で聞き慣れた声が横から聞こえる。魚市と魚、酒場と酒、対になっていておかしくないような組み合わせだ、それらと遜色ないレベルでこの部屋で耳にしてもなんらおかしくないような声が横から聞こえた。姿を確認するまでもない、セシリアだ。
「起きた? おつかい頼まれてくれてありがとね。もうじき日没だけど、今なら日が沈む前には家に戻れるんじゃないかしら」
横にいるセシリアはなにやら不可解な事を口走る。
「おつかい? 何の話ですか?」
上体を起こしながら私はセシリアへ問いかける。ついでにセシリアの風貌も確認した、十年前のセシリアではなく、私のよく知るセシリアの姿がそこにあった。
「何って昼ごろに頼んだじゃない、愚直家へおつかいを頼まれて欲しいって。報告に戻った時は丁度私が席を外していて、待っている間に寝ちゃってたみたいだけど」
なんだかひどく懐かしい話を聞かされている気がする。
愚直家へおつかい? 何日前の話だ? いやそもそも…………。
事の始まりを提示され、ここ最近の出来事が始まりから終わりまで走馬灯のように私の頭に駆け巡る。
はっきり思いだせるのは、十年前の世界に行ってしまってから、パトリシアがブライアンによって気絶させられたことまでだ。そこから現在までがどうつながる? 寝起きの頭を動かし、私はパトリシアが気絶した後の記憶を呼び覚ます。
ブライアンがパトリシアに水を纏わりつかせて気絶させた後、そばに居たセシリアが、ああ、全裸のセシリアがパトリシアに手を触れ、二人とも姿を消したのが始まりだった。
その後瓦礫の山に残された私とブライアンで会話が進み、セシリアを待つという流れになるもなかなかセシリアが姿を現さないので、結局その日はブライアンの部屋で寝ることになり……。
これ以上は記憶がないな、そこから一気に現状へつながるのか?
大方あの日寝た後何があったのかは想像がつくが……想像したくないな、寝ている私に全裸のセシリアが忍び寄ってきていたのだろうか……。
まあそれはさておいてだ。私の予想が正しければここは元の世界ということでいいのだろうか? セシリアが手を触れ、姿が途端に消えるのはアンジェリーナの時とパトリシアの時とですでに二度見ている。おそらくあれが元の世界に帰しているということで、私の場合は寝ている間にそれをされたと……。
私の中でだけ悩んでいても仕方がない。目の前に答えを知る人物がいるのだから訊いてみるとしよう。
「ここは元の世界なんですか?」
私の問いに、セシリアはクスリと笑いながら、
「おかしなこと訊くのね。ここは現実よ、夢の世界じゃないわ。なんなら頬をつねってあげましょうか?」
なんだか疑問が残る返答だな……。夢? 今までの私の経験は全部夢だったと?
いやいや……。
「それで流されるわけないじゃないですか」
そうはいくまいと私は言葉を返す。愚直家に手紙を届け、折り返しで荷運びをして隊長室に戻ってきたのは昼下がり、そして今はもうじき日没という時間だ。仮に夢だったとしたら何日分もの体験を数時間のうちにしていたことになる。それに痛みや空腹もしっかりと感じていた、到底夢だとは思えない。その証拠に私の足首あたりはあの瓦礫から無理に引き抜こうとした傷痕が――ない。
少々唖然とする私にセシリアは、
「流されるって何? やっぱりまだ寝ぼけているのかしら」
おかしいのはお前だぜ、というオーラを放ちながらそう返す。その雰囲気に一瞬呑まれかけたが、何かが妙だ、どうもこの人らしくない対応が続くな……。
セシリアからしたら、私の十年前の世界へ行ってしまったという体験は全て夢であったということにしておきたいのだろう。それにしては扇動が雑だな、私がこの程度で夢と信じ込むとは考えていまい。だが足首の傷が痕もなく綺麗に無くなっているのは何故だ?
……分からなくなってきた。本当に夢だったかそうでないのか、後でアンジェリーナとパトリシアにでも訊けば分かることだろうが、この場でその成否を図る方法としては……。
「まだとぼける気ですか? 自分同士でキスして、全裸で自分の職場に何度も現れた人」
「」
ああ確定だ。
セシリアの苦い表情を見ればあれらの体験は夢や嘘でなかったというのが分かる。
……いや嘘なら嘘でそれもそれでいいんだけどさ。
「うーん……夢だと思ってくれていればよかったのに」
セシリアが諦めたように言葉を返す。
賛同もできる言い分だ。キスも全裸も、死体も魔法も全部本当のことだということが証明されたわけだ、それはそれで気が重い。
「アンジェリーナとパトリシアは?」
今までの経験が嘘でないと知るや彼女たちのことが気になり、私は尋ねる。双方とも戦いの影響で重体のはずだし、私より先にこの元の世界に帰ってきていることだろう。
「アンジェリーナさんは愚直家へ送ったわ、寝込んでいるけど命に別状はないわ。そして……」
なにやら語りづらそうに間を伸ばすセシリア。まさかパトリシアの命はと焦ったが、
「パトリシアさんは特別な独房で隔離しているわ。色々と事情を説明しないといけないし、あのまま外には出せないしね……」
返答から察するにパトリシアの命に別状はないようだ。それにはほっと胸をなでおろすが、ここで燻っていた疑問がまた燃え上がる。
「事情を説明……このタイムトラベル云々のですか?」
「ええまあ、そうね」
そうであれば話が早い。自分にもその説明をしてくれと頼むが、
「あまり知りすぎない方がいいわよ」
なんともしまらない返しが来た。
「パトリシアには説明するのにですか? そういえばアンジェリーナもこの件については何か知っている風な口ぶりでしたね。私だけのけ者ですか?」
「ええ、わざわざダークサイドに入ることもないでしょう」
なんだか気を使われているような感じもするが、どうも気持ちが悪い。
「あの二人には説明できて、私にはできない理由はなんですか? まさか貴方の口から配慮なんて言葉は出てきませんよね」
「ええもちろん。彼女たちは今現在の立場からして特殊だからよ、どう特殊なのかは貴方ならわかるわよね?」
問われるまでもなく理解はできた。元々は伝染病の大本であり、今では伝染病を治す手段となっている彼女たちだ。その伝染病の正体も正体だし、彼女たちの社会的地位の問題も考慮して説明をすることができるのだろう。殺人鬼だ病床だと囁かれている彼女たちが「魔法はある」と言っても誰も信じるまい。
だがそれならだ。
「彼女たちの詳細を知る私も例外ではないんじゃないですか? 口の堅い緩いは関係なく部外者には伝えられないとでも?」
というかもう既に私は被害者であり当事者であり目撃者でもある。魔法で時間を行き来し、目の前で魔法が使われるのを見た。それでも尚私にだけこれらの説明がされないのは納得がいかない、というか気持ちが悪い。
私の説明をしてくれという意を汲んだのか、セシリアは少々悩ましげに、
「さっきダークサイドって言ったけど、これ以上詳細を知ると本当にそれになるわよ? それでもいいの?」
それは最期通達といえるのだろうが、私はこの問いかけに肯定の返事を返した。
最期通達が来る前から、既に私は説明される気は満々でいた。被害者で当事者で目撃者だ、詳細を知っても今更あまり立場は変わらないだろうと軽く考えていたが、今の一言があんな未来の引き金になるとは、この時は思いもしなかった。
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