もう私は普通ではいられない

 私のいた隊長室前の床もその例に漏れずに崩れ落ちたのだが、隊長室の壁や床に比べれば緩やかに崩れていったため、足が多少の瓦礫に埋まっている以外は私に被害はない。


 だが隊長室のあった部分とその下にあった部屋は話が別だ。壁が崩れ、屋根が抜け落ち、先程までブライアンとパトリシアがいた場所は瓦礫の山と化していた。


 二人の身を案じていると、瓦礫の中から一人の人影が姿を現した。


「あー、なんとかうまくいったか……ゲホッ、ゲホッ……」


 姿を現したのはブライアンだ、下で何をしたのかは分からないが、あの崩落に巻き込まれてもほとんど無傷なようだ。


「ゴホッ、ゴホッ……ご無事ですか?」

「私は大丈夫ですが……いったい何をしたんですか?」


 私の姿を確認するや私の身を案じるブライアン。だがそんな事はどうでもいい、私は浮かぶ疑問を、この状況を作り出したであろう人物へとぶつけた。


「煙が充満してかなり危なかったのですが、アリアさんが窓を開けて換気しているのを見て閃きました。最初の爆発の影響で壁も脆くなっていたので、半ば賭けでしたが壁を蹴ったらこうなりました」

「……ずいぶん無茶しましたね」

「いえ、我々にとってはさして珍しいことでもないですよ。もっともこういうのは私の役回りではありませんが」


 キックで建物崩しておいて珍しいことでもないって……私にはなんとも理解しがたいが、騎士の隊長クラスともなるとそうなのだろうか? 確かに私の友人の副隊長騎士も怪力が自慢だが……まあ今それはいいか。


「ともあれこれで煙の心配はありませんね、壁どころか天井まで抜けましたし」


 私はそう言いながら視線を上へと移す。

 外の様子も様変わりした。今日私が死体安置所で目を覚ました頃、空は夕焼けに覆われていたが今は違う。天井があった場所には、闇夜と見張り塔とその後ろから覗く月が映しだされていた。


「また月が……」


 同じく空を見上げていたブライアンがそう言う。私も同じ事を言おうと思っていた、いつぞやの夜のように月が紅く染まっている。不吉の前兆だったか、なんだか嫌な予感がする。


「……なんにせよこの場を離れましょう。パトリシアさんも多分無事でしょうし、我々は姿を隠してセシリアの迎えを待ちましょう」


 そう言うとブライアンは私の方へ手を伸ばしてきた。ああ、今気付いたが瓦礫に埋まっていて足が抜けない。ブライアンの手を借り、立ち上がろうと四苦八苦していると、


「うわぁ……なんだこれ……」


 遠くの方で聞き覚えのない男性の声が聞こえた、様子を見るに騎士の一人だろう。まあ部屋が爆発したり崩れ落ちたりもすれば、こんな時間でも誰かしらは集まってくるだろう。


「ちょうどいい、手を貸してくれないか?」


 ブライアンが姿を現した騎士へそう言う。言葉をかけられた騎士は返事をして近づいてきたが……。


「待て……」


 ガラガラと音を立て、瓦礫の中から姿を現した人影がそう言う。

 その人影の正体が誰なのかを察するのは難しい話ではないが、一瞬隊長室にあった凄惨な死体が動き出したのかと錯覚してしまった。血だらけの全身に、片腕があらぬ方向へ曲がっているパトリシアが姿を現した。


「えぇ……」


 名も知らぬ騎士は姿を現したパトリシアを見て驚愕の表情を浮かべていた。

 気持ちは分からないでもない、驚愕する点には事欠かないだろう。部屋が崩れ、崩れた部屋にお偉方がおり、次にあんなのが姿を現してはこうもなる。一部始終を見ていた私も同様だ。


「……その腕では戦えないだろう。またいつでも相手はするから今は――」

「戦いは相手を殺すまで続く……」


 動くのもやっとな様子で、パトリシアは折れていない腕を掲げる。

 この期に及んで何をするつもりなのかと思いながらも、掲げられた手に視線を移すと、


 バチン――ッ。


 指を鳴らす音が闇夜の静寂を破り、鳴り響く。動きを見るに指を鳴らしたのはパトリシアで間違いはないようだが、問題はそのすぐ後だ。


 ゴゴゴゴッ、と雪崩のような不穏な物音があたりに鳴る。考えるまでもないが、これはパトリシアの指から鳴っているわけではなさそうだ。

 何の音かと音のした方へ視線を移そうとした瞬間、不自然に月明かりが陰る。雲に隠れて陰るにしても急にこれほどの変化は訪れまい。


 疑問を抱き始めた刹那、前方ではまた剣と剣による金属音が響き渡ったが、注意はそちらへは向かなかった。こんな状況に置かれては誰もがそうなることだろう。私と、傍で手を貸してくれている騎士の注意は頭上へ釘付けになっていた。


「嘘だろ……」


 頭上の、闇夜の、月明かりを遮るそれを見て傍の騎士はそう漏らす。

 私も同じような気持ちだ。現に目の当たりにしている今でさえも信じがたいが……、どういうわけか塔が丸々一本倒れてこちらへ落下してきていた。


「早く逃げろッ!」


 前方で、パトリシアの攻撃を捌きながらブライアンがそう言う。

 あれだけ負傷しておいてまだパトリシアはブライアンへ襲い掛かっているのか。それはこの場にブライアンをとどめておくためか? だとすれば玉砕覚悟――。


 いやそんな事今はどうでもいい。

 妙に不安を感じず、無駄に回り始めている自分の頭が逆に不安を掻き立てる。これはよっぽどの窮地だからか? それともアンリアルな状況に脳の処理が追いついていないからか? 我々の頭上に落ちてきている物が大きすぎるからか、とてもゆっくりと落ちてきているように見えるがそう時間は長く残されていないだろう。私は瓦礫に埋まる足を引き抜こうと脚を掴んで力を込めるが……、


「……すまない!」


 その言葉を皮切りに、私の傍から誰かが離れている感覚がした。

 いや正直、見えていようが見えていまいがこの状況であんな台詞を吐かれては何が起きているのかは想像に難くないはずだ。そうだと心のどこかで分かっていたのだろうか? 絶望に真っ向から立ち向いたくなかったからだろうか? 嫌な感覚の詳細が何であれ、私の足を引き抜くのに手を貸してくれていた騎士は私を見捨てて遠くへと走り去っていた。


「あいつ……ッ!」


 正直あの騎士の気持ちも分からなくはない。同じ立場になったらおそらく私もそうするだろう。だがしかし……、残された方はたまったものではない。


「うあああああぁぁッッ!!」


 なんとか瓦礫から足を引き抜こうと、必死に、雑に私は力を込める。

 だがそれでも憎たらしいことに足は抜けない。無理に引き抜こうと足は擦り切れ、相応の痛みも走っていたが、抜けないことが恐ろしくて大して気にはならない。


「クソッ……! 抜けろ……ッ! 抜けろッ……!」


 引き抜く角度を様々な方へ変えてみたが……ダメだ。新たに足に食い込む瓦礫の傷が増えるのみで、望んだ結果は得られそうにない。

 残された時間はどれほどかと、倒れる塔の方へ視線を移すべく顔を上げると、何やら気になる人影が目に入った。


「……えっ? どういうことこれ!?」


 前方に突如姿を現した人影はそう口にする。

 もっと詳しく言うと、突然姿を現した全裸の人影がだ……。


 見慣れた気味の悪い色の髪……それにこの声、どういうわけか私のよく知るセシリアの姿がそこにあった。重ねて言うが、なぜか全裸だが。


 急に塔が倒れてきて死にかけている中、急に知り合いが全裸で目の前に現れたのだ。

 言いたいことは数多くあるが……真っ先に私の口から出た言葉は、


「こっちが訊きたいわッッ!」


 衝撃的な展開の連続。現在進行形で迫りくる頭上の脅威。いまだに足が抜けない不安と恐怖。ひどく痛む足の痛み……。


 何が悪さしてかは分からない、なんなら全部かもしれない。もっと他に言う事あっただろうと思いながらも、吠えるように私はセシリアへそう言い放った。


 私の声に気付いたのかセシリアは私を一瞥した後……。

「ブライアンさん! 躊躇わないでください!」


 まるでこれが普通ですよと言わんばかりに、全裸のまま体を隠そうともせずにブライアンへそう言った。


「ああッ! 仕方ねぇ――!」


 ブライアンもブライアンで、突然近くに全裸のセシリアが現れても同様の欠片も見せずにそう返す。二人の間で何か会話が進んだようだが、内容は私にはわからない。というかこの状況を含め、今の私には何もわかりそうにない。


 半ば考えることを諦め、私は目の前の光景を目に映す。


「玉砕をもいとわないその執念は見事だが、そろそろ時間のようだ」


 スマートな所作でパトリシアの攻撃を受け流しながらブライアンはそう言う。

 片腕で扱うには持て余しそうな長刀を果敢に振るパトリシアだが、素人の私が見てもわかるくらいに疲弊は見て取れた。片腕は使い物にならなくなり、全身から出血している。そんな状態での時間稼ぎは長くは続かず、やがてはブライアンに蹴り飛ばされた。


「まったく今日は似合わない役回りが続くな……だがたまにはこんなのもいいか」


 手元で剣を器用に回した後、ブライアンはそれを両手で持って頭上へと掲げた。

 両手で持つような大きさではない剣をああする意図は分からない。そしてこれに続く光景も到底理解しがたいものだった。

 


 ――――!

 


 急にツバメでも飛んできたのかと思った。

 音もなく、何かが視界に横切る。

 まともに目で追えたわけではないが、おそらく急に視界に横切った何かが進んでいった先に目をやると、


「…………」


 私は言葉を失った。

 絶句とはまさにこのことを言うのだろう。


 ありのまま現在私が見えている光景を言葉にすると……、丸々一本倒れてきていた塔が割れていた。あまりにも綺麗に二つに割れている塔が竹を想起させる。


「ふぅ……うまくいったか……」


 剣を鞘へと納めながらブライアンが口を開く。

 先程まで剣を頭上に掲げていたブライアンが、今は剣を鞘に収めている。塔は割れたのではなく……斬れたのだろうか? どちらにせよ、どうやって? まさか飛ぶ斬撃だの衝撃波だのではないだろうな……。


 フィクションの世界でしか見たことがないような光景が現実のものとなり、私の思考は停止する寸前だったが……頬に何かが落ちてきたことで私は現実に引き戻された。


「……雨?」


 妙だ。紅い月が照らす空には雲一つとて見当たらない。

 おそらくブライアンとセシリアはこれらの詳細が分かっているのだろう。塔が斬れていることにも、謎の天気雨にも疑問を持つことなく二人はただ目の前に佇んでいる。


 積もる疑問を疑問と思う余裕もなくなった。

 常識の範疇ではないようなことが続けておき過ぎている。倒れてきている二つに分かれた塔がそう遠くない隣の地面へ落ち、形容しがたい轟音が私の左右から鳴り響くも、ほとんど放心状態なので大して気にはならなかった。


 ひとまずは助かったという事でいいのだろうか。倒れ落ちる塔に潰されるという結果にはならずに済んだようだ。瓦礫に埋まっていた私の足も……塔の落下の衝撃が幸いしてか、今やすんなりと抜けた。


「彼女は?」


 セシリアがブライアンへ問う。

 セシリアが全裸であることにも疑問を感じなくなってきた。もういいよ。そういうことなのだろう。どういうことかは知らないが。


「まだやる気らしい。だがもうこの際だ、手短に済ませるさ」


 ブライアンの返答に続くように、先程蹴り飛ばされていたパトリシアが立ち上がる。

 もともと動けているのが不思議なほど負傷していたわけだが、先程の蹴りが決め手となったのか、パトリシアの出血は殊更にかさんでいた。


 血しぶきをまき散らしながらブライアンへ一歩、また一歩と近づいてくるパトリシア。走る余力はないのか、いや当然か、あんな体では……。


「このまままともにやり合っては君は死ぬまで攻撃を止めないだろう。本来なら俺も剣をもってそれに応えたいところだが、それもしばらくの辛抱だ」


 近づいてくるパトリシアへ、ブライアンはそう言いながら鞘に収めた剣を掲げ、

「ここではこんな最期となる。それを詫びよう。だが必ず、君にとっての元の世界で相手をすると約束しよう」


 その台詞を皮切りに、またも理解しがたい光景が私の目に映る。

 あたりに降り注いでいた雨が、丁度我々の目線のあたりで一斉に停止し、重力だ物理だのはお構いなしに、引き寄せられるかのようにパトリシアの元へと集まっていく。


 玉砕覚悟で倒した塔を斬られ、そしてこれだ。これにはパトリシアも驚愕の表情を浮かべていた。

 様子を見るに何か言葉を発しているようだが、雨が口元にまとわりついており、何を言っているかは聞き取れない。そして口元をはじめ、徐々にパトリシアへまとわりつく雨は増えていく。


「これは……」


 もう何が起きても驚くまいと思っていたが、これにはさすがに私も声を漏らす。


 蹴りで建物を崩したのは爆発で脆くなっていたからと納得はできる。塔が斬れたのはパトリシアと同じように爆薬か何かを仕込んでいたのかとまだ想像できる。だが流石にこれは……魔法としか言いようがない。


 パトリシアもさぞ納得がいかないことだろう、彼女にとっては理不尽としか言いようがない状況だ。水で口や鼻を塞がれ、声にならない叫び声をあげながらも、彼女はものすごい剣幕でブライアンへ向かってくる。


 全身にまとわりついている雨に、全身から出ている血が滲み、その姿はもはや人間と呼べるかどうか疑わしかった。何もかもが紅だ、髪も、血走った瞳も、全身を彩る血も。


 今日見た中で一番この世のものとは思えなかったのは、そんなパトリシアの悲哀に包まれながら倒れていく光景だった。

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