庭師の悲劇も終幕へ

「アリア、状況はどう見える?」


 血と酒の臭いが混ざる緊張に包まれた雰囲気の中、口を開いたのはセシリアだった。

 だがこの状況で私に振られても困る。私も何故こんなことになっているのかは見当もつかない。


「分かりません。この時代に来てからパトリシアと共に行動をとっていたのは最初の一日だけですし……」


 この現状に対して思案を巡らせる時間かとも思ったが、疑問の原因となる人物が動きを見せたのでそうは問屋がおろさなかった。


 いつもの優雅でふわりとした所作は微塵も感じない。髪も服も返り血で固まっているからか、歩きに連動して揺れもしない。床に着くほど長いスカートの中には本当に脚があるのかと疑ってしまう、まるで幽霊でも見ているかのような不気味さがあった。


 音も動きもなく我々に近づいてくるパトリシアだが、そこへアンジェリーナが割って入る。前に立ちふさがり、パトリシアの歩みを止めたアンジェリーナは続けて、


「これはどういうことなの?」


 パトリシアの目をまっすぐ見つめながらそう問いかけた。

 正気なのかどうかは分からない様子のパトリシアだが、目の前にアンジェリーナがいるとは気付いたようで、


「あなたには関係ない」

 ひどく冷たいトーンで答えを返す。


「その人だけじゃまだ足りないっていうの?」

 部屋の中の凄惨な死体を指さしながらアンジェリーナは更に問いかける。


「そう。どいて、今あなたに用はない」


 話の内容から察するに、パトリシアは他にまだ誰かを手にかける算段のようだ。

 だが誰をだ? それに何故だ? 暗殺対象の追加オーダーでも貰ったのか? だがここはC隊隊長室で、この時代のC隊隊長が暗殺の命令を下している張本人だ、あの死体がC隊隊長であるのならそうとは考えづらい。いまいち答えが見えない私だが、傍のセシリアは何かに気付いたような様子だ。だがセシリアの考えを聞く暇もなく、パトリシアとアンジェリーナで会話は進む。


「なんだかよく分からないけど、こんなことをしても意味がない。一緒に帰ろう?」

「私にとっては大事な意味があるの。どいて」

「……主として言う、こんな事は止めて一緒に帰ろう」

「もう違う」

「……じゃあ友人として言ってもダメなの?」


 アンジェリーナの言葉に一拍置いて。


「……ええ、どいて」


 パトリシアの返答に、アンジェリーナも一拍置き、

「なら友人としてあなたを止める」


 覚悟を決めたような声色でそう言い放ち、アンジェリーナは斧を構えた。

 流石にこれに対してはパトリシアも動揺したのか、


「やめて。あなたを斬りたくない」

「ならこんな事はもうやめてよ。斬られても私はここをどかないからね」

「…………」


 身を挺してパトリシアを止めるアンジェリーナ。

 その対応にパトリシアは考え込むようなそぶりを見せ、場には静寂が訪れる。

 この場にいる誰もがいい方に転べと祈っていることだろう。友人の説得に折れ、これ以上間違いを犯すなと私も祈っていたが、その希望は最悪の形で裏切られることになる。


 ……ポタポタと、水がこぼれるような音がする。


 いいや、実際何の音かは察しがついていたが、それ故すぐに状況が飲みこめなかった。

 糸が切れた人形のように崩れ落ち、派手な音を立てて床に叩き付けられるアンジェリーナ。アンジェリーナの足元には、新たな血の痕が出来上がっていた。


 アンジェリーナが崩れ落ちた事で遮るものが無くなり、パトリシアの姿も鮮明に見える。表情は新たな返り血に隠れてよく分からないが、物憂げな雰囲気を漂わせている。手にはどこから取り出したのか、血に濡れた長刀が握られていた。


「くっ……!」


 アンジェリーナが斬られるや、すぐにブライアンがパトリシアへと斬りかかった。耳をつんざく金属音がしたすぐ後、


「セシリア!」


 パトリシアの方から目を逸らさず、セシリアの名を叫ぶブライアン。

 名を叫んだ意図を察してか、セシリアは崩れ落ちたアンジェリーナの元へと向かい、


「アリアを頼みます! アリア、とにかく死なないようにして!」


 それだけ言い残し、次の瞬間にはセシリアもアンジェリーナもこの場から姿を消していた。理解できない事が連続して目の前で起き、私の思考はもはや停止する寸前だ。


 アンジェリーナは、パトリシアにとって唯一無二の親友といっても過言ではない存在のはずだ。そんな存在を斬り捨ててまで優先することとはいったい……。

 まるで答えにたどり着けそうにもない謎について考えをめぐらせかけたその時だった、


「こうまでしても俺が望みか! 君は誰だ!」


 ブライアンがパトリシアへ吠えるように問う。『俺が望み』という言葉に、パトリシアの狙いはブライアンなのかと考えがシフトする間もなくパトリシアがそれに言葉を返す。


「ジェラルディーン・ロレンスの名に覚えは?」

「いいや、ないね」

「ならよかった……!」


 会話の内容はよく分からないが、ブライアンの返答が得られるや、懐から赤い液体の入った小瓶を取り出すパトリシア。その小瓶に入った物が何なのか、どうするのかという予想をする間もなく、彼女はそれを私でもブライアンでもない方角へと投げた。投げられた小瓶を目で追うと、奥の机にある凄惨な死体へと向かっているのが分かったが、問題はこの後だ。


 小瓶が死体へぶつかり、小瓶が割れたのは理解できた。

 だが次の瞬間、割れた小瓶が炎に包まれてそれに連動するように死体が光り出した。

 いや、光るというよりこれは――。

 


 ドォォォンッッ!!

 


 熱くまばゆい光と共に、机の奥の死体から鳴り響く轟音。

 とっさに身構えられたからよかったものの、まさかのまさかだった。


 爆薬……!?

 この時代にそんな物扱える技術など――。


 パキ……ッ。


 目の前の出来事に疑問を覚える間もなく次の変化が訪れる。

「……下か」


 ブライアンは先んじて何かに気付いたようだが、私がそれに気付けたのは事が起きてからだった。


 先程の爆発に連動してか、隊長室内の床に亀裂が次々と入り、ついには床が崩落した。私は部屋の外にいたので崩落には巻き込まれなかったが、部屋の中にいたブライアンとパトリシアは違う。崩れ落ちる床に巻き込まれ、下層の階へと落ちていく二人だが、何かが妙だ。


「成程、俺をここに連れ込むのが目的か。安心しろ、逃げやしねぇよ」


 床が抜けてできた穴の下で、ブライアンの声が聞こえる。

 穴を覗き込むと、炎に包まれた部屋でパトリシアと向かい合うブライアンの姿が見えた。

 ついでに抱いていた妙な感覚の原因もわかった、私の勘も捨てたものではないようだ。ブライアンとパトリシアのいる部屋には出入り口が見当たらない、そもそもこんな部屋が隊長室の下にあるなど私は知らなかった。何のための部屋なんだこれ?


「酒も血の臭い隠しってわけじゃなく、俺への対策か? だとすればまだ何かあるのか?」

「ええ、もちろん」


 そう言うとパトリシアは下層の部屋にある机から何かを取り出し、ブライアンの方へと投げた。下層の部屋は何かの研究室のような内装だ、また爆薬の類かと一瞬身構えたが投げられたものを見るに攻撃が目的ではないようだ。


「これは……」


 投げられた物を前に複雑そうな表情をするブライアン。

 目を凝らして投げられた物が何なのかを確認してみると、それが気味の悪い物だと気付いた。一つは人間の腕だった、指には指輪がはめられている。もう一つは派手な装飾が施されたパイプだ、全体が血で濡れている。

 状況から察するにこれは……。


「フッ……ハハハハッ……」


 おそらくブライアンの関係者のものであろう投げられた物を目の当たりにし、ブライアンは意味ありげに笑い出した。心が抉られ、怒りに狂うのかと思いきや、


「シレットからは炎。ソーサーからは仕込み。コルネリウスからは恐喝か? なんでも取り入れる執念は結構だが最後のは愚策だな、指輪の持ち主はすでに帰らぬ人になってるし、パイプの持ち主はそう簡単に死ぬ奴じゃねぇ」


 発言から察するに、本当にブライアンの関係者を手にかけたようではないようだ。

 それにしてもこんな手に出るとは……手段を選ばないな。

 そうまでしてパトリシアはブライアンを手にかけたいのか?

 そうさせるだけの理由を訊きたくもあったがこの状況だ、それはできそうにない。

 もう既に下層の部屋では戦いが始まっている。時には金属音、時には瓶の破砕音。それらの音から察したとおり、どこから取り出したかもわからないナイフや部屋にある小瓶を投げるパトリシアが目に留まった。


 どうやら小瓶の中身は発火する液体だけではないようで、時には強烈なアルコールの臭いのする物や、明らかに吸ってはいけないような煙を揚げる物もあった。


 だがそれらを差し引いてもだ、爆発と小瓶の炎の影響で室内に煙が充満していっている。狭く、煙がこもりそうな部屋にいる二人はもちろん、このままでは私も危ない。


 徐々に煙が濃くなり下の様子は分かりづらくなっているが、鳴り止まない金属音にそれに連動して現れる火花、剣圧で舞う煙が下の様子を物語る。私も何かできないかと少々考えてみたものの、こと戦いにおいて私は戦力にはならない。それに煙が上る部屋を覗き込み続けていたからか目が染みる、とりあえず窓開けて換気でもしておくか……。


 付近にある窓を全開にして回っていると、煙で覆われた下層の部屋から声が聞こえた。


「コルネリウスを殺っただけはある。ただのお嬢さんじゃないようだ」

「……あてつけ? そんな体でよく言うわ」

「そうさせたのは誰だよ……ゴホッ、ゴホッ……」


 咳き込むブライアンに対し、パトリシアはそのようなそぶりは見せていない。

 相変わらず煙が晴れないので下の様子は詳しくは分からないが、どうやらブライアンも苦戦しているらしい。


「まったくよく調べてるな。俺が酒に弱いのも肺が弱いのも全部見越してこれやってんのか? ゲホッ……ゴホッ……」

「ええ、あなたを殺す、ただそれだけを考えてこの数日を生きてきたし、そのために私は今ここにいるのよ」

「……剣の腕も並大抵のものではない。戦場で会った事があるのなら俺が忘れるわけがない、若い女性でそんな覚えやすい見た目をしているなら尚更だが……。教えてくれ、何故俺を殺そうとする?」

「あいにくだけど、今のあなたにそれを話しても理解できないわ」


 なにやら下で会話が進んでいる。

 パトリシアがブライアンへ襲い掛かる理由が分かるかもと思ったがそうはいかないらしい。ブライアンもこのような返しをされては困るだろうと思ったが、


「……成程。未来の俺が何かしたのか」


 なんとも納得できる答えを口にしてくれた。

 セシリアもそうだが、このタイムトラベル云々についてブライアンは何か知っている風だった。故にこんな答えがすんなりと出せるのだろう。それに続けてブライアンは、


「……君の憎悪はひしひしと感じる、つまりそれが嘘だとは思えない。君からしたら俺は恨まれてしかるべき存在なんだな」


 パトリシアは黙ってブライアンの言葉を聞いている。おそらく肯定の意もあるのだろう。


「未来の俺が何をしたのかは知らないが、君は俺に復讐する権利がある」


 続くブライアンの発言に不穏な空気を感じる。この流れは……。


「セシリアの話が本当なら俺は君に殺されてもいい。だが友人を斬り捨ててまで果たす復讐が良いものとは思えな――」

「アッハハ! だから復讐はやめろとでも!? 聞いて損した。死ねぇッッ!」


 ブライアンの発言を遮り、あからさまな殺意を向けるパトリシア。

 激しい足音がしているあたりまた斬りかかりに行っているのだろう。先程のブライアンの発言から、ブライアンは死んでもいいようなそぶりを見せていた。このままブライアンの死で幕が引くのかと懸念を抱いたが、


 ガキンッ――!


 下の部屋から響く金属音。もはや今日においては聞き慣れた音だ、剣と剣がぶつかる音が下の部屋から鳴り響き、


「……ゲホッ、やっぱりこういうのはガラじゃないか。復讐をするなら元の世界でやれって事だ! 緑の髪のお嬢さんの言った通りこの世界じゃ何をしても意味がないんだ!」


 なにやらブライアンが意味深な事を口にしたすぐ後、ドンと何かが叩きつけられるような音が聞こえた。音の感じから察するにパトリシアを蹴り飛ばしたのだろうか? 煙ごしではっきりと姿は見えないが、二人は離れているように見える。


「何を世迷言を……この世界でやるからこそ意味が――ゴホッ! ゲホッ……!」


 先程のブライアンの発言に、パトリシアが言葉を返すが、咳き込んで途中からは言葉になっていない。腹を蹴られての咳という感じではないな、パトリシアもこの煙の影響を受け始めて来たのか……。


「二人とも外に出ないと煙が!」


 今まで静観していた私だったが、様子を見るにそろそろ危なさそうだ。

 このまま煙で二人とも倒れるという事になるのは最も笑えない結末だろう。


「俺にも立場がある、セシリアにも頼まれたしな……。マリ……アリアさん! 頭を守ってください!」


 煙越しにブライアンがそう言う。

 発言の意図はすぐには飲みこめなかったが、その後一拍置いてから下の部屋から何かが強くぶつかる音と衝撃が伝わってきた。


 そしてそれに連動し、壁に亀裂がバキバキと音を立てて広がっていく。

 ここまでくれば先程のブライアンの発言の意味も分かった。


「……そういう事か!?」


 壁の亀裂は下から上へと伸び、隊長室の天井にまで届いてきた。


 このままではどうなるかは想像に難くない、私はそばにあった机の下へと飛び込んだ。

 机の下へ退避した次の瞬間、再度下の部屋からまた強い音と衝撃が伝わってくる。そして二度目のそれに壁は耐えきれず、壁、床、そして天井までもがガラガラと派手な音を立てて崩れ落ちた。

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