発作の兆候
シレットは『女子供はあっちでやってろ』と言っていたが、この場で繰り広げられている光景は女子供には似つかわしくないこと請け合いだろう。
投げられるナイフと振りかざされる斧の風切り音。床に飛び散る血の雫の音。あまりにも場違いな気がしてならないが、どういうわけかこうなった原因の中心は私らしい。アンジェリーナとセシリアは私を助けに来たと言った。ソーサーに狙われているのは私だ。
ソーサーもソーサーで狙いが私なら何故アンジェリーナを無視して私を狙わない? 投げるナイフには事欠かないのだ、妙だな……。
「あなたを狙ってこない理由は私がそばにいるからよ」
私は特に何も口にしていないにもかかわらず、心を読んだかのように私を支えているセシリアがそう語る。詳細を尋ねると、
「彼らに狙われているのはアリアだけじゃないわ、私もそうなのよ。そして私は無傷で捕えるように指示されているのよ、彼らはね」
ああ、過去の世界のことだから何でも見通しってわけですか隊長。貴方がそばに居るから私にもナイフが飛んでこないと。
「狙われないと分かっているのなら援護でもしてはどうです?」
苦戦している様子のアンジェリーナを見て、私はセシリアに提案する。
「私は実戦に関してはあなた以上に何もできないわよ。クロスボウでもあれば話は別だけど、急いで来たからそれもないし」
だからか、戦闘が始まる前に『今はアンジェリーナを信じる他ない』と言ったのは。まったくこの人らしくない言葉だがそう捉える他ないのだろう。そうでなければアンジェリーナがこう傷つかなければいけない理由がわからない。
「あっはは! おそいおそい!」
両手に持つ斧を振り回すアンジェリーナだが、ソーサーの動きが俊敏すぎて当たる気がしない。高を括っていただけあって相当なスピードだ、私が撒けなかっただけはある。
「んん~……ぅ、ふぅふふ。……すばしっこいね」
小さい子供の身体にこのスピード。アンジェリーナの視界の外に入るほど低い位置に潜り込み、斧の刃の部分よりも短い位置に距離を詰めてまとわりつくソーサー。距離を調整して斧を振っても、斧以外で攻撃してもソーサーは当然のように避ける。ここまで俊敏だとは……あの晩私が初めて逃げた時でさえもソーサーは手を抜いていたのかもしれない。
「記録の通りね……」
私と同じく戦いを見ていたセシリアはそう口にした。
「何がです?」
「殺す対象で遊ぶ癖がある。あの子供、ソーサーはそういう趣向があるみたいなのよ」
ああはいそれですか、身をもって体験していますよ。
「あれだけ距離を詰めておきながら強力な攻撃を仕掛けない。折り畳み式のあのナイフを刺す機会ならいくらでもあるはず」
そうだ。上着に仕込んでいる小さな投げナイフよりはあの折り畳みナイフはよっぽど大きい。にもかかわらず先程から懐に潜り込んでアンジェリーナに刺しているのは小さな投げナイフのみだ。
よっぽど私達……ないしアンジェリーナを舐めているみたいだな。アンジェリーナの力は知っているはずなのに……一発食らえば勝負が決する力を持つ相手にこんなことをするとは……私にはまったく理解できない。
「残念だけど私達には理解できないわよ。現場の人間と卓上の人間にはそれだけの差があるの」
戦闘狂という奴か……確かに私には分かりそうにない。
それにしても相手が悪いな……。
「せめて相手があのシレットなら……」
スピードに差がありすぎる現状を前にふと私は言葉を漏らす。
シレットも怪力ではあるが、筋力の勝負ならアンジェリーナに分がある。だがソーサーがあれだけ素早いとなるとアンジェリーナの怪力も活きない。当たらなければどうということはないを地で行くソーサーが恨めしい。
「シレット相手なら筋力勝負で勝てると思ったのね、けれどそれは間違いよ」
私の思い付きを真正面から否定する言葉がセシリアの口から出てきた。
私は詳細を尋ねる。
「あの放火魔は確かにソーサーほどのスピードはないけれど、総合的に見ればあっちの方が手ごわいのよ、不名誉除隊の元騎士で相当な腕前なの。それにソーサーと違って実戦となると遊んだりはしないわ、彼が相手だったら今頃アンジェリーナさんも無事ではない。ブライアンさんを連れてきたのは彼の相手をしてもらうためだったのよ」
成程、そこのところも含めて『アンジェリーナを信じる他ない』と言っていたわけか。あの晩ソーサーはブライアンを目にした途端に退いたあたり、ソーサーではブライアンの相手は手に余るということが予想される。この現状ではむこうもそうする他なかったわけだ、つまりここまではセシリアの思い通りだったというわけか。
だがそれにしては妙だ。
「彼らには私……もとい私達を見逃して逃げるという手もあったはずでしょう。何故今戦う必要があるんです?」
B隊の隊長、超が付くほどの実力者がいるのに戦闘を仕掛ける理由とは……。
「そこは分からないわ。私の勘ではパトリシアさんが噛んでいる気がするけれど……それらについて考えるのは後よ。今はアンジェリーナさんを信じましょう」
不敬ともいえる外野での話は幕を閉じ、再び私は戦闘をしているアンジェリーナへ注意を移す。もっとも話している最中も様子は見ていたが、あまり状況は変わっていない。
「うっ……ぐぅあ……ッ!」
体中に無数のナイフが痛々しく刺さっている。痛みに慣れているアンジェリーナも堪えてきたのか、それとも懐に潜られてはやられるがままだと判断したからかアンジェリーナは後ろに飛びのいて距離を取った。
「あっははは! ようやく痛そうな顔をしたねおねーさん! それでもやっぱり妙だなー痛いというより苦しいってかんじだね おねーさん」
ソーサーも相変わらずだ。あのときのように人を小ばかにしたような態度でアンジェリーナへ言葉をかけている。呼吸は多少乱れているように見えるが……この感じは疲れてそうなっているわけではないな、おそらくは興奮によってか。何が楽しいんだ変態め。
「くっ、ふふッ……ァあぁっ……」
アンジェリーナはソーサーの言うとおり苦しみに苛まれた顔をしていた。ソーサーの言葉を借りるわけではないが、本当にサボテンのように体中にナイフが刺さっている。常人であれば到底正気ではいられないであろう量だ、痛みに慣れていたとしてもこれは……。
「まずいわね……」とセシリア。
距離が離れると、またソーサーはアンジェリーナへナイフを投げてきた。一体いくつ持ってるんだ本当に。たしかにまずそうだな、距離が離れれば投げナイフ。距離を詰めれば潜り込まれて斧が当たらない。どの距離でも有利という事がない。
また投げナイフをさばくフェイズになったのかと思ったが、意外な事に今回金属音は一切響かなかった。
妙だ。斧で弾けばもちろんのこと、避けても当たらなくても石畳に落ちれば金属音はする。それに、アンジェリーナの斧は動いていない。
嫌な予感はした。嘘だとは思いたかったが、ボタボタと地面に落ちる大きめな血の音がそうさせなかった。
「あれれ? 諦めたの? つまらないなぁー」
ナイフを投げられ、するべき金属音がしない。『諦めたのか』というソーサーの言葉。そしてアンジェリーナの足元に出来上がっている血だまり……。
「アンジェリーナちゃん!」
私の声に、アンジェリーナが振り向く。
胸には新しく刺されたであろうナイフが数本、嫌な予想は当たっていたが私が気を引かれたのはそこではない。
血濡れの身体で、いつものような笑みを浮かべるアンジェリーナ。いや、いつもの笑みではない。
「くっ、ふふふふッ――! あっはははっはははッッ!!」
口角の上がり様はいつもと大して変わらないが、その瞳には狂気が宿っていた。
ああ、またか――。
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