ケシの果実に傷がついたかの如く
元上司にはめられ、暗殺者に殺されかけ、そこに元殺人鬼が現れた。
不可解……というより目の前の光景が現実かどうかまだ判断できていない。
「あなたはだれ? へんな色の髪のおねーさん」
「後にこの世を騒がせる悪党だよ」
私の目の前でソーサーとアンジェリーナが会話している。
私は生きているのか? そして本当にこの場にアンジェリーナがいるのか?
「何でアンジェリーナちゃんがここに……?」
湧き上がる疑問を本人に問いかける。
「さっきも言った通り助けに来ました。詳しい話は後でします」
ソーサーが視界から外れない程度に私の方へ顔を傾け、そう答えたアンジェリーナは視点をソーサーの方へ戻し、
「誰だか知らないけどこの人には手を出させないよ。警告だ、死にたくなければ退きなさい」
右手の斧をソーサーの方へ向けながらそう言った。なんとも頼もしい台詞だ。
アンジェリーナの恐怖は身をもって体験している。それ故彼女の台詞が単なるはったりでない事はこの場の誰よりも分かった。ソーサーも彼女の相手は楽勝とはいかないだろうが……さてどう出る。
「おなじ言葉をそのまま返すよ アンジェリーナさん。こっちも仕事だからね それに急いでい――」
言葉を言いきる前からソーサーの手元が動いたように見える。「急いでいるんだ」と言い終わる頃には、どこから取り出したのかソーサーの手には複数本のナイフが握られていた。
ヒュッ。
必要最低限な動きで手に持ったナイフをアンジェリーナへ投げつけてくるソーサー。
そして少し遅れて鳴り響く金属音。アンジェリーナが手に持った斧で投げられたナイフを弾いたのだと見えるが……どうにも金属音の他に別の音が聞こえた気がした。
私はアンジェリーナの真後ろにいるのでどうなっているのかは分からなかったが、ソーサーのニヤけ面が目に入った事で大方察しはついた。
「やーっぱり。おねーさん本職じゃないみたいだね。なら――!」
突然ソーサーは横へ素早く移動を開始した。
移動したソーサーを目で追いアンジェリーナの向きが変わる。アンジェリーナの前面が少し見えたので先程何が起こったのかわかった。
アンジェリーナの肩あたりにはナイフが刺さっていた。刺さっている部分には血がにじんでいる、間違ってもトマトではあるまい。
さっきのナイフの投擲は小手調べだったのか、そしてそれが当たったので調子に乗り出したと……。
いい気になっているであろうソーサーは壁を蹴り、ピョンピョンとこの狭い袋小路を跳ねまわりながらアンジェリーナにナイフを投げ続けていた。
「んん~……ふぅ……っ」
投げられるナイフに反応できていないわけではないが、同時に複数本飛んでくるため時折しのぎきれていない様子だ。さくりさくりと嫌な音を立てながらアンジェリーナの身体に刺さるナイフの数は一つ、また一つと増えている。ナイフの一つ一つはお子様サイズなので大きくはないにしろ、この状況はまずそうだな……。
かといって私には何もできそうにない。ただでさえ戦闘は専門外なのに、身体を動かすのもやっとな状態だ。クソッ……何をするべきだ。外野からの助言などウザいだけだろうか? 分からない、こういう時はどうすればいいんだ……。
「あっはは! サボテンみたいだね おねーさん! まだまだいっぱいあるよー? いつまでもつかなー んっふふ~♪」
ピョンピョン跳ね回りながらソーサーは上着のボタンを外して内側を見せてくる。一瞬目を疑った、ソーサーの上着の内側にはかたびらのようにびっしりとナイフが仕込まれていたからだ。
「これは……」
数の暴力とでもいうのだろうか。見えたナイフの数だけ希望が削がれたような気がした。
だが、思わず声を漏らす私に対してアンジェリーナは、
「仁義さん! 私が正気でいられるうちに指示を下さい!」
このタイミングで私に振ってくるか。
元騎士だからといって戦闘に精通してるわけではないのだが、そうも言ってられないし急いだ方がよさそうだ。考えろ私……現状を基に、活路は……。
狭い裏路地。満足に動けない。小柄な子供。不利……。
「ここで戦っても不利だ、どうにかして場所を移せれば……」
指示をくれと言っている者に対して、明確な行動を指したことを言えていない。こんなんじゃ言われた側も困るか……と思ったがそれに対してアンジェリーナは、
「……分かりました、やってみます」
何かを閃いたのだろうか? アンジェリーナが何をしようとしているのかは分からないが、防戦一方だったアンジェリーナが動き出した。
「たしかこんなふうに……ッ!」
斧の刃の部分を盾にし、一直線にソーサーの方へと突進するアンジェリーナ。
斧の刃程度の面積では全身をカバーはできないため、今まで刺さっていた分と同じくらいのナイフが新たにアンジェリーナの身体に刺さったが、そんなのはお構いなしとばかりに真っ直ぐ彼女は進んだ。痛みに一切怯まないのが意外だったのか、ソーサーもこれには驚いている様子だ。
「捨て身? でも斧なんか――」
当たらないよ、とでも言うつもりだったのだろうが、ソーサーの表情はそこで一気に変わった。斧の間合いに入るか、といった距離でアンジェリーナが斧を手放したからだろう。ソーサーの注意は落とされた斧に向いている、その一瞬の隙をアンジェリーナは見逃さなかった。
ガッ――!
生易しくない、何かに衝突するような音と共にソーサーの胸ぐらを掴み、
「飛んでけぇッッ!」
手頃なボールを遠投するような動きでソーサーを斜め上空へ投げ飛ばした。
投げ飛ばされたソーサーの悲鳴がどんどん遠くへ離れていくのを感じる。屋根より上に飛んで行ったな……分かってはいたが尋常ではない怪力だ。おかげで助かった。
「よ、し。今のうちに逃げましょう」
体に刺さったナイフを抜きながら、いつもの口角の上がった表情でアンジェリーナはそう言う。血だらけなのに笑っているとは不気味だな……。
アンジェリーナに引き上げられながら、私は彼女に尋ねる。
「痛くないの?」
「ええ、あの頃の痛みに比べれば全然です」
そうかアンジェリーナは痛みに慣れすぎている。
これだけの血を流していても見た目ほど痛みは感じていないのだろう。
それでも不気味なものは不気味だな……血を流しているのに口元は笑っている。そして不思議なことに、いつもと違ってその笑みには危険な妖艶さをほのかに感じてならなかった。
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