アリアでもなく、マリアでもなく

 火事場の馬鹿力というものがある。窮地に陥れば大抵動けはするものだ。手や脚は嫌でも動くようにはなったが、それでもこの現状はどうにかなりそうにない。


 身体は縦に伸びているが、足が地面についていない。そして首を掴まれている。

 急に私の傍に現れた放火魔シレットは、私の首を掴んで私を宙吊りにしていた。大人を片手で掴んで持ち上げるとはなんて筋力だ……私の首を掴むシレットの指は、穴が開いてもおかしくないくらい強烈に私の首へ食い込んでいた。


「カッ……ハッ……」


 ものすごい力で首を絞められているからか、あるいは食い込む指が痛すぎるからか、精一杯の抵抗もむなしく私の息の音は切れかかっていた。掴まれている腕を振りほどこうと掴み返した私の腕も、もう全身と同じくだらりと垂れさがっている。首を掴まれているので呼吸もままならない。パトリシアの時とは違い、苦しみに打ちひしがれながら意識が遠くなりはじめた頃、傍でシレットとは別の声が聞こえた。


「ねーえ。ぼくのだよーそれ」


 聞き覚えのある声だ。

 視線を移す余裕もないので視認はできないが、暗殺者ソーサーの声が傍で聞こえた。


「こいつ本当にお前を撒いたのか? あまりにもあっけねぇぞ」

「調子がわるいのかな? でもとっちゃやだよシレットぉ……」

「ああそうだな。好きにしろ」


 一瞬全身が揺さぶられ、首の痛みが消える。かといって地に足が付く感覚はない。

 自分の状態を認識できたのは、しばしの浮遊感の後、全身に痛みを感じてからだった。


 土煙。全身の痛み。擦り傷。遠くに見えるシレットとソーサー。


 なるほど、投げられたのか私は……ハンドボール感覚で人をポンと投げるとはなんとも異常な筋力だ……。


「じゃあそっちは任せたぞ。俺はこいつの始末をつける。大好きな死体と共に死体にしてやるさ。小規模だがここには祭壇もある、俺が言えた事じゃねぇがあんまり遊ぶなよ」

「はいはい。信心深いのも考えものだね。じゃあさっそくとりかかりますよーっと」


 シレットは私に肩を貸していた男を担ぎ、死体安置所の中へと姿を消した。

 そしてその場に残ったソーサーは……。


「じゃあおねーさん あのときのつづき しよ?」


 ニタニタと気味の悪い笑顔で振り返り、私の方へと語りかける。

 そして懐から折り畳み式のナイフを取り出し、それを器用に手元で回しながらゆっくりと……私の方へ――近づいて――きた。


 様々な記憶がフラッシュバックする。先程シレットに掴まれていた首の痛み。満月の夜に歩けもしなくなるほど追い掛け回されたこと。ここ最近で見た死体の数々……。


 そのフラッシュバックの意図が何であれ、ナイフを持った男が近付いてくれば多くの者はこう思うことだろう、「殺される」と。そしてそのような状況に置かれれば何を思うかは相場が決まっている。


 ――――ッ!!


 声にならない気合で動かない全身を喝破し、おぼつかない足取りで私は立ち上がる。

 逃げないと――。

 逃げ切れるかどうかは関係ない。考えるよりも先に身体が動いていた。


 近くにある壁に手をやって今にも倒れそうな身体を支えつつ、ソーサーとは逆方向へよろよろと逃げる。ソーサーはあの時のように手を抜いてゆっくりと、ゆっくりと私を追いかけてきていた。


 ついさっき目覚めたばかりなので、当然ここが街のどこなのかは知らない。知っていたとしても逃げる当てなどないが、壁伝いに歩いていたため自然と私は狭い脇道へと進んでしまっていた。


「あのときを思いだすね おねーさん。でもそっちでいいの?」


 脇道へと進んでいく私を追いながら半笑いでソーサーはそう言う。

 ああ、悪手なのは分かってる。だが歩くのもやっとなこの状態では、自由に逃げるルートを選べない。


「私を……狙うのは……やめたんじゃないの……?」


 振り替える余力もないので逃げながら後方にいるソーサーへ問う。


「ごめんね。状況がかわったんだ」


 ああ、そんな事だろうと思ったよ畜生。


「ボスからも頼まれちゃったからね。やれっていうのはシレットとボスのふたり。やるなっていうのは紅い髪のおねーさんだけだから こうなっちゃうんだ」


 多数決? 分かりやすいようなそうでないような……。

 いや、私には分かるまい。サイコキラーの判断基準など。


 どことも分からない狭い脇道を、いつ倒れてもおかしくない足取りで歩くこと数分。いや、正確にはどれほどの時間が経ったのかは分からない。一分にも満たないようにも感じたし、一時間以上が経ったようにも思える。


 狭い道の曲がり角を曲がり、曲がった先にあったのは――行き止まりだった。


「くっ…………」


 このタイミングで袋小路? なんとも間の悪い……。

 曲がり角の外では、わざとらしくカツンカツンと響く足音がゆっくりと聞こえる。そしてその音は近づいてきている。


 ああ、終わりか。


 元からすがれる希望などなかったが、行き止まりの壁を前に絶望が身を襲う。

 行き止まりの壁を背にへたり込む私の視界に、曲がり角から出てきたソーサーが映る。


「あーらら。もうおわり?」


 がっかりといった面持ちでソーサーはそう言う。ああ、その通りさ。誰のせいでこうなったんだ。


「どうして私を狙うの……?」


 咄嗟にそんな分かりきった事を訊いた理由は分からない。

 アリアを狙っているのなら私はマリアだから人違いだ、とでも言うつもりだったのだろうか。だとしても暗殺の目撃者ではあるのでそれを理由に殺されないとは限らない。


 無意識の、どんな意図があって言ったか分からない問いにソーサーは言葉を返す。


「リストにあるひとだからだよ アリアさん。紅い髪のおねーさんから知らされているんじゃないの?」


 予想できた答えと、おまけの情報が手に入った。

 パトリシアと私の関係も知られているのか……。パトリシアが私の死を偽造したことまで知られていたら、パトリシアは今やこの者達とは敵対しているかもしれな――


「だからごめんね。もうすこし遊びたかったけど そうも言ってられないんだ」


 パトリシアがこのタイミングで助けに来てくれないかなあ、なんてほとんど現実逃避にも近しい希望を持ち始めていたが、ソーサーの持つナイフが振りあげられるの見て私の思考は一旦停止した。


 ああ、死ぬ――。

 どことも分からない裏路地の奥。誰が助けになど来ようものか。

 完全に積みだ。パトリシアが敵対しているとも限らない、していたとしてもこの場所が……いや、やめよう。もうどうしようもないのは分かりきったことだ。


「さいごにきかせて おねーさん。おねーさんはアリアさんだよね?」


 何やらソーサーが私に問いかけている。

 私がアリアかどうかだと? そうだと踏んでここまで追ってきたんじゃないのか?


 ……まだ私がアリアかどうかは半信半疑なのか?


 そこまで考えたあたりで、私の頭の中で様々な情報が矢継ぎ早に繋がった。

 この時代の、当時の私が暗殺者に狙われていることなど知らずに過ごせていた理由。

 この時代のセシリアは何者かに監視されており、C隊の隊長ではない。

 私がこの時代に来てしまった理由と原因。

 そして私が今殺される理由……。

 


 セシリアだ。

 


 ……ここまでが貴方の筋書き通りだったってことかセシリア隊長。


 思いだした。当時の私は西の前線にいるが、都に戻る頃にはセシリアは隊長になっていたな……。

 つまりは……。

 都でセシリアは隊長になるべく画策。それをよく思わない者から本人は監視される。直接動けないセシリアは私などの手足となる者を使い計画を遂行。それらに気付いた反セシリア派は、セシリアの手足となる者を暗殺していた……。


 こんなところだろう。西の前線付近にある敵の部署に忍び込んで指定の物盗ってこい、なんて命令を当時のセシリアがしてきた理由が今になって分かった。私に盗って来させたあれは隊長にのし上がるためのスキャンダルか何かだったのだろう。


 そして、私がこの世界に来てしまい、今殺されそうになっている理由も分かった。

 影武者か……。


 当時の私が暗殺されなかったのは、私が影武者としてこの場で殺されるからか。

 何をしていたのかは知らないが、次に当時の私が都に戻ってくる頃にはセシリアはC隊の隊長になっている。つまりは反セシリア派というのは――


「ねーえ こたえてよ。おねーさん」


 今までにないくらい多くの情報が頭に飛び交っていたので、上の空だった。

 声のした方へ視線を移すと、ナイフを振り上げた状態で静止しているソーサーがいた。


 私はアリアかどうか、だっけ。


 ここでの返答次第で私の運命は大きく変わるな……十年くらい前から。


「……そう、私はアリアだよ」


 全く納得のいかない筋書きだ。自分の命を自分が死ぬことによって救う事になるとは。

 確実に殺されると分かっていても、アリアだと言うほかなかった。そうでないと言ってしまえば私は当の昔に死んでいたことになるだろう。


「そう。わかった」


 つまらなそうにため息を吐き、そう言ったソーサーは私の首元に視線を移し、手に持っているナイフを握り直す。


 もう終わりだと、私はそっと目を閉じる。


 目を閉じ、最期に思った事は、「こんな事になるんだったらこの十年もっと有意義に過ごすべきだった」とか「私が死んだ後周りはどうなるんだろう」などではなかった。


 怒り――。


 死ぬまでこき使い、死すらも利用したセシリアへの怒りが私の胸の内に湧き出した。

 顎のあたりがギチギチと嫌な音を立て、胸に湧き上がる衝動の抑えが利かなくなると、



「畜生あのクソアマがァァァァァァァァァァァッッ!!!!」



 自分の喉から響く音が頭蓋を伝わり耳へと届く、今までに出したことがないくらいの声量だというのが嫌でも分かる。今の一言で喉は出血でもしているんじゃないかというほどかすれた。そんな私の怒号があたり一面にこだました。


 路地裏で寝ていた猫は飛び起きて逃げ去り、近くにいたであろう鳥もそろってあたりを離れていく。だが血走った私の目に入ってきたのはそれらではなく、ソーサーの下げられた腕に握られたナイフだった。


 血のついてないナイフが動き出し、それが上へと動く。ナイフ伝いに視線をそちらにやると、子供には似つかわしくないような表情で頬に手を当てるソーサーの顔が目に入った。


「あっはは……! いいねえ おねーさんのその顔……!」


 うっとりと、発情したような面持ちで私のことを見ている。

 ソーサーの、自分の頬や身体に当てている手はぷるぷるとびくついているように見える。

 サイコ……いや、変態か。


「まんぞくだよおねーさん! いままでのだれよりもいい! ぼく忘れないよ……! アリアさん!」


 はぁはぁと吐息交じりにソーサーはそう言った。

 勝手に覚えてろ。そしてアリアを殺したという記憶を、記録を忘れるなよと思いながら私はソーサーの振り下ろしてきたナイフに目をやる。


 最期の時だからか、とてもとても動きはゆっくりに見える。

 抵抗しようにも当に身体は限界だ、その上あんなに叫んでどっと疲れた。

 ナイフが私の首元に当たるかという瞬間、私はまた目を閉じ、



 ドスッ――



 刃物の刺さる音がその場に鳴った。

 …………私の足元でだ。


 死んだにしては妙な感覚だ。いや、そういうものなのか? 疑問は残るが首に痛みは感じない。再び目を開けると、私の足元の地面には斧が突き刺さっていた。


 地面に刺さっている斧を挟み、ソーサーは数歩離れた場所へ移動している。

 どういうことだと頭の中に疑問符が大量に湧き上がってきたが、次に視界に入ってきたものを見てそんなのは霧散した。


 ダンッ! と派手派手しい音を立てながら、頭上から何者かが降ってくる。片手には斧、まくられた袖から見える白い肌……。

 この者は誰だという疑問もすぐに解消された。


「助けに来ましたよ仁義さん」


 私をアリアでもなくマリアでもなく、仁義と呼ぶこの者の声……。

 それにこの特徴的な緑色の髪……。

 地面に刺さった斧を引き抜きながら、振り返って私を一瞥した黄色い瞳……。

 私の見間違いでなければ――アンジェリーナの姿がそこにあった。

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