うっかりでは済まない事態

 何かの台に腰掛け、しばらく安静にしていると異様な心臓の鼓動も落ち着いてきた。先程までのリバウンドなのかやたらと気だるいが、状態が落ち着いた事には変わりないだろう。私は状況をそばに居た男に尋ねた。


「うーん何から話すべきでしょう。まずは自己紹介からすべきでしょうか、私はパティさんの協力者、と言えば分かるでしょうか?」


 何だと?

 パティというのはパトリシアのことだろう。だが協力者だと? 

 この男も暗殺者なら危険――


「うわっ……!?」


 距離を取ろうと立ち上がろうとしたが、脚が思うように動かせない。立つこともままならず私はその場で膝をついた。走りすぎて動かないような感覚とは違う、脳からの信号がシャットアウトされているような感覚だ。


「おっと、まだ立とうとはしない方がいいですよ。しばらくはまともに動けなくなるそうですから」

 距離を取ろうとする私を取り押さえるわけでもなく、男はそう言う。


 色々と疑問が残る口ぶりだな。『しばらくはまともに動けなくなる』? 首を絞められて気絶させられるとそうなるのか? いやおそらく違う。それとは別の何かが原因だろう。先程何かの薬を飲まされてから急に目覚めた事から察するに……。


「さっきのとは別に、眠りから覚めなくなる薬でも飲まされていたんですか?」

「ご明察。パティさん曰く死んだように麻痺する薬だそうです。死を偽造するために定期的に飲ませていました。先程のはその効能を抑える薬だそうです」


『だそうです』って……何の薬かよく分かってないのに飲ませていたのかこの男は……。


「パティさんの指示通り動いていただけですよ。まさか本当に目覚めるとは思ってませんでしたが」


 なんだか色々不安が残るな……。この男は信用していいのだろうか?

 パトリシアの指示で、私の死を偽造? パトリシアは何を考えていたのだろう?

 それらを尋ねると、


「それについてはパティさんから伝言があります『最後の一人を埋めるにはこうする他なかった。わがままに巻き込んで申し訳ない。全てが済んだら下僕になる』だそうです。私には何やらさっぱりですが何か分かりますか?」


 なるほど読めた。


 パトリシアは誰かに会う為の交換条件として暗殺を遂行しており、そのうちのリストにこの世界の私、アリアの名前もある。


 この世界の私は西の前線にいるが、どういう訳か暗殺者らにはそれが知られずにいた。パトリシアにも同様で、本来であれば私は暗殺の標的にされていたことなど知らないまま十年も過ごしていた。

 暗殺者らには『今の私』がこの世界の私と勘違いされているものの、パトリシアは恩義から『今の私』をこの世界の私の代わりとして手にかける事はできなかった。


 だが探し人にたどり着くためには全ての暗殺を遂行する必要があり、それを諦める事も出来なかった。その結果が、これか。


 私の爪先に引っかかっていた札に書かれていた名前は、アリアだった。

 つまり現在、表面上アリアは死んだことになっているのか。

 まあ影武者としては適任だろう、十歳歳の差があるとはいえ本人なんだし。


 とはいえ『全てが済んだら下僕になる』とはどういう事だろう。元の世界に戻ることを既に諦めているのだろうか?


 あっ……。


 そういえばパトリシアに元の世界に戻る手立てがあることを話していなかったな……本人を前にすると、暗殺に加担しているという事にばかり目がいってその事を話すのを忘れていた……。

 いかんいかん、どうするべきだろう?

 この事をパトリシアに伝えるべきだろうか? だとしてもパトリシアは今どこにいる? 遠い所にいないのだとしても、ここがどこなのかもわからない。それに私が気を失ってからどれほど時間が経っているのだろう? 分からないことは多い。


 多くの謎が湧き出し、それに頭を悩ませていると、

「まあ表面上貴方は死んだことになっていますが、このままここにいては死体が蘇ったと騒ぎになります。パティさんにあなたを隠す場所を指定されてますんで、とりあえずそこに運びますね」


 男はそう言い、私の腕を肩に回して担ぎだした。

 この男の腕ではブライアンのようにお姫様抱っことはいかないか。いや、この方が恥ずかしくない分良いのだが……。


 だとしても私の脚は言うことを聞かない。男の肩を借りても、立つのがやっとな老人ばりのペースでしか前に進めなかった。


 こんなペースでは誰かに目撃されること請け合いだろう。そのことについて尋ねると、

「表に馬車を用意してありますし、もうじき日も落ちます。それにこのあたりは人通りも多くはないので大丈夫ですよ」

 と男は答えた。


 男の『このあたりは人通りが多くない』と言った理由は、建物を出る道中目に入ってきた物から察する事が出来た。十字架に、台に横たわる死体の数々……。あちこちでする薬品の臭いは防腐液か何かの臭いなのだろう。おそらくここは死体安置所だ、たしかに人通りは多くはなさそうだ。


 もうじき日も落ちると言っているあたり、最低でも昼下がりから日が落ちる時間まで意識を失っていたことが分かるが、そのことについて尋ねるとどうやらパトリシアに気絶させられてから二日が経っていたらしい。


 新聞にも取り上げられていたようだ、『騎士アリア暗殺される。非常に顔が似ていると噂の貧民も同時期に姿を消した。真相は如何に』なんて内容で。

 ただのそっくりさん。姉妹。偽名を使って副業をしていた。等々好き勝手な憶測も書かれていた。だがどれも外れだ、そして正解にたどり着ける者などいまい。


 ほとんど状況は理解した。だが特に何をしようという感情はない。

 何かがしたくても身体が言うことを聞かないのでどうしようもないのだ。

 そして表面上は死んだことになっているし、もうどうにでもなれといった感じだ。


 だが男に歩かされ、建物を出たあたりで状況は一変する。


「あれ? この辺りに停めておいたんだけどなあ……」


 男の発言から察するに馬車が無くなっているのだろう。

 それは困ったな。本来馬車を使って移動するようなプランなら、移動距離は相当なものだと推測される。今の私の脚ではそれは相当酷だ。


 親の仇のように階段を毛嫌いする老人の心情を理解しかけた時だった――


 ゴッ……。


 近くで鳴った鈍い音と共に私は膝から崩れ落ち、いつぞやのように鼻の柱を地面に打った。あの時と違って他に痛みがまぎれる要素はないのでダイレクトに鼻の痛みが伝わる。


 いや待て。何故私は崩れ落ちた? 確かに自力で立つのもままならないが、今は男に肩を貸されて……。


 そこまで考えたあたりで嫌な予感が私の背中にピリピリと伝わってきた。

 私が倒れたのは、男が私を支えるのをやめたから? 違う。現に地面に倒れている今でも、相変わらず私の腕は男の首へと回っている。


 この現状に先程の鈍い音……考えられるのは――


 そこまで考えたあたりで私は何者かに肩を掴まれ、物凄い力で引き起こされた。

 真後ろから上体を起こされ、一旦向きを変えられてから胸ぐらを掴まれる。

 私を引き起こした者、横にいる男を殴り倒した者の顔は目と鼻の先にあった。


「やっぱりそうだったか」


 この声に、この顔……。

 私の命を狙う暗殺者の一人、放火魔シレットの姿がそこにあった。

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