貧民街のマリア

 今まで生きてきた中でコース料理を食べた経験などほとんどないが、一応は今回のそれが死のフルコースにならなくて済んだ。さて、パトリシアは私の疑問については食事が済んだら話すと言っていたが、当然表ではできないような話だ。


 かといって暗殺者にマークされているこの現状、人目の少ない所に行くのは避けたいのだが、皮肉な事にこれからする話は人目の少ない場所でなければできないらしい。理解はできるが納得はしたくない、かといってこのままでは埒があかないので、しぶしぶ私はパトリシアに連れられて貧民街方面へと足を運んでいた。


「随分と警戒されていますね」


 あたりを見回す私にパトリシアがそう言う。当然だろう、貧民街の奥……一人二人死体が増えても大して不思議じゃないような場所だ。目の前にいるパトリシアもいまだに信用はしきれないわけだし。


「暗殺を警戒しているのであればご心配なく。アリアさんを狙っている者はシレットとソーサーしかいません。彼らは今別件で動いていますし、彼らなりにこだわりがあるので貴方には手を出さないでしょう」


 こだわり……本人たちの話を聞くに、シレットは相手に好物を贈りながら殺す。ソーサーは誰かに頼まれないと手を出さない。というのがそれだろうか?

 だとしてもそれが本当かどうかなんて分かりはしない。気まぐれで私を手にかけてもおかしくない程度に彼らは常軌を逸している。


「そうですね。暗殺者としてみれば粗末な点は多々ありますが、彼らは暗殺者ではありません。どちらかというとサイコキラーです。それ故彼らは自分の決めたルールに縛られます。ソーサーには手を出すなと命じましたので少なくとも彼は手を出しません」


 サイコキラーの心情に随分と詳しいんだな、とは言えなかった。昔の彼女も似たような状態だったからな……似たような経験があるが故にそう言えるのだろう。

 だとしても、だ。私が本当に解せないのは……。


「じゃあそれはいいとして、パトリシアちゃんは何で彼らに加担して暗殺をしているの?」


 過去の世界に来てしまった理由と、対を成すほど疑問に思っていたことを本人に問いかける。本人が目の前にいる以上、一旦過去の世界に来てしまった事は棚に上げてでも訊いておきたい内容だが、返答は更に謎を呼んだ。


「……私もマリアさんと同じです。目的は人探しで、その為に必要なのでやっているだけです」


 人探し? 誰を? 

 人を探すために暗殺が必要?


 色々と解せない点はあるが、それについて詳細な説明を求めても返答はなかった。

 返答がないのなら勝手に想像するさ、おそらくはこんなところだろう。


「誰を探しているのかは知らないけど、その人と会うためには暗殺をする必要があった。つまり暗殺は交換条件か何かなのかな? 指定の者を暗殺すれば引き合わせるなり情報をやるなり、どこかの悪い人に条件を提示されたとか……」


 勝手な想像だが、暗殺と人探しを結びつけるにはそれくらいしか思いつかない。

 推測の域を出ない内容なので、自信はなかったがパトリシアの返答は、


「その通りです。簡単に会えそうな人物ではなかったので、私も要求を呑まざるを得ませんでした」

「それが暗殺でも?」

「はい」


 特に迷うそぶりもなく、パトリシアは「はい」と答えた。手を血に染めてまで会いたい人がいるとは相当だな。つまりは……。


「それで、リストにある私を殺しにきたの?」


 つながる疑問を投げかける。パトリシアは目的の為に殺人をすることも厭わない。そして例のリストには、過去の私の名前があった。


「一時はそれも考えましたが、やはり私にはできません。それだけの恩があります」


 一瞬ヒヤッとしたが、ひとまずは安心してよいのだろうか。食事の際も私を殺す気はないといったような事を言っていたし……。


「ですが目的遂行のためにはリストにあるアリアさんを暗殺するほかありません。そしてこの時代のアリアさんはどこをどう探しても見つかりませんでした。当時はどちらへ?」


 おいおい、私は殺せないが過去の私は別だとでもいうのか?

 何も変わらないじゃないか、むしろもっと悪い。仮にこの時代の私が暗殺されれば、『今の私』も十年前には死んだことになる。


「教えるわけないでしょう」

「場所を教えていただけなくても結構です。この時代の、当時のアリアさんはシレットやソーサー達に見つからないといえるだけの場所にいましたか?」


 質問の意図がよく分からないが……当時は都にはいなかった。今頃暗殺の対象になっているとも知らずに西の前線らへんにいる事だろう。シレットやソーサーが都を出ない限りは安全といえる。信用しきれないので場所は教えられない。曖昧な答えを私は返した。


「そうかもね」

「そうですか、それを聞けて安心しました」


 何だ何だ? 何を企んでいる?

 考えの纏まらない私に、パトリシアはさらに続けて、


「実のところマリアさんにとっては、シレットやソーサーはこの世界に来てから、初めて会った者達であると踏んでいました。彼らも当時のアリアさんを探すのはほとんど諦めていたようですし。あっていますか?」


 何がいいたいのかはさっぱりだが、私は肯定の返事を返す。


「ですが厄介なのは、マリアさんが彼らに顔を見られたことです。彼らは貴方が、この時代のアリアさんだと思っています」


 でしょうね。初めてソーサーに会った晩も、『リストにあった人かもしれない』なんて言っていたし、今日も本人らに『アリアさん』と呼ばれたあたりそうなのだろう。


「殺人の目撃者程度なら彼らも気にしないでしょうが、リストにある人間だと認識されている以上、いずれ彼らは貴方を狙いに来ます」


 すでにマークされているような節はあるしね……だが……。


「つまり何が言いたいの?」


 結局な所の疑問を私は投げかける。

 そしてその問いに対しパトリシアは、


「つまりは死んでもらうほかなくなったわけです」


 …………。


 なんとも意外なタイミングで意外な言葉が来た。

 おいおい、殺さないんじゃなかったのか? 殺すのと死んでもらうのはどう違うんだ?


 警戒はしていたが、意表を付かれたからか身構えるのが一瞬遅れた。


 身構える頃には私の視界は布がほとんどを覆っていた。布の色を見るにパトリシアの着ていたローブが投げつけられているのだろう。

 投げつけられているローブを振り払っても、そこにパトリシアの姿はない。


 どこにいるのかとあたりを見回していると、突然背中に柔らかい感触が。

 後ろにいるのかと振り返ろうとした時には既に手遅れだった。視界の外から腕が伸び、それが蛇のように私の首に絡みついてきた。


 首を絞められた経験などないが、おそらくパトリシアは相当な手練れなのだろう。苦しみを感じ始めるころには、既に意識も薄くなり始めていた。


 そして意識が消えかかる最中、耳元でパトリシアはこう囁いた気がする。

「言うとおりにしてください」と。


 意味は分からない。何に対してだ? 『死んでくれ』に対してか? などと考える余裕もなく、すぐに私は意識を失った。

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