望まぬおねショタ

 暗殺者二人に顔を見られ、狙われている。

 追手は二人とは限らない。

 脚は酷使により疲労。

 空腹で力は出ない。

 味方はいない。


 まったく最高だ。誰もが望んでやまないシチュエーションだろう、誰か変わってくれ。


 あのまま図書館にずっといてはいけないと思った。とりあえずは移動をするべきだ。

 人ごみに紛れて街中を移動してみてはいるものの、本当にこれでよいのだろうか? 放火魔シレットが私に話しかけてきた理由は、こうして私を移動させるためだったのでは、と疑心暗鬼になる。


 人ごみに紛れてはいるものの、周りにいる人間の誰がまだ見ぬ暗殺者かわかったものではない。疑心暗鬼。まさに疑心暗鬼だ。

 疑う分には良いのだろう、この世界に味方はいないのだから。だがしかし、味方でないのと、敵であるというのではまるで違う。せめてどちらなのかははっきりしてほしい。


 暗殺を警戒し、表通りの広場で思い悩んでいると、


「どうしたんだマリア、浮かない顔だな」


 聞き覚えのある声が聞こえた。私をマリアと呼ぶこの声は……。

 声のした方に視線をやる前から察しはついていたが、新聞販売店の者がそこにいた。

 この世界での私。貧民街のマリアにとっては数少ない知り合いではあるが、この状況ではこの男も信用できない。


「最近不幸続きでして」

 当たり障りのない返答を私は返す。


「そんな感じだね。ちゃんとご飯食べてるの? 身なりはよくなってるけど、それだけじゃやっていけないよ」

「もっともですね。ですがあまり食欲がなくて――」


 ここでまた、腹の虫が鳴る。歩き回ったからか、先程よりも音は大きい。

 なんとも嫌なタイミングだ。妙な沈黙が私の周りを包む。


 そしてその沈黙が晴れた時。

 より望んでいないものが。いや、今現在考えられる最も嫌なものが私の傍に現れた。


「おなかすいてるの? おねーさん」


 その声が聞こえた瞬間、私の時間の感覚はおかしくなった。

 時間がおかしい? ハッ、いまさら何を。


 現実逃避をする余裕が湧くほど、一瞬が長く感じられた。


 だが私の感覚と周囲の時間の流れは違う。この場の二人が、何を話していたのか知らないが、気付けば新聞販売店の者は私の元から離れ始めていた。

 同僚がそばから離れかけているのに気付いた私は、とっさに彼を呼び止めようとした。「待って」「行かないで」人を呼び止める際の台詞など、大抵相場が決まっている。それらを思いつくのに時間も苦労もかからなかったが、私はそれを口に出せずにいた。


 脇腹を、触られている。


 私の全身を凍りつかせるのには、それだけで十分だった。相手があの男であるのなら。

 嫌な汗が全身から滲み出てくる。悪寒との相乗で、私の身体は私の命令を受け付けなくなりかけていたが、それを必死の思いで押し殺して私は脇腹にある手を払う。

 払った腕に上半身が引かれ、自然とその男の姿は目に入ってきた。


「さわっちゃだめなの? おねーさん」


 私が払った手をさすりながら、目の前の男はそう言う。

 淡い希望も、その姿を見た途端に打ち砕かれた。

 昨晩私を刺し、歩けなくなるまで追いかけまわしてきた暗殺者、ソーサーの姿がそこにはあった。


「そんなに警戒しないでよ。今日は襲わないよ おねーさんの方から襲ってくるなら話はべつかもだけど」


 ソーサーの発言に、周りにいる幾人かがざわめいている。

 相変わらず人を小ばかにしたような口調だ、真顔で何を言うか分かったものではない。


「あんな事しておいて、今更そんな事言われても信じると思う? 言ってる事が本当なら会いにくる理由もないでしょう」


 少し距離を取り、なるべく平静を保ったような口調で話しかける。平静を保っているつもりだが、声の震えは殺しきれてはいない。


 落ち着け私、いくらなんでもこんなに人目に付く場所で私を殺しにはこないだろう。

 まずはこいつが何を考えているかを探らないと……。


「会いにきた目的ならあるよ。おねーさんに会いたかったからだよ」


 まったく次から次へと……。

 それが本当ならなんて身勝手な話だ。こっちの気持ちなど微塵も考えてないな。


「会いたいから会いに来た? 会った後どうするつもり? また弄ぶつもりなの?」

「だからしないって。誰かに頼まれないかぎり ぼくは手を出さないよ。いまはその逆の立場になっちゃったし」


 ……どういう事だ? 誰かが私を殺すなとソーサーに命令しているのか? それは誰だろう。シレットだろうか?


「ちがうよ もうひとり仲間がいるんだ。おねーさんの名前アリアっていうんでしょ? きのうの夜に おねーさんをみつけたことをしらせたら わたしの獲物だから手を出すなって釘をさされたんだ」


 もう一人の仲間、おそらくパトリシアのことだろう。名前を伏せているのは、私に知られたくないからか?


「それはひょっとして真っ赤な髪で、いつも元気なさそうな顔をしている女の人?」

「そう。おねーさんとおなじくらいおむねがおおきいけど さわると怒るんだ」


 普通にパトリシアの事を話してきたな、詮索されたいわけではないようだ。

 まったく読めないな。この男も、あの放火魔も……。

 常識とは縁遠いみたいだし。親しくもない男に胸触られたら怒るのは当然だろうに。


「その人に、お前は手を引けって言われたから私を襲わない? どうにも信じられないね」

「そーぉ? 信じてもらうために いまはなんにも持ってきてないんだけどなあ」


 そう言いながら、ソーサーは上着の中を見せてきた。

 周りのざわめきがどんどん大きくなっていくのを感じる。

 調子が狂うな、この者達との会話は……理解不能だ。


「それに じつはおねーさんももうわかってるんじゃない? ぼくたちはムードがととのわなきゃ手を出さないんだ。すこしまえに会った男もそんなこと言ってなかった?」


 少し前に会った男……あの放火魔のことだろうか? むこうはどれほど私の事を知っているのだろう。気持ち悪い謎ばかりが増えていく。


「二人相手に……?」

「しかも子供とか? おいおい……」

「まったく昼間から嫌ね……」


 周りにいる者の言葉は露骨に私の方へと向いている。

 なんとも居心地が悪い。

 今すぐにでもこの場を後にしたいが、この男がそれを許すとは思えない。

 ソーサーとシレットの、『手を出さない』という言葉を信用しているわけではないが、この現状を打開すべく私は、


「じゃあまあそれはいいとして……会いにきた目的は達成したんだからもうお別れって事でいいのかな?」


 会いたかったから会いにきたというのなら、会えたのだからもういいだろうと、私は別れの口火を切るが、


「会いにきた目的はそれだけじゃないよ お話がしたくて来たんだ。おねーさんが好きそうな話題を用意してきたし 損はさせないと思うけど どうかなおねーさん」


 話がしたい、ね。こっちの気も知らずによく言ってくれる。

 こっちはそちらの傍にはいたくもない。話題とやらが何なのかは知らないが、それに興味はないといった視線でソーサーを見ていると、


「紅い髪のおねーさんがなにを目的にうごいているか知りたくない?」


 ……なんとも無視できない事を口にしてきたな。


 正直食いつかざるを得ない情報だ。首や目はその言葉に大きく反応してしまっていた。だがどうするべきだろう、その情報を得られるのは大きいが、この男のそばに居るのは危険だ。一つの謎の解明と、身の安全のどちらを取るべきかと悩んでいると、


「やめなさいソーサー」

 横から突然、聞き覚えのある女性の声が割って入った。


「もう一人を任せると言ったでしょう。そんな事を話すためにこっちに来たの?」

「はいはい ごめんなさい。ごめんね その話はできそうにないや。ばいばいおねーさん いやアリアさん」


 そう言い残し、ソーサーは去っていった。

 ソーサーと一定の距離が離れたのを確認した後、間に入ってきた女性へと目をやる。


 白い肌にこの声、ローブに隠されていて髪の色は分からないが、パトリシアの姿がそこにあった。


「そっちから姿を現してくれるとはね。私は貴方の獲物って事になってるみたいだけど、私を手にかけるつもりなの?」

「そのことについて話があります。食事でもした後話しませんか? 缶詰めは食べそこなったそうですし」


 缶詰めね……一応はあれのおかげで命拾いしたのだから感謝しておくべきなのだろうか。

 まあそれはいい。シレットと比べれば、パトリシアとならまだ安心して共に食卓へつける。現状、完全に信用できるとは言えないが、聞きたい話も満載だ。

 パトリシアの提案を受諾した私は、適当な店へと足を運んだ。道中周りの者が「女まで守備範囲内なのかよ」とか言っていたような気がするが、聞かなかったことにしよう。

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