望まぬナンパ

 未だに脚は少々痛む。故に昨日より新聞の配達には時間がかかってしまった。

 だがなんとか終了だ。最後の配達を済ませると、同時に今日は何をしようかという問題に直面する。


 いつも通りなら、またダイアナ、元の世界のセシリア、パトリシアの聞き込みを開始している所だが、昨晩は暗殺者に顔を見られた。しばらくは大人しくしていた方がいいか。


 途端に暇になったな。何をしよう? 遊んでいる暇も金もない。何か別の小遣い稼ぎをしようにも身体のコンディションは芳しくない。目立たず、あまり疲れず、有益な事……。


 少し考えると、案は浮かんだ。図書館で情報を集めよう。特に暗殺者集団の事は最近になって私も知ったのだ、それらを中心に調べてみるとしよう。図書館なら椅子もあるし……。



 

 図書館でまた昔の記事を洗ってみると、いくつか興味深い記事が見つかった。

 暗殺者の情報を集めるべく、放火による殺人と、刃物による殺人の記事を探したらいくつかは見つかったが、妙な点が一つある。


 刃物による殺人の事が書かれた記事は、全て死体が凄惨な状態で発見されたとある。

 傷痕が体中にあったり、身体に切り傷で文字が刻まれていたりと、それこそあの放火魔のように殺人を楽しんでいるような点が多々あった。喉だけを切られているような、スマートな手口で殺害された死体が見つかったという記事は一切なかった。

 面白みがないから取り上げられなかったのか? それとも魚屋の主人の時だけ気まぐれであんなことをしたのか?


 いいや、あの暗殺者に限ってはそんな事はあり得ない。

 実際に追い掛け回されれば分かる。あの暗殺者、ソーサーがそんな気まぐれを起こすとは思えない。二度も後ろを取られたが、私は生きている。それに奴の体格を考えれば、大人の背後を取っても喉へは手が届かないだろう。


 では誰が魚屋の主人を手にかけたのだ? まだ見ぬ暗殺者がいるのか?

 だとすれば状況は芳しくないな、誰に命を狙われるか分かったものではない。

 ひょっとすれば既にこの図書館にも――


 疑心暗鬼になりつつある私は、まだ見ぬ暗殺者がいるかもしれないとあたりを見渡したが、なんだか見覚えのある後ろ姿が目に留まった。


 あの薬品のような気味の悪い色の髪、あんな色の髪をした者はそうそういまい。

 セシリアだ。


 私がこの世界に来てしまった現況。そして元の世界に帰る手立てのうち最も信頼できそうな対象の後姿がそこにはあった。

 恐る恐る、私は彼女に近づき声をかける。


「セシリアさんですか?」


 特徴的な色の髪がなびき、目線をこちらにうつした彼女は答える。

「そうですが」


 セシリアだ。セシリアには間違いない。

 だが若い。目の前にいたのはこの時代のセシリアであった。


 嘆息する私に、目の前のセシリアは語りかける。

「ご無事でなによりです」


 私の身を案じている? 私が暗殺者に襲われた事を知っているのか?

「新聞配達をされているそうですね。無事に働き口が見つかったようで、私も心配事が一つ減りました」


 ああ、そっち? 

 いやどっちだろう。たしかメッセージにはこうあったな『私は監視されている』と。暗殺者の件は表立って出来る話ではないか。真偽は分からないがとりあえず合わせておこう。


「ええ、まあ。走りっぱなしで脚は痛みますが」


 合わせると同時に、少し探りを入れてみる。

 これにどう反応するかで推し測ってみるとしよう。


 私の脚腰の性能はこのセシリアも知っているはずだ。新聞配達如きで音をあげるのは妙だと思えば……。


「それはそれは。私は運動には縁遠いので、その苦しみは理解しかねますが、貴方なら慣れるのも早そうですね。中々健康的な体をされていますし」


 今のでわかった。『理解しかねます』と言う際、少し強調して喋った上に、目で何かを訴えかけてきた。おそらく知らないのだろう。


 メッセージには、協力に期待するなと書かれてあったし、これ以上話しても特に進展はなさそうだ。このセシリアの邪魔をするのも悪いし、そろそろ離れるとしよう。


 

 そしてセシリアの元を離れ、情報漁りを再開していると、事件は突然おきた。


「アリアさんですか?」


 先程の会話の流れが思い出されるが、私は「そうです」とは言えなかった。

 この時代での私が、アリアではなく、マリアだからではない。

 その声には聞き覚えがあった。そして、そうであるからこそ私は固まっていた。


 その判断に、声のする方向へ目をやる必要はなかった。声に聞き覚えがあっても、その者の姿を私は知らないからだ。


 口調こそ大きく違えど、今私に話しかけて来た者の声は、昨晩のシレットと呼ばれていた放火魔の声にとてもよく似ていた。


「いいえ、違います」


 返答をしながら、恐る恐る声のした方へ視線を移す。

 声から想像していたイメージより若いな。中肉中背の男がそこにいた。


「おやおやそうですか。では黒い髪の子供と、トマト缶という言葉に何か覚えはありませんか?」


 自分から正体をばらしに来た。黒い髪の子供というのは、昨晩の暗殺者ソーサーの特徴と一致する。それにトマト缶とも来れば確定だ。この男は昨晩の放火魔シレットだ……。


「ありません」


 そんな質問をされても、そう答えるほかない。

 何が目的だ? この場で私に火を付ける気か?


「そうですか、それは残念です。妙なことを訊いてすみません。お詫びと言ってはなんですが、共に食事などいかがです?」


 読めないな。何がしたい?


「いいえ結構です。ナンパなら他を当たって下さい」


 食費の工面に困っていないわけではないが、この者と共に食べる食事など喉を通る気がしない。


「おやおや、意外ですね。食いつくと思ったのですが」

「物で釣ろうとしないでください。条件が何であってもナンパはお断りですが」


 食事に誘えば食いつくと思っただと? 私の事を知っているのか? 

 いや、先程のセシリアの会話を盗み聞きしていたのか? 最近職が見つかった。新聞配達をしている。その情報だけでも私が金に困っているのは察せるだろう。


 芝居じみた吐息を漏らし、やれやれ、とシレットは両手を開いた。

 そして黙って移動し、あろうことか私の正面の席に着いた。ナンパをする男を演じているつもりなら断られた段階で離れろよ。何が目的なんだ? まるで読めないな。


 私が迷惑そうな視線をやっても、シレットは移動しそうにない。

 不愉快だ。気が気じゃない。


 私が図書館を後にしても、おそらくシレットは追いかけてくるだろう。

 撒こうにも、今のこの脚では無理だ。


 どうすればいい?


 この男が目の前にいるせいで、目に入った文字から得られる情報は私の脳をすり抜けていく。かといってこの場を離れたとしても、行くあてなどない。


 そうして昼ごろになるまで、私は動けずにその場にいた。

 昼飯時だからか、図書館には人も少なくなっていたが、私の前に座るシレットは動きそうにない。

 そんな中、人の少ない図書館の沈黙を破ったのは、私の腹の虫の音だった。


 思えば独房を出た日のブイヤベース以来何も食べていない。それに昨日はあれだけ走ったのだ、こうもなるか……。だが食事をする気分ではないな、どうせこの男は私を尾行するだろう。暗殺者に尾行されながら食べる食事など……。


「空腹のようですね。考えは変わりませんか?」

「ええ。いい加減諦めてくれませんか」


 私の空腹を察してか、シレットは話しかけてきた。


「やましいことなど考えていませんよ。ただ、貴方は食事を望んでいるものかと……」

「だとしても貴方とは食べたくないです」

「『だとしても』ね。やっぱり食事をしたいって欲はあるんだな。だが妙だ。あんたからはそれ以外の欲を感じない」


 急に昨晩聞いたような口調に変わった。何だ? 何が言いたい?

 気付けば、図書館にいるのは私達二人だけになっていた。


「お手上げだな。なぁ、あんた今何か欲しいものとかねぇのか?」


 訊いてどうする? 答えが得られたとしてそれが何になる? 私は思ったままの疑問をぶつける。


「別に。ただ俺のポリシーみてぇなもんさ。相手の一番望むものを、一番望むタイミングでくれてやりたいだけだよ」


 その結果が、昨晩のニコラスへの酒か。

 狂ってる。

 それほどまでに他人の苦しむ様が見たいのか? 嫌なこだわりだな。


 魚屋の夫人の時もそうしたのか? なんて疑問も浮かんだが、口には出せなかった。まだ私が、昨晩の暗殺の目撃者であると認識されていない可能性を、棒に振りたくなかったからだ。


「まあ安心しろ。それが分からねぇ以上、俺は手を出さねぇよ。もう一人はそうとは限らねぇがな。フェヘヘ」


 昨晩も聞いた、気色悪い笑い声を残してシレットは去っていった。

 そして今の発言で、私の淡い希望も打ち砕かれた。


 ……私はマークされている。

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