ハートを狙われ赤面バージン
何故だ?
何故居場所がばれたんだ?
一度完全に撒いたはずだ、足音が遠ざかる音も聞いた。
深夜に命がけの鬼ごっこをしている者がもう一人いて、その者の足音と聞き間違えたとでもいうのか?
ありえないな。そんな酔狂な者がいるはずがない。いたら殴ってやる。いやマジで。
「おねーさん おっそーいー! 追いついちゃうよー?」
後ろで人をからかうような台詞を吐きながら、今までと同じく息が上がっている素振りを見せずにナイフの暗殺者、ソーサーが追いかけてくる。
体力を切らしている分、私の走る速度は、先程と比べれば格段に落ちていた。
奴の速さを考えれば、追いつかれてもおかしくない速度だがそうはなっていない。
これの意味は……むこうが手を抜いているということだ。
「諦めてくれないかなぁ! 何が望みなの!?」
「おねーさんのハートかな」
あーームカつく。
真顔で何てこと言うんだこの坊ちゃんは。
全然心こもってないし! ハートといっても物理的にだろ、やるかっての!
完全に遊ばれている。
このまま私が走れなくなるまで追い続ける気か?
大人をからかわないでくれよ。遊ぶにしても立場が逆だろ。いくつだか知らないけどこっちはそっちの倍ぐらいは生きてるんだぞ。
「はぁーっ……はぁーっ……」
マズイな……息が切れてきた。もう脚もすごく重い。
そして息が切れ、荒くなった呼吸により、見つかった理由も分かった。
「トマッ……トか……」
「そうだよー おねーさんの身体からすっごく香ってくるんだもん。いちどは見失ったけど、なんとかわかったよー」
脇腹からぶちまけられたトマトの染みに目をやる。
くそう。これほどトマトに殺意が湧いた事もない。
服を捨てて逃げていればよかったのか? これしか服もってないんだぞ。全裸で街を走れって? それで助かるのならやっていたかもしれないが、気付くのが遅かった……。
どうすればいい?
砂糖の煙幕も、もうストックはない。
今持っているのは、奴に一度刺されたナイフだけだ。
「くっ……」
戦うしかないのか? だが私は戦いに関しては素人だ。そういうの担当じゃなかったからね。だが今はそうも言ってられないか……。
「ぼくのナイフをにぎっているあたり ぼくとやるつもりなの?」
読まれているか……。不本意だがもうそれくらいしか手がないんだ。
「でもおねーさん あんまり経験ないでしょー? じゃないとこんなになるまで逃げたりしないもん」
もっともな意見がどんどん飛んでくる。
分かってはいたが、戦闘に関してはむこうの方がはるかに上だろう。
しかもこのコンディションの差。絶対に勝ち目はない。
「うグっ……ごほっ、ごほっ……」
息が切れて尚、無理して走り続けたからか、呼吸もままならなくなってきた。
マズイ……意識が遠くなってきた。
たしか、当時の私もこんな展開になったっけかな……。当時は友人の騎士が助けに来てくれたけど、今の私には友人どころか仲間もいない。
深夜なので、いくら大通りだからといっても人は一切いない。
何にも助けを求められない。孤独だ。
視界がぼやけ、グラつく。
走りすぎて脇腹が痛い。服に着いたトマトの染みが、そのまま血になっていても分からないくらい脇腹が痛い。
「そろそろかなぁー? んんっ……?」
もうほとんど密着しているというほど近くで、 ソーサーの声が聞こえる。
ああ、ここまでか。
ゴッ……。
鼻の柱が、何か固いものにぶつかる。痛い。痛いけど……脇腹の方がよっぽど痛い。
「ゲぇっホ……うぐゥ……ふッ……」
半身が冷たい。そうか、転んだんだな私は。ははは……。
もう脚も動かない。つまりは――。
「ひょっとして……」
ああ、そうさ。終わりなんだろう。何をされても、もう抵抗できそうにないよ。
意識が遠くなっているからか、ひどく遠くの方からソーサーの声が聞こえた気がした。
「お困りかな、いつぞやのご婦人」
幻聴がぶり返したのだろうか。それとも本当に幻聴ではなく天使か悪魔かの声が聞こえているのだろうか。私でも、ソーサーでもない声が私の前方から聞こえた。
人か?
おそらく人だ。真っ黒な服を着ているので全体はよく分からない。
だが、黒い服の腰のあたりには、月明かりが反射している何かが見える。
剣――。
そうか、この声は……。
「たす……け」
「もちろんだ」
その騎士は、当然のように心強い言葉を迷いなく口にしてくれた。
その言葉に元気づけられたからか、あるいはその光景が美しかったからか。
私の消えかけていた意識はここに定まり、その光景を目に映していた。
腰から、美しい装飾のフルーレが抜かれる。
手入れが行き届き、ただでさえ輝きを帯びている刀身に月明かりが入り込む。
それを自身の一部のように構えるその騎士のたたずまいは、
洗練された美しさを持つ一方で、どこか憂いを秘めていた
「なんでこんなところに?」
「こっちが訊きたいね。子供はとっくに寝る時間だぞ」
ソーサーと私の前に、銀髪の騎士が割って入った。
確かこの男の名は……ブライアンだったか。
この世界に来てしまった際に最初に会った……。
「ふんっ なら大人しく帰るよ ばいばいおねーさん」
この場で斬り合いが行われるわけでもなく、ソーサーはこの場を去っていった。
上体を起こせる程度には息は整った。私はブライアンの方へ目を向ける。
「……もう大丈夫でしょう。気配も消えました」
夜の闇に消えゆくソーサーをしばらく見ていたブライアンだが、かがんで私の方へと視線を移す。
「おや、血が……」
「トマトです。無傷です」
喋るのはまだ辛い。必要最低限な言葉で私は返した。ここだけ抜き出せば訳の分からない台詞だろう。こんな状況に再びなるとは思えないし。そしてそれに続き私は、
「他にも、暗殺者が。あっちに、放火魔が」
半ば意識の外にあったが。少し前の事を思い出す。
元はといえばニコラスへの放火からこの件は始まったのだ。
ニコラスが焼かれた方面を指さすと、そこには煙が立ち込めていた。
「煙……火事ですか。行かなくては、歩けますか?」
そう言われた私は、立ち上がろうとしたが……。ダメだ。
酷使しすぎたせいで、脚はしばらく使い物になりそうにない。
「……では少々我慢してください」
そういうとブライアンは、私の腰へ手を回し――
「えっ? うわっ……」
私を抱きかかえ、軽快な足取りで歩き出した。
この歳でお姫様抱っこですか。
初めてされる経験なだけに、なんだかとても困惑する。恥ずかしい。
走りまくって汗だくなのに……そうでなくても何日も同じ服着ているというのに……ついでにトマトはくっついてるし……。
お姫様抱っこをされるにあたり、考えられるだけの最悪な要素がてんこ盛りだ。
自分でも引くくらい訳の分からない臭いを発しているのが嫌でもよく分かる。
……生まれて初めて赤面になった気がする。
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