半ば小慣れたチェイスバトル
割と足の速さには自信があるつもりだが、最悪な事にあの子供も相当なものだ。
さっきから走り続けているものの、全く差が開かない。
「まってよーぅ おねーさーん」
しかもむこうは全然息が上がっている素振りがない。
恐ろしい。真夜中に、ナイフをちらつかせる子供に追いかけられる。そんな体験をしたがる奴はいないだろう。今がまさにそれだよ畜生!
本調子なら。あるいはもう少し若かったらまだ走れただろうが、そろそろ私の息はあがり始めていた。
今日は何も食べてないからな……それだけパワーも出ないか。
育ちが良さそうな格好しているあちらはそんな事はないだろう。ああ恨めしい。
だが……。
「鬼ごっこはそろそろ終わりにしよう!」
私はあえて表通りではなく、裏路地の方へと進んだ。
身長の面で、小回りが利く向こうの方が有利となり、表通りではないので暗殺をする格好の場になるが、考えがあってのことだ。
「やーだぁー朝まで遊ぼうよーおねーさーん」
なんだか誤解されそうなセリフを吐きながら、私を追う暗殺者の子供、ソーサーは追いかけてきた。いや多分子供なのは見た目だけだろうな。あんな子供がいてたまるか。願い下げだ。第一全然タイプじゃない。
表通りと違って建物の陰になり、月明かりが射し辛い分、裏路地は暗いし狭かった。
だがそれでこそ、これは役に立つ!
「頼むよ! 今日の食費!」
成功する事を祈りつつ、私は懐から取り出した物を地面へと投げる。
念を押して、一つではなく複数だ。
普段ならこんなものに頼りたくはないが、今の私は貧民だ。こんな不確かな物に望みを託すしかない。
「甘っ……!? なにこれ」
私が撒いた物の一部が、後ろのソーサーの口に入ったか。
貴重な食費を削って作っただけに、なんだか癪だ。
「砂糖だからね! 欲しけりゃもっと舐めててもいいよ!」
私は本当の事を話した。タネがばれても問題ないからだ。
撒いたのは砂糖ではあるが、子供なら投げた飴に食いつくだろうとか、そんな浅はかな魂胆ではない。というより子供から逃げる事を想定してこれを作ったわけではない。
投げた複数の砂糖の塊のうち、数個が反応を示した。
「ええっ……!?」
ソーサーは驚いている様子だ。よかった、そのまま注意がそっちに向いててくれ!
その間に、私はこの先の分かれ道を利用して撒くとしよう。
暗く、狭い裏路地にモクモクと煙が上がっていく。
私が数少ない所持金をはたいて作ったのは、砂糖による煙幕だ。
あるものと混ぜると砂糖は煙幕代わりに使える。もっとも煙幕としては粗悪ではあるが、貧民に手が届く煙幕はこれくらいしかない。
暗殺者が出ると分かっている場に赴くんだ。これくらいの備えはしていたさ。おかげで今日は何も食べられなくなったわけだが、食い溜めしたブイヤベースが功を奏した。
頼りない煙幕だが、注意を引くには十分だろう。何せこの世界ではこんな事知っている者はそうそういないだろうからな。
そしてこの地形なら、この頼りない煙幕も煙幕としての役割をある程度は果たす。
私はチャンスを逃さないよう、細心の注意を払って道選びをし、裏路地で追っ手を撒いた。
「ふぅ……ふぅ……」
なるべく声を出さないように、乱れた息を整える。
もう足音はしない。物陰に隠れて休みながら、私は身体の老いを感じた。
だが、年の功とでもいうべきか。当時の私よりはスマートに逃げおおせる事が出来たぞ。ふははは!
まだアドレナリンが出ているのか、少々落ち着かない。
クールダウンだ……今後について考えよう。
まず、迂闊だった。死体の殺害の手口が二種類で、なおかつパトリシアが暗殺のリストを持っていたという情報を、くくりつけて考えたのは早計だったかもしれない。
別に本来の暗殺者がシレットと呼ばれていた放火魔だけとは限らなかったんだ。その可能性を考慮しなかった結果、今回ソーサーと呼ばれたナイフの子供に追われることになった。『仮説を優先すると事実を捻じ曲げてしまう』なんて言葉があったな。今回がまさにそれだ。よくよく思えば、ただの庭師であるパトリシアがあれほどスマートな暗殺をしていると考えたのは大きな間違いだった。もっと冷静にならないと……。
まあ反省は後でもいいか、日の出まではまだまだある。まだ安心はできない。
眠れないな。
まず寝てはいけない。今の私には住居はないから路上で寝るしかない。
そんな中見つかれば死は免れないだろう。
疲れたからといっても、せめて日が沈んでいるうちは眠れないな……。
ああっ!? けれど朝は新聞配達がある。眠れるのはそれが済んでからか。
随分とハードだなぁ……。何時間起きていたんだろう今日。
だがなんとか逃げおおせたんだ、この成果を潰さないようにしな――
「みーつけた」
「うわぁぁぁぁあああああッッ!?」
突然後方から声が聞こえた。
万一、人違いだったとしてもかまわない。少し前の時のように。いや、あの時とは比にならないスピードで、私は声のした方へ腕を付き出していた。
ドンッ――
何かがぶつかる感触だ。だが今回は大丈夫だ! 感触は脇腹ではなく私の掌からしか感じない。
「わーぁ デジャブ」
話しかけて来た者の言うとおり、またあの時のように突き飛ばされるソーサーが私の前に見えた。またお前か! そんなデジャブは求めてないよ畜生!!
分泌が収まりかかっていたアドレナリンが再度湧き上がるのを感じる。
クソッ。なんとか逃げ切れたと思ったのに、ずいぶんと舐めた真似をしてくれる。なにが「みーつけた」だ。ふざけやがって!
そしてまたあの時と同じく、鬼ごっこが始まってしまった。
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