仮説推論
ダイアナ、元の世界のセシリア、パトリシアの三人の聞き込みをしながら、じきに火事が起きるであろう魚屋を探していると、目当ての三人とは違ってすぐにその魚屋は見つかった。
マリンアンドキャリー。
なんとかアンドなんとか、といった店名の魚屋を知らないか、と聞いたらすぐに分かった。店主夫妻の名前か何かだろう。店の名前としてはシンプルだ。
記憶にある限りでは、明るいうちに火事は起きていた気がする。そろそろ起きてもおかしくないはずだが……。
結構な時間をその魚屋の見える位置で待ったが、一向に火事が起きる気配はなかった。
中々気持ち悪いな、喜んでいいのか悪いのか分からない状況だ。
未来を変えるわけにもいかない手前。火事が起き、死人が出ると知っていてもそれを止める事が出来ない。死ぬべき人間が死なずして、本来ある未来は訪れないのだろうが……見殺しをしているようであまりいい気はしないな。
記憶違いだったのだろうか。火事が起きるのは明日なのかな?
そう思った私は、魚屋付近を後にしながら、再度聞き込みを開始した。
大体察しはついていたが、収穫はまるでなかった。
気味の悪い色の髪をした疲れ顔の女性。目撃例の少ない騎士団D隊の隊長。鮮血のような紅い髪をした陰鬱な女性。
それらを探している者がいるという噂が広がっただけだろう。
徐々に日も落ち始めている。
暗くなる前に今日の寝床を探した方がいいかな……。
どこか適当な路地で寝るか、貧民街のマリアにはそれが分相応だろう。
いや、今後ここでの生活が長くなると考えれば、住込みの職場でも探した方がいいのだろうか。しかし、歴史を大きく変えるのは好ましくない。その点どこかで働くというのは後の歴史に響きそうだ。だが、いずれ食事の問題には突き当たるな、どうするべきか……。
悩みは尽きない。今後の生活について考えながら街を歩いていると、裏路地の方から悲鳴が聞こえた。野次馬を尊ぶわけではないが、今の私には情報が必要だ。一旦今後の生活について悩むのは保留だ。新鮮な情報を仕入れるべく、悲鳴のした方へと私は足を運んでいた。
ざわめく人だかりに、この鉄臭さ……。おそらく殺人だろう。死体を確認したわけではないが、なんとなくそういった雰囲気を感じた。
発見されてからまだ時間がそう経っていないのか、騎士もこの場には駆けつけていないようだった。
死体を見て気分を悪くしたような声。憐れみの声。動揺。ざわめき。
様々な声がこの場に交差する。
人が多くて死体は見えないな……いや、見たいわけではないが。
「ああ、なんと惨い……」
「どうしてこんなことに……」
「マリン……クソッ、何であいつが……」
人それぞれ、思い思いの感想を他人事の――。
いや待て、この場合聞き逃せない言葉が聞こえた。
反射だった。その名を耳にした瞬間、私はその名を口にした男に対し、
「マリン? 魚屋のですか?」
「ん? ああ。良い奴だったんだがな……」
何だと? だとすれば一大事だ。
その情報を知るや、私は人ごみをかいくぐって前へ出た。ここの死体が、あの魚屋の店主であれば歴史が変わっている事になる。本来は火事で夫婦揃って亡くなるはずだ。
人ごみの最前列へ行くと、想像通りそこには死体があった。
見ていて気分の良いものではないが、元騎士の私は死体を見るのは初めてではない。今頃この世界の私も、そのせいで吐きそうになっている事だろう。
正直今の私も吐きそうだが、今は観察が優先だ。
鋭利な刃物で喉を切られており、血はまだ乾ききっていない。
切り口は非常に鮮やかだ。上質な刃物で切られたのか。
あるいは相手の技術がとても優れていたのか、その両方か。
喉以外に傷はないな……必要最低限なスマートな一撃。背後から襲われたのか?
暗殺。
魚屋の主人。本来は火事で死ぬ……。妻も同じく火事で死ぬ。歴史が変わった。
私の中で様々な情報が繋がり、一つの仮説を導き出した。
本来は火事で死ぬはずの人間が、暗殺されている。
本来起きる火事によって出る死者は、魚屋の夫妻二人のみ。
本来の歴史も、火事はカモフラージュで、魚屋夫妻の殺害が目的だった?
そして、この場にある血はまだ乾いていない。暗殺者はまだ近くにいる。
だとすれば魚屋の夫人の命が危ない――。
そう思った私は、あの魚屋へと走り出していた。
魚屋に夫人がいるとも限らない。いたとしても、私が行ったところでどうにかできるのか? なんならもう手遅れかもしれない。様々な憶測が私の中で飛び交ったが、そんなことはどうでもいい。既に歴史は変わっている。だとすれば救われてもいい命もあるはずだ。そしてその命が救われるかどうかは、私の行動次第だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます