石を探す男
みのむし
琥珀と翡翠と孔雀石
男は、石を探している。どうやら落としたらしい。もしくは、欲しくなったから探しているらしい。どちらでも良いが、彼はとにかく石を探している。必要であるので、探しているのだ。
この世界では石がいる。賞賛による快楽を得るために、要る。ぎらぎらと眩しいほどの彩を放つ石を持った奴はまるで神か何かのように崇められる。男は石探しの歩みの理由として精神の豊かさと芸術的観念における美しさを求め、等と自身も解らぬような言葉を並べてはいたが、平易に言えば男は賞賛を求めているのだった。そんな訳で男は、煌めく大きな石、例えば琥珀だとか、翡翠だとかを見逃さぬよう、飢えた瞳で地面を睨んで歩いていたのだ。
暫く彷徨いていると、眩しいほどの向日葵畑に着いた。辺り一面の鮮やかな黄色の海の中、男は圧倒されて呆然としていた。そうしていると不意に、自分の背丈ほどある、頭でっかちで開きかけの向日葵がひょいと男に声を掛けた。
「やあやあそこの人、眉間にそんなに深い谷を作って何をしているんだい。」
男は向日葵をちらと見遣り、えふん、と畏まった咳払いをしてから、なるべく荘厳に答えてやった。
「決まっているだろう、石を探しているんだ。例えば琥珀のような。お前たちのようなただ能天気に日向ぼっこをしている奴らには分からんだろうが、俺の崇高な目的の為にそれが必要なんだ。」
向日葵はうんと一つ唸って、真上に上る太陽に向かって緑の背骨をぐうんと伸ばした。
「そんならお前さん、僕を連れて行けば具合がいいんじゃないかい。そうら見てご覧、きみが見つけた向日葵、つまり僕はもう少しすればこの中のどれよりも大きく煌めく筈さ。琥珀は無くとも同じような色をするだろうよ。そこに鉢がある、植え替えりゃ運んでいって見せる事も出来るだろう。」
瑞々しい葉っぱと、ちらっと開きかけて見える琥珀色の花弁をふんふんと揺らして向日葵が自信たっぷりにこう続けたので、男はじっと向日葵の黄色を見つめた。暫く眺めて、なるほど此奴は確かに美しくなる筈だと思ったのでふむと頷いた。
「よしいいだろう、お前を連れていこう。」
「それは良かった、水を忘れないでくれよ、きっときっと綺麗に咲いてみせるから。」
男は転がっていた鉢を取り、せっせと土を入れて、そこに彼を植えてやった。それから近くの小川に流れていた水を与えて、すたすたと歩き出した。
少し行くと、二人は人集りを見つけた。随分と賑わしいので、何事かと覗き込んでみる。ざわめきの中心で、小さな少年が琥珀を持って照れ臭そうに笑っていた。称賛の声は一向に鳴り止む気配を見せなかった。男は、下唇を強く噛み締めた。
通りがかった少女が、向日葵の花を見上げて言った。
「とっても綺麗な向日葵だね。もう少しで大きな花が咲くんだろうなあ。」
少女はそれきりでどこかに駆けていった。
「こんなもの何でもない、すぐ枯れちまってなんの役にだって立ちやしない。琥珀の方が余程いいだろう。」
一人残された男は赤面し、誰も居ない場所にこう吐き捨てた。更に男はその場に向日葵の鉢を乱暴に置いて、とっとと石を探しに戻っていってしまった。向日葵が乾いた声 で悲痛に男を呼んだが、一度も振り返らなかった。
男がまた暫く歩き回っていると、蛙の鳴く声が静かに響く湖畔に着いた。青々とした葉の上で涼む若草色の蛙の艶めきに、男はほうと溜息を吐いた。それを聞いた小さな蛙がきょろりと男を見て言った。
「やあ、そこの紳士殿。お疲れのご様子だが如何したかね。」
男は蛙をちらと見下ろして、ちょっとばかし襟元を整えてから堂々と言ってやった。
「決まっているだろう、石を探しているんだ。例えば翡翠のような。お前たちのような虫を喰っては鳴くばかりの奴らには分からんだろうが、俺の崇高な目的の為にそれが必要なんだ。」
蛙はぐえっと喉奥で一声鳴いて、葉の上で行儀良くぺたんと先の丸い三つ指をついた。
「そういったことならこの私を連れ行けば結構な事。私は今は小さな蛙に過ぎないが、もう少し大きくなりさえすればここのどの蛙より美しい色味になるのだよ。翡翠は無くとも同じような色をするだろう。どうかね、紳士殿。そこの小瓶に少し水を入れて運べば不便も無いだろう。」
愛らしい瞳と、水面のように艶めく翡翠色の背中をつやつやと輝かせ蛙がゆったりとこう続けたので、男はじっと蛙の緑色を見つめた。ぼうっと眺めて、なるほど此奴は確かに美しくなる筈だと思ったのでうむと頷いた。
「よしいいだろう、お前を連れていこう。」
「英断だ紳士殿、呉々も瓶の蓋を閉めたままにはしないでくれ給えよ。私はきみの翡翠となろう。」
男は湖の岸にあった小瓶に水を少し入れ、その中に蛙を迎え入れてやった。そして数枚の葉も一緒に入れてやり、ゆったりと歩き出した。
少し行くと、二人は賑わう広場を見つけた。やたらに人が多いので、何かあるのかと目を凝らしてみる。人の輪の真ん中で、美しい女が翡翠を手のひらに収め、嫋やかに微笑んでいた。感嘆の声が広がっては辺りを覆っていた。男は、ひとり目を伏せた。
通りがかった初老の男が、蛙の小瓶を見つめて言った。
「色艶の良い蛙ですな、もう少し育てば緑が更に映えるでしょう。」
彼はそれきりでまた歩いていった。
「こんなもの何でもない、ちっぽけでじめついていてなんの役にだって立ちやしない。翡翠の方が余程いいだろう。」
一人残された男は落胆し、薄暗い日陰でこう呟いた。更に男は瓶の蓋を閉めてそこに置き、さっさと石を探しに戻っていってしまった。蛙が悲しい声で小さく男を呼んだが、決して振り返らなかった。
男がまたふらふらとしていると、生き生きと木の葉が繁る僅かに雨の匂いのする森に着いた。暫く彷徨いていると唐突にかさりと柔い音を立て、優美な姿の孔雀が現れた。男は、言葉を失った。孔雀は厳かに男に言った。
「この人っ子ひとり居らぬ所に何用だ。」
男は孔雀に尻込みしながらも、髪を手櫛で梳かしてから粛々と言ってやった。
「決まっているだろう、石を探しているんだ。例えば孔雀石のような。お前のような羽を広げ闊歩するだけの奴には分からんだろうが、俺の崇高な目的の為にそれが必要なんだ。」
孔雀はすらとした首を少し揺らし、男の前ではさりと羽根を大きく広げた。
「お前は。」
鋭い瞳が、男を射竦める。羽の青い模様がぎょろりと睨みつける様に、男は感じた。
「美しいものは石ばかりと思っているのか。」
男の顔が歪んだ。刹那に浮かぶ向日葵と蛙が、万力のように彼の心を絞める。しかし男は毅然とこう答えた。
「ああそうだ。皆石が好きだからな、圧倒的な輝きに皆寄り付くのだ。」
「では、お前は自分の美しいものを捨て置いてでもそれが欲しいのだな。」
男は、何も言えなくなってしまった。男は、石を探していた。だが彼は花や、蛙や、孔雀に美しさを見出していた。ただ、認められないそれを皆に示し続ける度量が無かったのだった。今にも窒息してしまいそうな顔で男が黙っていると、孔雀が彼の目の前に孔雀石を差し出した。ごつごつとして、苔のようで、男の求めていた石とは全く別物のように感じた。
「残念ながらここにはこのような石だけがあるのだ。ここで最も美しいであろうものがそれだ。私はこれを美しいと思ったのだ。だからお前にやろうと思う。」
「嗚呼、なんだこの薄汚い石は。汚れていて荒削りだ、色も疎らでとても石とは思えない。」
男は、その石をそうっと両手で拾い上げて、僅かに涙を流した。涙が石に落ち、とろりと土と混じって流れていった。流れたあとに、柔らかな緑と青の波紋が見えた。
「しかし美しいだろう。」
孔雀が呼びかけた。男が応えた。
「嗚呼、嗚呼。」
男は、石を探すのをやめた。孔雀石を大事に抱えて家路を急いだ。誰も、彼も男の石をちらりとも見やしなかったが、ほんの数人が彼の様子と石の波紋にふっと足を止めた。男は満足していた。酷く遺憾だと言わんばかりの顔を繕いながら、満足していた。
次の夏のことだ。男の家の小さな庭に大輪の向日葵が咲いた。小さな池に数匹の蛙が遊んでいた。小さな家の窓辺に、よく磨かれた孔雀石の波紋が輝いていた。
石を探す男 みのむし @minomushi-007
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