幽霊と結婚する方法
三河安城
第1話
窓から見える木に、葉っぱはもうついていなかった。
その代わりに、黄色と紅の絨毯が広がっていた。
浅村小豆季(あさむら あずき)は、寡黙な少女である。
腰辺りまで伸びる漆のように艶やかな髪の毛。眼鏡の下の鋭い瞳。陶器のような白い肌。柔らかそうな唇。整った両手、健康的な足元。そのすべてが美しく、そのすべてが愛おしい。
しかしながら、うちのクラスの中ではそこまでの人気度は無い。
親友である高岡によると、「ランキングに乗せるのが烏滸がましい」という。
つまり、僕の所属クラスであるところの、1年D組の男子の中では、彼女は神のように崇められているというのだ。女神のように崇められ、畏れられている。
寡黙な様子がさらにその女神さを際立たせている。
まあしかし、それでも僕には関係がない。
というか、何もできない。
なぜなら、所属クラスとはいっても、あくまで僕はここにいるだけであり、ここからは出られないからだ。
僕は、このクラスの地縛霊だ。
死因は、ここでは言わないでおこう。とりあえず、地縛霊だ。このことに関して嘘は全くない。
僕は、ここのクラスの地縛霊であり、守り神なのだ。
始業式のことである。今年で10年目を迎える僕は、やはり皆が式に出席している間にもこのクラスにいた。僕は、この時期が好きである。
柑橘っぽい香り。草花が活発な景色。窓の外から見える海が、より一層青々と輝いている。
「気持ちが良いのう」
ぐうっと背伸びをして、深呼吸をする。窓枠に座って教室を一瞥しようとすると、窓枠に手をかけた段階で、何か不思議な感触があった。感触というか、予感というか、そんな感情が沸き起こってきた。
恐怖を感じつつも、窓枠に勢いよく座り、バッと体を反転させた。
勢いが大事だと思ったからだ。先制攻撃してやろうと、そう思ったのだ。ドキッとしてこちらが主導権を握ってやろうという魂胆だった。
しかし、その魂胆は全く以て無駄になった。
反転させた先には、一人の少女がいたのだ。
「……は、はあ?」
この時間は始業式のはずで、誰もこの部屋にはいないはずだ。なのに、飄々と、当たり前のように本を読んでいる少女がここにいる。
不良であれば、何かしらの納得が行く。理解はできないが、不良ってあんまり学校単位の行事に参加しているイメージが無いので、「始業式サボったんだ」くらいには思う。
しかし、少女である。しかも、サボタージュしなさそうな、真面目そうな少女である。
本の内容は分からないけれど、きっと純文学辺りを読んでいるに違いない。
眼鏡越しの瞳は、彼女の表情に反して、色々な感情を表しています。
笑ったり、感動したり、怒ったり、恥ずかしがったり、考えたり。
そんな瞳をしている。
……って、感動している場合か。
話しかけて、式に戻らせなければ。
「……おーい」
一度話しかけてもこちらを向かない。それくらいは分かっている。
ここは、多少のセクハラも仕方がないだろう。
なるべく、引っかからないように、肩を叩くくらいで……
「あの、さっきからなにしとんのですか」
「ぎゃあっ!」
先制攻撃をしたのは、彼女の方だった。
「あの、別にその辺で遊んでもらうんは、ええけんども、読書のじゃましたらかんで」
どこ訛りなのだろうか。なんとなく、西寄りな気がしないでもないが、やはり分からなかった。
「ええと、いや、その。始業式は?」
「ああ、サボった」
「……いやいや、そんな軽く」
「だって、つまらんもん」
「……あの、さっきから気になってんですけど、それ、どこ訛りなんですか?」
「え、これ?いやあ、どこ言われても、分からんわ。父方の爺さんは広島やし、婆さんは博多。母方は、名古屋と豊橋だで、しかも色んなテレビ見るしな、だもんで、よう分からんね」
「……そ、そうですか」
見た目と言葉遣いのギャップが大きすぎて、何も言えない。
「……あの、でもサボるって、今後の生活に支障きたしません?友達とか」
「まあでも、その時はその時やろ」
快活な少女である。あっけらかんとした雰囲気は見習いたいものである。
「じゃあさ、友達一人も作れんかったら、友達になりん」
「……なりん?いや、まあ、良いですけど」
「じゃあ、もう作らんでよかね」
「……いやいやいや、ちゃんと作った方が良いですって」
「冗談やて」
気づけば、始業式は終わっていた。
自己紹介の時間も過ぎ、さっそく彼女は孤立していた。それもそうだ、自己紹介で「一人が好きです」と言ったら誰だって近づくのをやめるだろう。僕だって、生きていたら友達にならないタイプだ。
「じゃあ、今日はこれで終わりです。明日には、学力テストがあるので、頑張ってくださいねぇ」
今年の担任は女性だった。まあ、これが良いのか悪いのか、さっぱり分からない。
……ん?いや、待てよ。
あの人、見覚えが……。
名前、なんて言ったっけ?
「ああ、あの人は坂添佐都(さかぞえ さと)やって」
気づけば、教室には誰もおらず、この女子―浅村一人になっていた。
「あれ?帰んないですか?」
「この小説、今ええとこやねん」
「……へえ。というか、案の定一人じゃないですか。良いんですか?女性って結構友達作るの速いみたいですし」
「……何とかなるって」
絶対何とかならない時のそれだった。
「というよりさ、君、なんで成仏せんの?」
「まあ、確かに」
それについては、僕も知らない。
「実際聞いてみたかったけんども、成仏って幽霊的にはしたいもんかい?」
「……」
と言われても、やったことがないのだから分からない。
「じゃあ、私の友達作りに協力してもらう代わりに、君の成仏を手伝うよ。ほんだら、丁度ええやろ?」
「……それ、良いですね。成仏も興味ありますし」
「じゃあ、明日から作戦開始!」
翌日。僕は、洗いざらいクラスの情報を調べた。なるべくなら女性の方が良いのだろうけれど、この際男女を気にしていられない。とりあえず、僕と話せて、彼女と友達になれるやつがいればいいのだ。
昼休みのことだった。
もうすでにカーストが形成されつつあるクラスの、その男女トップ同士が、僕の目の前に現れた。
「……あのさ、ちょっといいかな?」
名前は、確か飯島伊波(いいじま いなみ)。ポニーテールをしている、ザ・運動部だ。
「……ちょっと、話してえことがあんだけど。放課後、良いか?」
こちらは、ええと、高岡猛(たかおか たける)。高1ながら180㎝あるという、化け物じみた体格を持つ。きっと野球部だ。そんな見た目をしている。
「……えっと、僕ですか?」
そう尋ねると、両方静かに頷いた。
「わ、わっかりました―」
なんか、ボコられる雰囲気が充満している。
そんな感じがして、僕は震えが止まらなかった。
放課後。
相も変わらず、浅村さんはそこで新たな本を読んでいた。
「で、そのぉ、お話って」
恐る恐る聞くと、目の前の男女は戸惑い始めた。
しかし、最後には伊波さんから話し始めた。
どうやら、伊波さんの方が勇気があるらしい。
「……あなたって、幽霊、ですよね?」
「ええ、まあ」
「わ、凄い。本物だ」
「それが、どうかしたんですか?」
これくらい、何度かあった。なので、慣れている。
「あの、やっぱり、成仏とかって、手伝った方が良いんですか?」
そんなことを訊かれても、僕は答えを知らない。
「……いやあ?分からないっすね」
「でも、したいですか?」
「してみたい気持ちはあります」
「なんか、初めてのカラオケみたいですね」
絶妙に分からない例えをしてくる。
「じゃあ、私達で、成仏のお手伝いします!大丈夫です、これでも彼の実家は専門家の家系ですし、私の家系は陰陽師なので」
……僕よりも特徴的な家系だなぁ、おい。
「じゃ、じゃあお願いしようかな」
いや、待てよ。
思い出す。
ちらっと浅村さんの方を見ると、ものすごい表情をしていた。
嫉妬の権化のような顔をしている。
「えっと、条件がありまして」
二人は、首をかしげました。
伊波さんの方は、ちょっとかわいいなと思いました。
「あの子、浅村小豆季さんと、友達になってもらえますか?一応彼女も、成仏するとかしないとかで約束がありまして」
「……それだけですか?」
「へ?」
色んな返答を考えていたが、まさかそんなことだとは思いもしなかった。
「それくらいだったら、別に。大丈夫ですよ、巻き込んだりしませんし。二人とも、少人数の方が好きそうですし……。じゃあ、こうしましょう。私と高岡とあなたと浅村さんと、4人で活動しましょう!」
浅村さんは、静かに頷いた。
トップになる風格がもろに出てくる瞬間だった。
さすが。これが、今話題のリア充という奴か。
こうして僕たちは、僕を成仏させるチームとして動き出したのだった。
後日談。時期を戻して、秋。
僕は、すっかり高岡と仲良くなっていた。
「なあ、高岡」
「なんだい、守り神」
「やめろその言い方。で、伊波さんとはどんな感じなの?」
「どんな感じと言われても、幼馴染だしなぁ」
「……え⁈幼馴染だったの⁈」
「うん、まあ」
「でも、お付き合いはしてないってやつかぁ。なるほどなぁ」
「いや、してるよ」
「してんのかい!」
「それより、俺はそっちの方が心配なんだけど」
「そっちって?」
「お前と浅村さんだよ」
「何でそんな話になんの?」
「だって、仲いいし」
「いやいや、僕の場合、あっち側が断るでしょうよ」
「でもさ、もう秋だぜ?それで成仏できてないって、もうそれ成仏させる気ないんじゃないの?」
「そうかなぁ」
まあ、ここまで計画が進んで、なお失敗しているのは初めてである。
……いやいやまさか。
彼女の方を見ると、本を読みながらちらちら僕達の方を見ていた。
怪しすぎる。
本のタイトルはなんだろうか。
僕の角度から奇跡的にタイトルが見えた。
……いやいや、まさかな。
そのタイトルが本当になる日が来るのだろうか。
幽霊と結婚する方法 三河安城 @kossie
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