第9話:内蔵リモコン



 ジェーンが入ってすぐのうちはダクトの中から何やら物音がしていたが、じきにそれも聞こえなくなった。中で何かよくないことがあったか、音が聞こえなくなるほど遠くへ行ったかのどちらかだろうが、俺もゲイも後者であることを祈っている。


「ジェーンさん遅いですね……」


 あれからかなりの時間が経ち、待ちくたびれたのか、パソコンデスク前の椅子に座っているゲイがそう口にする。


「そうだね……」


 ダクトの中に入った経験などないので、中がどれ程の迷宮かなんてのは俺には知る由もないが、退屈を感じるには十分すぎる待ち時間だ。荒く見積もれば一時間ぐらい経った気がする。


「まぁ、俺達の体じゃ探しに行けるわけでもないし、待つとしよう」


 暇つぶしとして、待っている間に先程の通路や廃ビルを再度探索に行くという手もあるが、ジェーン宛ての書置きを残せる道具もないし、あの通路はできればもう通りたくない。行きだけ反応しなかったってだけで、帰りに落とし穴の類が発動しないとも限らないし、無理は冒さないのが賢明だろう。


「失礼、俺も少し座らせてもらっていいかな」


「は、はい……」


 ただ待つだけか、いらん危険を冒すかなら前者を選ぶ。だがしかし、かれこれ一時間くらい立ちっぱなしなのは流石につらい。


 ダクトの蓋を破壊し、疲れた様子だったのでゲイに椅子を譲ったわけだが、そろそろ俺の脚も限界だ。立ちっぱなしでしんどくなる感覚も久しい、こんなのは学生時代の朝会か何か以来だ。歓迎すべき感覚ではないが。


「はぁ……」


 ゲイと入れ替わり、パソコンデスク前の椅子に座る俺。


 ジェーンの体だからか、若干貧血の気も出てきた。血が足りてるかどうかというと無い方だろう、日常的に出血してるだろうし……。


 デスクに肘を置き、袖口から覗くためらい傷を尻目に俺は思いをはせる。


 あんまりにも痛々しいので、ゲイにはなるべく見せるまいと袖口を押さえると……。



 ピッ。



 手首を押さえたタイミングに合わせ、すぐそばで機械音が鳴る。


 まったくの予想外だったからか、ゲイは少々飛び跳ねていた。俺も声が出かかったが、音の正体が視界に入ってきたのを確認したのでそうはならなかった。もっとも、何故こうなったのかまでは分からないが……。


「ひっ……な、なんですか……?」


 恐る恐る、ゲイが俺に近付き状況を尋ねる。


 俺も状況が分かっているわけではないが……。


「……さっきまでもこんなだった?」


 パソコンの画面を指さし、俺はゲイに問いを返す。


 ジェーンはパソコンにはパスワード入力画面があったと言っていた。だが、今パソコンに映っている画面はそれには見えない。


「いいえ……。私が座っていた頃はパスワード入力の画面でした」


 ゲイもこう返答しているし、この短い間にパソコンに変化があったことは明白だ。何があったのだろう、実はこの体の手首にはマイクロチップだか何かが埋めこまれていて、その内蔵スイッチを押したからこうなったとかか?


 冗談半分の仮説ではあるが、この体は切り傷の痕なら事欠かないし、体が入れ替わったりなんてしている現状、あり得なくもないような仮説だ。まあ何が起きてもおかしくないと言ってしまえばそれまでなのだが……。


 だがしかし、こういった変化、とりわけ我々にとってプラスになりそうな変化が起きる要因として考えられるのは……。


「ジェーンが何かしたのかな?」


 若干希望的観測感も否めないが、考えられる仮説としては一番しっくりくる。少なくとも手首内蔵マイクロスイッチよりはマシだろう。


「そう……かもですね」


 判断材料が少ないので結論は出せないが、ゲイもこう言っていることだしそういうことにしておくとしよう。


 とはいえだ……。ログイン? できたからってドアを開けるボタンとかがあるわけじゃないんだな……。デスクトップには、いくつかのデータファイルがあるのみだ。


「これ何て意味か分かる?」


 いくつかあるファイルを指さし、ゲイに問う。


「『資料』です」


 若干「こんなのも読めねぇのか」感を感じたが気にしないでおくとしよう。どうせ俺は文系ですよ。過去の記憶は相変わらず思い出せないがたぶんそうだろう。じゃなきゃおそらく『資料』くらいは読める。たぶん。


 まぁ俺の英語力はともあれだ。


「見てみる?」


 パソコンに触るのは危険かもしれないと分かってはいつつも、俺もゲイも長い間待たされて退屈を持て余している。こう考えてしまうのも無理はない。


「……分かりました。どうぞ」


 ゲイが頷き返答する。返答が、「見たい」といったようなものでないあたり、翻訳要員として頼られていると解釈したのだろうか。まあ真偽はどうであれ、ファイルを開いてみる流れとなったので、俺はマウスを手にする。


 ファイルにカーソルを当て、右クリックをしたところで俺の眉間にはしわが寄ったことだろう。右クリックしたら出てくるあれに書かれてある字は日本語ではなかったからだ。


 だがしかし、開くだけならどうせ操作は同じだろうと一番上にあるボタンをクリックすると、案の定ファイルの中身が開かれた。


「うわっ……」


 中身を目にした俺の口からは自然とそう漏れる。


 英字新聞のように、大量のアルファベットがずらーっと並んでいる。それを認識しただけで、俺の脳は考えることを放棄したらしい。当然だ、分かるかこんなもん。


「……分かる?」


 俺には無理だ。理由を考えるまでもなく確信としてそれはある。


 であれば分かる人にゆだねるとしよう。


 だがしかし、ファイルの名前は「資料」と、ゲイは読めた様子だったので中身も英語かと思ったのだが……。


「……これは英語じゃないですね。読めません……」


 俺には全然違いが分からんが、ゲイもお手上げらしい。


 それでも何か分かるところは、と詳しく聞いてみたのだが、そもそも文法がおかしいだとか、単語自体がアナグラムになっていたりだとかで暗号のようになっているらしい。確証はないにしろ唯一読めたのは『三以上』『分からない』『しばらくかかる』くらいだ。


 何語かも分からない上に暗号になっているともなれば、内容を理解するのは無理と結論付けていいだろう。俺がケンブリッジ大の入学試験に挑戦するぐらい無謀だ。言葉も分からねぇのに謎解きなんてできるわけがない。


 だがファイルを開いてしまった手前、とりあえずざっと全部見てみようと文面をスクロールしていると、


「ん?」


 文字が読めなくても問題がないようなものが目に入った。


 アルファベットの海の中に、写真が姿を現す。ネズミが二匹と、後ろには何かの機械があるように見える。


「黒と白」


 二匹のネズミは色が違った。だから何だという話だが、欠片も分からないものばかりを目にし続けていた中、認識できるものが目に入れば自然と声に出てしまう。


「ペットでしょうか……?」


 ゲイも写真を目にし、口を開く。


 俺としては実験動物か何かだと思うのだが……言わないでおこう。知らない方が幸せかもしれない。


「かもね。……ちょっとまずいものが映るかもしれない。しばらく外してもらっていかな」


「……?」


 ファイルの続きに、脳を露出されたネズミの写真でも出てきたらトラウマものだ。なんならフェレットや、それ以上のものが出てきてもおかしくない。少女にそんなものは見せない方がいいだろう。


 考えうる最悪の動物の写真なんかを見せられるのは俺もごめんこうむりたいが、この場にはジェーンもいないので人柱になれるのは俺一人だ。ホラーなサイトでも覗いているような気分だが、続きを見るべく俺は更に文面をスクロールする。


 スクロールバーの位置を見るにこのファイルの終盤で、また一つ写真が俺の目に入ってきた。何が映るか分かったものではないので、まだ写真のわずか上部しか画面に入っていないが、いつまでもまごついてはいられない。覚悟を決めて画面をスクロールさせ、写真全体を画面内に映るようにすると……、


「ん……?」


 何の写真かを認識した途端、俺の口から自然に疑問の言葉が漏れる。


 結論から言って、写真には人間が数人映っていた。


 とはいっても、解剖されているだの、実験体のような格好をしているだのという訳でもなく、白衣姿の科学者のような面々だ。だが俺が気がかりなのは――。


「……見てもいいですか?」


 疑問というか疑念なのだが、不確かなそれについて考えようとしたところで、俺が写真を見つけたのを察したのかゲイが話しかけてきた。


「うん……」


 考え事をしながらの返答なので生返事となったが、別段子供に見せられないような写真ではないので問題はない。画面を覗き込むゲイと共に、写真を見る俺なのだが……どうも一人見ていると胸騒ぎがする人物がいる。


「パーティでしょうか? 飲み物とかも映ってますし」


「ん……? そうだね……」


 パーティというには小規模だが、確かに雰囲気としてはそんな感じだ。例えるなら部員の少ない部活の打ち上げみたいな感じか? 白衣姿なあたり研究チームか何かなのだろうが……。


「ねぇ、この人どう思う?」


 どうにも胸騒ぎが気持ち悪い。ゲイに訊いてみたところで何が解決するという訳でもなさそうだが、不安から逃げるように俺はゲイに問いかけた。


「誰ですか?」


「この……左端の」


 指をさし、対象を伝える俺。


 俺としてはこの人物を見ているだけで、何故か妙な気分になるのだが……


「綺麗な髪の人ですね、こんなに長いのにとってもいい髪に見えます。こういうことに手入れを惜しまない人……に見えますが、この人が何か?」


 ……元の体を見るに、ゲイも髪が長かったな。同じロングの髪の女性となれば意識はそこに向くのだろうか。たしかにまあ汚い髪だとは思わないが……。


「……いやごめん。なんでもない」


 やはり俺がおかしいのだろうか。


 綺麗な黒髪の女性、この人物を見て抱く印象はそれが普通なのだろう。


 だがしかし……ではこの疑念は何だ? 記憶から消えているだけで、実は俺はこの人物を知っているのか? 


 記憶を思い出すきっかけになればと、その人物の顔を注視していると……、


「――ッ!?」


 突然、ズキンと頭に痛みが走る。


 何かこんなこと少し前にもあったな……たしかトイレの鏡で――。



 ウィーン……。



 頭痛に軽く頭を押さえながら昔を思い出す俺だったが、突如部屋にあった自動ドアが開く。何の前触れもなく開いたので、当然俺もゲイも注意はそちらへ向いた。


 そして……コツ、コツとゆっくりとした足音と共に何者かが部屋の中に入ってきた。ジェーンの足音ではない、こんな硬そうな足音のする靴は履いていなかったはずだ。


 見間違えようはずもない。突然部屋に入ってきたのはジェーンではない。そしてできることなら誰か目の前の人物が誰なのか説明をしてほしい。


 身構える俺の目に映っているのは、白衣姿の初老の男性だった。

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