第8話:(#三)<ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ーッ!!!



 扉は開いた。


 ならばあとは進むのが道理だ。とりわけ、そこ以外に進める場所がない場合は。


 だがしかし、そうも簡単に足は踏み出せないでいた。


「どう思う?」


 露わとなった通路の前に並ぶ我々三人。


 どちらにという訳ではないが、俺は意見を求めた。


「景観が急に変わったわね。廃墟みたいなここと比べて、すごくハイテクな感じ」


「私もそう思います……」


 三人の見解は同じらしい。


 不気味なくらい真っ白な床、壁、天井。特に壁なんかはクッションみたいな素材で出来ている。灯りも特殊な物なのか、明るいがとても真っ白で温かみは感じられない。


 そんな景観の通路を前に、ふと俺の頭にはゾンビゲームに出てくるような生物研究所が想起された。脳が向き出しの舌が長い怪物でも、弱点部位を潰さない限り再生をし続ける怪物だろうが願い下げだ。体が入れ替わっているなんてアンリアルな事が起きている現状、マジでそういった類が出て来てもおかしくはない。


「これでもまだ進んだ方がいいと思うか?」


 ジェーンに目線を移して訊いてみた。


 景観のハイテクさが上がり、警戒するべき物も増えることだろう。赤外線の警報装置だ、曲がり角ではち合う生物兵器だ、毒ガストラップだ、疑い出してはキリがない。


 だが……。


「他に行ける場所もないしね。それに……」


「――ッ! おいッ!?」


 図太いんだかイカれているんだか、ジェーンは予告も無しに大胆な手に出た。



 カランカラン――。



 ジェーンのカバンから取り出された化粧品が通路の方へと投げ込まれ、床に転がり音を立てる。何かのセンサーとかが反応したらどうするつもりだったんだこいつ……。


「ほら、まだ大丈夫そうじゃない?」


「『まだ』って……チキンレースじゃねぇんだぞ。危なっかしい……」


 ぺしぺしとジェーンの頭を軽く叩きつつ、俺は応対する。


 二、三度叩いたあたりで、本来の体の持ち主は隣にいたのだと気付き、一旦俺はゲイの方へと視線を移した。


「……何ですかこれ?」


 俺のことをジト目で見ているかとも思ったが、ゲイの視線は投げ込まれた化粧品の方へと向いていた。


「……ん。ああ、化粧品だよ」


「ああ、なるほど。どうりで」


 そうか、ゲイにとっては化粧がされた自分の顔を見るのは珍しいわけか。


 ……。


 改めて思えば、ジェーンは化粧品の入ったカバン、ゲイはカードキーと何かを持っているが、俺だけ何もないな。何故だ?


 ここで目覚めた理由は拉致だとして、元々持っていた荷物を剥奪されなかったとみるのは不自然だ。俺はあんなカードキーを持っていた記憶はないし、ゲイだって化粧がされた自分の顔を珍しがっているあたり、普段から化粧品を持ち歩いていたとは考えられない。


 誰かがここで目覚める前に忍ばせたとみるのが妥当だが……だとしても何故ジェーンの体、俺だけが何も持っていないのだろうか。


「あっ……!」


 ふと湧き上がった疑問に思いをはせていると、突然おっさんの声が聞こえた。まあ、俺の体、ゲイの発言だが。いや俺はゲイではないが。


「は!?」


 脳を考え事モードから、現実を見るモードに変えた途端に現状は理解できた。同時に、面白くもねぇ言葉遊びに興じている場合ではないことも。


 なんとまあ……。


「行きましょ。人柱は私がなるわ」


 ジェーンの体はドアの向こう側、つまり通路の中へと移動していた。


 図太い? 軽率? イカれている? どれかは分からない。メンヘラの考えていることは分からん……。


「距離を置いてついてきて、それならいいでしょ?」


 そう言うとジェーンは踵を返し、通路の奥へと進んでいった。


 何なんだ。急にどうしたというのだ? フロンティアスピリットのつもりか?


 だがしかし、我々の人格が入れ替わっている以上は一蓮托生だ。誰かを孤立させるわけにもいかない。そうとはわかっていてもなかなか足は踏み出せずにいたのだが、


「ま、まってくださいー!」


 ここでゲイの後姿が俺の視界に現れ、通路方面へと進んでいったのが見えた。


 ゲイとしては何が起きるか分からない不安よりも、帰りたいという気持ちの方が強いのだろう。この場合少数派は俺か……仕方ねぇ……。


「待って、お嬢ちゃん。配慮を汲もう。ジェーンの言うとおり離れてついていこう」


 小走りでゲイに追いつき、手をつかまえて俺はそう口にする。


 か細い女の、この体で触れてみると……俺の手って意外とごついんだな……。振り払われたら容易に手が離れるなぁ、なんて思ったがそれも杞憂となった。


「――ふふ。ええ、ゲイを頼むわ。手を離さないでね」


 俺がゲイをつかまえたのを確認し、微笑みながらジェーンは俺に語りかける。


 危険な役割を率先して引き受ける者の笑みは、恩恵に預かる者を複雑な心境とさせるには十分だ。映画とかでよくある、確実に死ぬと分かっていながら殿を務める奴を見送るシーンなんかは当事者としてはこんな気分なのだろうか。


 笑みの真意はともあれジェーンの指示通り、ジェーンを先頭に、我々二人は数歩離れて通路を進む運びとなった。



 


 どこを見ても真っ白な温かみもクソもねぇ通路を進み、二、三度曲がり角を曲がった先、ついにこの不気味な通路も終点を迎えるらしい。


 正直曲がり角の先を覗くジェーンを後ろから見ているだけでも気が気ではなかった。ホラー映画なら道の向こう側に引きずり込まれてどうこう、なんて展開が繰り広げられていただろう。そうなってもおかしくないような景観、シチュエーションだ。


 最後の曲がり角を覗いたジェーンはこう口にした。


「部屋が見えるわ」


「どんなだ? 誰かいるのか?」


 小声でジェーンに問いかける俺。


「音はしないわね。そんなに大きな部屋じゃなさそうだけど、ここからじゃなんとも」


 そう返答し、すぐさま「見てくるわ」と言い残して曲がり角の先へと消えていったジェーン。見えないのは不安なので、小走りで先程ジェーンのいた曲がり角の元へとたどり着き、角から様子をうかがう俺とゲイ。客観的には子供を先兵にするメンヘラ女とおっさんという光景なのだが、勝手に動いているのはジェーンだ。致し方ない。情けないのは否めないが。


 通路の奥にあった小部屋にジェーンが消えたのを皮切りに、しばらく待つと、


「大丈夫そうよー。来てー?」


 部屋の入り口からひょっこりと顔を覗かせてジェーンが我々に語りかけてきたので、俺はゲイを連れて部屋へと合流する。これが手の込んだ脱出ゲームとかなら賞品を期待してもよかったのかもしれないが、俺の期待に応えてくれる物は部屋には何もなかった。


 部屋にあった目を引く物といえば、簡素なデスクに置かれたパソコンと、配線を見るにそれと繋がっているであろう電子ロックのかかったドアくらいだ。


「またこの手のドアか、しかもカードキーで開くタイプじゃないな……」


「そうね。おそらくパソコンを使って開かせるんでしょうけど、あなたはどうせやるならローリスクな方からって言うんでしょう?」


 俺の所見にジェーンが言葉を返す。


 確かに何が起きるか分からない以上、得体の知れないパソコンに率先して触りたいとは思わないが……、


「ローリスクな方というのは?」


 狭い部屋、少ない物とで選択肢が少なく、他の手段が思いつかないので当人に訪ねる。まさかここまで来て一旦廃ビルの方へ戻ろうとか言うんじゃないだろうな……。


「ん」


 簡単な声掛けと共に、ジェーンはある場所を指さす。


「ダクト?」


「ええ、この体なら通れるわ」


 またこいつは危険な役回りを……。


 何だ? 死にたいと思っているのか?


 不可解も不可解だが、こんなことをしているような奴だ、これだけで断定はできないにしろ、そう考えてしまうのも無理はないだろう。


「何故そんな危険な役回りを率先して引き受けようとする?」


「他に選択肢がないからよ。パソコンを見た? パスワード入力画面があるでしょう、あんなの正解を知らなきゃ破れるわけないじゃない」


 口ぶりから察するに俺たちの知らないところでパソコンも多少調べていたわけか。流石に入力まではしていないだろうが……。


「まぁ確かに……パスワードを連続で間違えると良くないことは起きそうだな」


「でしょう? ならあてずっぽうのハッキングは保留にして、別の手に出た方がいいと思わない?」


 理には適っている。


 だが……。


「危険だぞ。いいのか?」


「今更それ言う?」


 確かに……。


 通路を歩くのに先頭を任せておいて言えた立場ではないか。


「……分かった。だが通ろうにも、蓋はどうやって外すんだ?」


「そこはほら、大人二人がかりで蹴ったりすれば……」


 勇気なくしてできない計画の割に、初動は原始的だな。


 だが素人にハッカーの真似事を強いるよりはよっぽどいい。未だ記憶は曖昧だが、英語に疎い俺にハッカーだかクラッカーの真似事をさせるよりはよっぽど効率的だ。クッキーやストールを作れという命令で二択を迫られてもまだそっちを選ぶね。記憶が曖昧でも直感的に理解できる。数字苦手だわ、俺。


 それらに比べれば物を壊すくらいなら安い注文だ。さて、とりかかるとしよう。



 ゲイと共に、某宇宙船のエンジニアさながらにダクトの蓋をストンピングすること数分。


 蹴り始めてみた当初、この忌々しい蓋はあまりにも外れそうなそぶりを見せなかったので、ジェーンの持っていたメイク道具などを用いてネジを外そうかという試みもあったが、結果としては必死こいて二本外すのがせいぜいだった。唯一使えそうだったまつ毛を挟む拷問器具のようなフォルムのメイク道具(ビューラーというらしい)は壊れてしまい、結局また振り出しに戻ったという訳だ。最終的には暴力で解決するしかないらしい。


 靴も所々傷付き、足にも痛みが走ってきたが、その時は突然やってきた。


 ガコン! と音を立ててダクトの蓋が外れる。見たかった穴の御開帳だ。散々苦労をさせられた分、今の俺にはこんな音でもファンファーレに聞こえたね。


「やっとか……」


 痛む足の裏を床でなだめつつ、俺の口からそう言葉が漏れる。


「つかれたぁ……」


 ゲイも俺と同様お疲れのご様子だ。


 体のスペック的には一番頼りになるはずだが、こんな暴力的な事はやりなれていないのか蹴りもたどたどしかったのだが、それは最初期に限った話だ。最終的なトドメはゲイのストンピングだろう。慣れは人を変えるな……。


「おつかれー」


 ねぎらいの言葉と共に、ゲイの額をハンカチで拭うジェーン。


 俺としては自分が少女に汗を拭かれている光景が生で映されているわけだ。うん。中々に微笑ましい光景だ。


「じゃあ適当に探索してくるから、しばらく待ってて」


 粗方汗を拭き終わったのかジェーンはハンカチをしまい、そう発言してはダクトへ入り込むそぶりを見せる。


 俺は拭いてくれないのか。あっ、おっさんの汗付きのハンカチは自分の体へこすり付けたくないか、そうかそうか。


 一連の光景から、間接的に少女に体臭で嫌われるおっさんが想起され、それに心を痛めているとその間にジェーンの姿はダクトの奥へと消えてしまっていた。


 別段体臭がキツいと自負はしないが、無事にここを出られたとなれば香水の一つでも検討してみるとしよう。

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