応援コメント

第4話 科学考」への応援コメント


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    成程、娯楽に生きる、ですか...

    確かに、知識欲も承認欲求も封じられた人類は、一直線に娯楽に走る以外の選択肢は無いですからね...

    その視点は有りませんでした、感服です。


    以下、余談。

    では、どうせなので僕の持論をば。

    先ず、作中で『科学が神と崇められる程に全知全能になる日は来ない』とのことでしたが、それは間違いなく正です。

    何故なら、作中で語られたように、真理を科学が取り込むことは不可能だから。

    例として、今ここで僕が″科学すらも人類の創作物に過ぎない″と語ったとして、それはどう足掻いても科学では証明も反証も出来ませんよね。

    真理は下位の論理では否定も肯定も出来ない、それ故に真理なのです。

    さて、それを踏まえた上でですが、僕はこの命題についてこう考えていました。

    ″人類は自滅する″

    なにも難しい話ではありません。
    すべてを取り込んだ、神と化した科学は、要するに人類から″未解明″を文字通り消滅させて、社会を人類無しで回すことを可能にしまうわけですが、

    そうなると当然人類は考える必要性を失います。
    考える必要性を失えば、脳が退化し、快楽などの五感や精神に由来する性格等を除き、思考能力を失っていきます。

    人類という生き物は楽に流されやすいので、その内性格すらも消え失せるかもしれません。

    そうなってしまえば最早、それは人間であるとは言えないでしょう。

    人類は一周回って猿に戻っていくのです、ゆっくりと、ゆっくりと。

    そう考えていただけに、正直″ちゃんと娯楽に溺れられる″可能性は思考の埒外でした。

    そうですよね、愚かさも一周回って逆に賢く、娯楽を人間として楽しむことだって出来るはずですよね。

    何はともあれ面白い話でした。
    これからも機会があればネタを提供させて頂けると幸いです。


    (どうでもいい話ですが、僕のユーザーネームの語源は″武藤″では無いです。どちらかと言えば″糖″分が重要。
    まあ覚えておいても1銭の得にもならないです。忘れて下さいw)

    作者からの返信

    無糖紅茶様、感想をありがとうございます。

    私自身、最初の結論は人類の滅亡だろうな。と考えていたのですが、もう少し思考を深めていこうとした結果、ああなりました。盲点を突く形になってほっとしています。

    実は、この話を考えているうちに、もう一つ思ったことがあったので、番外編か本編かいずれかの形で今日中に投稿すると思います。この話からの派生形ですので、暇でしたらお読みになってください。

    あと、武藤の件ですが、ごめんなさい。適当につけちゃいました。『むとう』と打ったら『武藤』と変換されてしまったので、そのまま採用しちゃいました。なるほど、"糖"分が重要なんですね!(分かっていない)