応援コメント

第3話 命価考」への応援コメント


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    未来の機械を出すなら、人格コピーで命の価値を大幅に減らせると思うんですよ。
    意識そのものはコピーできないけど、コンピュータ上で脳神経細胞の反応を1つずつ正確なシュミレーションすることは将来的には可能。それを使ってスキャンした脳細胞全てを正確にシュミレーションしたら、脳と等価のものだから同じ意識が発生するのも可能。初めのうちは仮想空間から出れないけど、技術の進歩で脳をロボットに搭載することもいずれ可能。

    死んだら自分のコピーが動き出す。そんな未来でなら命は軽いと思うんですよね。というか、命が複製できるので、そのロボットの価格か、スパコンの可動費くらいにしかならないかと。
    スキャンしたあとの自分には死んでもらうことになりますが

    追伸:返信に対して、なるほど、と、思う反面、それを言い出したら命に限らず、コップ1杯の水も砂漠で脱水死しそうな人等にとって無限になり得るから、どんなものでも価値無限理論になってしまう気が……

    ならば、あらゆる物品、事象に公的な価値を認める機関たる裁判所では、遺族に対する損害賠償があるので、それが公的に認められた損害の金額=命の価値であり、それが無限になることはない、という別の切り口で一つ。

    作者からの返信

    なるほど。私とは違う切り口から結論を出したわけですね。脳と同等なものを作り出して、それを機械に移殖すれば、人間に近いものが作れ、かかった費用を生命の価値として捉えることはできそうです。

    しかし、私はその意見に否定的です。というのも、私が結論を無限だとしたのには裏の理由があるからです。表の理由は作品の通りなので、省かせていただきますが、もう一つの(ある種メタ的な)理由として、価値には様々な基準があることが挙げられます。tobaccololita様が主張するものと、私が主張するもの。おそらくもっと多くの基準があって、それに応じただけ価値も存在します。ここで、問題なのは、有限と無限は共存できないということです。一つでも無限だと判断できるものがあれば、無限とせざるを得ません。対して、有限を証明するためのは、全ての基準を考慮し、有限であることを示さなければいけません。......まるで、悪魔の証明です。

    もちろん、実際に無限であるという結論が出たというのもありますが、以上のような理由もあって、そもそも有限とすることは不可能なのだと思います。