演奏開始五分前

白藤結

演奏開始五分前

 防音扉が開けられると、静かなオーボエソロが流れてきた。切なく、胸が苦しくなるような演奏。これはまさに――音の暴力。

 普段だったら、そうは思わなかった。甘やかな音色に、ただただ酔いしれたことだろう。だけど、ここはコンクール会場。この演奏は他校ライバルのもので、まともに聴いてはいけない。呑まれてはいけない。


 案内係に続いて、舞台袖に入る。中では既にパーカッションのメンバーと副顧問の先生がいて、楽器の確認していた。パーカッション以外のメンバーが全員舞台裏に入ると、再び防音扉が閉じられる。――もう、逃げられない。

 ヒソヒソと、皆が小声で会話していた。私たちの前に演奏しているのは、毎年県大会に進む強豪校。さすがの演奏に、全員が呑まれていた。


 ――いけない。雰囲気に呑み込まれたらダメ。

 そう思うけれど、どうしても聴いてしまう。この演奏の方が、私たちよりも上手いと思ってしまう。

 そのときだった。


「はーい、注目」


 皆の視線が一点に集まる。そこにいたのは、副部長。私の親友。

 彼女は全員が見たことを確認すると、にっこりと笑った。


「私たちは、今まで何をやってきた? どれだけ練習してきた? それを思い返して」


 その言葉に、皆が小さく呟き始めた。そうだ、今年の私たちはいつもとは違う。コンクールの曲はかなり早く取り掛かって、ゆっくりじっくり、熟成させてきた。全国大会金賞の高校にも教えに行っているプロの方に、オーケストラ風のアドバイスをもらった。そして何より――熱意が違う。去年がふざけていたわけではないけれど、今年は皆、さらに真剣だ。

 だから、そう、きっと……。


「ね、大丈夫でしょう?」


 その言葉に、「はい!」と小さな声で、だけど力強く皆が返事をする。すると親友が係の人に注意されて、クスクスと笑い声が広がった。


「私からは終わり。じゃ、次は部長、よろしく!」

「うぇ!?」


 あまりにも突然のことに、変な声が出る。え、ちょっと待ってよ、何も聞いてないんだけど!?

 テンパってふってきた本人を見ると、ぐっと親指を立てられた。そういう意味じゃない!


「ええっと、その……」


 何を言おう。すごく迷う。ああ、もう、後で覚悟しときなさいよ!

 とりあえず、私は思ったことをそのまま口に出すことにした。


「今年の私たちは、去年までとは違う。それを見せつけよう。そして、悔いのない演奏をしよう!」

「はい!」


 五十人以上の返事が返ってくる。今度は私が係の人に怒られた。しかもさっきよりも厳しく。クスクスと笑われて、穴があったら入りたい……。

 そのとき、最後の一音を響かせて、演奏が終わる。盛大な拍手に、心臓が跳ねた。

 だけど……大丈夫。私たちは、ただ、全力を尽くすだけ。結果は自ずとついてくる。

 係の人が合図をした。それに続いて、私も一歩踏み出す。


 今日の、演奏前の最後の五分間は終わり。

 だけど、これを私たちの最後の演奏にはしないんだから!

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演奏開始五分前 白藤結 @Shirahuji_Yui

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