その夜、真澄と京都まで同行したのは豊だった。

 三が日とあって十時を回っても電車は比較的混んでいた。

 正月休みも残り少なくなり、夜の街は最後の盛り上がりを堪能するかのように賑わっている。阪急はんきゅう京都線・河原町かわらまち行き特急の最後部車両にかろうじて座席を確保した二人は、窓に映った自分たちと周囲の乗客の姿をぼんやりと眺めながら黙って揺られていた。

「──これやったら、もっとゆっくりしてても良かったかもな」

 豊が独り言のように言った。「かえってしんどいな」

「ううん、大丈夫」

 真澄は笑顔で答えた。「萩原さんの方こそ、まるっきりの逆方向やのに──」

「いや、実は今から京都の友達と会うから、ちょうどええんや」

「今から?」と真澄は驚いた。「まさか、女の人?」

「違うよ、会社のヤツ。名古屋の支店に行ってて、今こっちへ帰ってきてるんや」

「あ、そうなんや」

「女のコと会うんやったら、今からではちょっと遅いやろ?」

「そりゃそうね。だいいち、あたしと一緒に電車乗ってる場合やないわ」

「そんなことないけど──」

 豊は真顔になった。「……なあ、真澄ちゃん」

「何?」

「きみ、あのとき素面しらふやったんやろ?」

「あのときって?」

「せやから、その──俺にあいつらのことをバラしたとき」

「バラしたって、そんな言い方はないんと違う?」真澄は笑った。

「いいや、あれはバラしたんや」

 と豊もにやりと笑った。「酒が回ったふりしてたけど、きみがあれくらいの量で酔うわけないもんな」

「まあ、そういうこと」

 と真澄は肩をすくめた。「まさかまだ萩原さんが知らへんかったなんて思てなかったのよ。でも様子を見てると、どうやらほんまにまだ聞かされてないみたいやったし──麗子と勝ちゃんがあたしに遠慮してるのも分かってたから、それやったらこの際あたしが言うてあげるのが一番手っ取り早いのかなって」

「そうか」

「それにどうせ、あたしが勝ちゃんとは駄目やったってことはもう知れてると思ってたから」真澄は豊を見た。「それは知ってたんでしょ?」

「……ああ」

「いつかは分かることやもの。どうせなら早い方がいいし」

「何と言うてええのか──」豊は小さく溜め息をついた。「残念やったな」

「しょうがないわ。麗子の方が綺麗で頭がええもの」

 真澄は窓の外を見た。「子供の頃から、こういう結果には馴れてるの」

「それは違うって。鍋島がそんなことで女を選ぶやつやと思うか?」

「……分かってる」

「その──真澄ちゃんには悪いけど、俺は長いことあいつらを見ててずっと思てたんや。鍋島には麗子みたいな女が合うてるってな。あいつ、しっかりしてるようでまるで決断力がないやろ。つき合うてた女の子には結局そこで愛想を尽かされるんや。最初はみんなあいつがそんな優柔不断なやつやと思てへんから、きっと失望するんやろな。あいつにもそれがよう分かってるし、女の子が自分のことを頼ってると思うと、段々と重荷になってくるんや。その点、麗子には鍋島を頼るようなとこは微塵もないし、鍋島は麗子といるときが一番居心地が良さそうやった」

 豊は淡々と話した。「でもそれが、二人の間に恋愛感情が存在してないからこそなんやって思いこんでたみたいやな」

「勝ちゃん、あたしといると窮屈そうやった」

「それは真澄ちゃんのことを大事に思ってるってことの証拠でもあるんやで。嫌われたくないんや」

「……うん」

「たぶんきみのことは──とびきり上等やけど、ちょっと触ったらすぐに花びらが落ちてしまいそうな、そんな綺麗な花みたいに思てたんと違うかな」

「麗子はきっとダイヤモンドね」

 真澄はぽつりと言った。「美しくて強い、宝石の中の最高級品」

「どっちが優れてるか、なんてことはないんやで。どっちが合うてるかってことはあっても」

「そう思っとくわ」

「ごめんな、追い打ちをかけるようなこと言うて」

「ええの」

 真澄は俯いたままで笑った。「お見合いもするし──何とか乗り越えられると思うから」

「……見合いするの」

 豊は驚いた。現代でも二十五歳の女性が見合いをすることは珍しくないし、箱入り娘で育った真澄にとっては今さらという感じで驚くに値しないことだったが、豊はこのときとても思いがけなく感じた。やっぱり真澄もそうなのかという、少し惜しい気持ちになった。

「うん。そうそういつまでも親に心配かけてられへんし」

「そうやな」

「でも、誤解しんといてね」

 真澄は顔を上げて豊を見た。「駄目になったからと言うてすぐに割り切ってお見合いできるほど、勝ちゃんのこといい加減な気持ちやったんと違うのよ」

「もちろん、分かってるよ」

「……ほんまに、あの人が好きやったの」

 そう呟いた真澄の瞳から涙がこぼれた。

「……うん」

「今でもよ。今でもまだ──」

 真澄は言葉を詰まらせて下を向き、両手で顔を覆って静かに泣き始めた。周囲の乗客が気付く気配はなかった。

 豊は前を見たまま一瞬だけ眉をひそめ、静かに長い溜め息をついた。

 やがて彼は、真澄だけに聞こえるくらいの小声で優しく言った。

「──あんなヤツ、熨斗のしつけて麗子にくれてやれよ」

 真澄は顔を覆ったまま、何度も首を振った。

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