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とにかく麗子と勝也はつい一週間前まで、長い間の親友には違いなかった。
そして実はもう一人、彼らの親友と呼ぶべき人物がいる。
豊も大学の同級生で、そもそも勝也とは入学して最初の講義で席を隣り合わせたときからの仲だった。二人とも一浪しており、しかも他に受験して落とされた大学も同じだったのですぐに意気投合し、それからは遊びでも講義でもたいてい一緒に行動していた。
麗子はいわゆる帰国子女だった。数学者の父親の都合でアメリカ東部のボストンに生まれ、十八歳までをそこで過ごした。
そして九年前の夏、高校を卒業した彼女は両親とともに帰国し、九月から京都にある私立大学の法学部に編入学した。
その時の基礎演習のクラスで一緒だったのが勝也と豊で、二人は麗子があまりにも綺麗なのに感激し、早速クラス幹事の立場を利用して彼女に近づいた。しかし結果はごらんの通り。麗子がその容姿からはかけ離れて色気のない性格だったのがその主な原因だっが、豊は後に妻となる女性とつき合っていたし、勝也にも彼女らしき相手がいた。麗子も学問に夢中でボーイフレンドどころではなく、他の男子学生も彼女のことを高嶺の花だと思っていたので、麗子には特別な相手はいなかった。
卒業して三人の進路は分かれたが、彼らはその後も変わらずつき合っている。
そしてこの日──暮れも押し迫った十二月二十九日──の午後、麗子は
「──麗子おまえ、この二日間が銀行にとってどんな日か分かってんのか?」
銀行の筋向かいのビルの地下にある喫茶店で、豊は席に着くなり目の前の麗子に言った。
卵型の顔の中で最も印象的なのはその伏し目がちの二重の目で、長い睫毛の間から茶色がかった瞳を覗かせていた。太くはないが凛々しい眉がこめかみに向かって伸びている。銀行員らしいかっちりとした濃いグレーのスーツに糊の利いたシャツを着て、落ち着いた柄のネクタイを締めていた。
どこから見ても典型的なホワイト・カラーの好青年だったが、実際の性格はさほど爽やかではない。繊細で、寂しがり屋で、頑固なくせに気紛れで、そしてちょっとナルシスト。扱いにくい末っ子タイプのこの青年は、しかしながら自身の離婚と、それを巡るさまざまな苦い経験によって今やそれなりに逞しく成長していた。
「ごめんごめん、でも少しくらいいいでしょ?」
麗子は小さく肩をすくめ、悪戯っぽい目で豊を見た。
「二十──いや十五分やな」
豊はシャツのポケットから煙草を出しながら腕時計を見つめ、低い声で言った。
「三時までに片付けなあかん仕事が山ほど残ってるんや」
「構わないわ」麗子は真面目な顔で頷いた。
麗子の深刻な様子を見て、豊も真顔になった。「──で、何や」
「実は……勝也のことなんだけど」
「鍋島のこと?」豊は灰皿から顔を上げた。「あいつ、また怪我でもしたか?」
「ううん、違う違う」
そこへ豊の注文したエスプレッソが運ばれてきて、二人はウェイトレスが立ち去るまで黙っていた。
「──あ、分かった」
豊はひらめいたような表情をした。「あいつと真澄ちゃんのことやろ?」
「ええ、まあ……」
麗子は豊から視線を外した。真澄の名前を口にされると、つい胸が痛んだ。
「あいつ、真澄ちゃんとは駄目やったんやろ?」
「知ってるの?」麗子は驚いて豊を見た。
「知らんよ何も。でも、だいたい分かってたから」
豊はカップを置いた。「俺は、あいつには真澄ちゃんは向いてへんと思てたんや」
「そう……」
「おまえ、余計な世話焼くなよ」
「えっ?」
「おまえの立場や性格からして、どうしても口出ししとうなるのは分かってるけどな。これはあいつの問題なんや。それをおまえがあれこれ言うのは違うぞ」
豊は諭すように言った。「真澄ちゃんに対しても、そっとしといてやるのが一番やと思うで」
「それは分かってるわ。でも──」
麗子は上目遣いで豊を見た。「だけど今度はほんとに、あたしが黙ってるわけには行かなくなったのよ」
「何で」
「イヴの夜、勝也があたしのところへ来たの。真澄に本当の気持ちを言ったって」
「あとでおまえが知ったら怒ると思たんと違うか」
「ううん、そうじゃなくて──」
「やめとけって、あれこれお節介してやるな」
「お節介とか、そういうのじゃないのよ」
「ええから放っとけって。こういうデリケートな話は、第三者が首を突っ込んでもロクなことにはならへんのやから。どんなに時間が掛かっても、当人たちが乗り越えるべき種類の問題なんやって」
「ねえ豊、ちょっとあたしの話を聞いて」
「──あ、悪いな。タイムリミットや」豊は時計を見た。
「ええ、もう? それはないんじゃない? 十分も経ってないわよ」
「そんなこと言うたって、こんな日に呼び出すおまえが間違ってるんや」
豊は煙草をスーツのポケットに押し込んだ。「課長に嫌味言われるのは俺なんやからな」
「まだなにも話してないのに──」
「続きは今度聞くよ。ほら、正月にまた飲み会やろうって言うてたやろ。何日やったっけ?」
「その時じゃ遅いのよ」
麗子は立ち上がる豊をすがるような目で追った。
「じゃ、今夜にでも電話くれよ。遅くなっても、携帯に掛けてくれたらええから」
そう言って豊はテーブルのレシートを掴み、顔の前に左手を立てて片目を閉じた。「悪いな」
レジで精算を済ませ、急ぎ足で店を出ていく豊を見送りながら、麗子は深く溜め息をとついて椅子の背に身体を倒した。そして腹立たしげに腕を組み、うんざりしたように首を振った。
「……自己嫌悪だわ」
その夜、約束通り麗子はまず豊の携帯に電話をかけた。しかしどういうわけか電源が切られていたので、少し気が引けたが自宅に掛け直した。やはり彼はまだ帰っていなかった。彼の母親が応対に出て、息子が帰ったら遅くても差し支えなければ電話をさせますと言ってくれた。
「──麗子さん、またうちにも遊びに来てね」
と言う、九年前から変わることのない優しい豊の母親の言葉に麗子は思わず笑みを漏らし、豊さんが戻られたら今夜はきっとお疲れだろうし、また時間も遅いので後日改めて連絡すると伝えて欲しいと言って受話器を置いた。
ぼんやりと電話を見つめながら、あたしは何をやってるんだろうと麗子は思った。
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