絶遠リターンズ
「絶遠……? いや、しかし……」
その名を名乗るのは、彼とは似ても似つかない若い青年自身の唇だ。
青年はぐしゃぐしゃと髪を掻き回し、手櫛で整える。
地味な印象はがらりと変わり、どこかワイルドさを漂わせた。
いやそれ以上に、かき上げた前髪から触角のように2本の房を前に垂らしたその髪型は、辺村のよく知る絶遠了のお気に入りだ。
「この肉体は既にオレの制御下にある」
「187の身体を乗っ取った……?」
「おまえも早く、そのガキを乗っ取っちまえよ。いいぜェ、身体があるってのはさ」
「身体……」
人間に戻る――。
あきらめていたことが、いきなり目の前にちらつかされた。
だけどやはりそれは、辺村にとって一目散に飛びつくほど魅力的な提案ではない。
(なんでだよ。身体が手に入るって、嬉しいことだろ……?)
言葉に詰まった辺村を、絶遠は誤解したようだ。
「ああ、やっぱり男の身体の方がいいか。ならあいつらのうち誰か1人、とっ捕まえてやろうか?」
「ね、ねえ、こいつ、187じゃないの? ゼツトーリョーって、ベムラハジメの何?」
「……古い知り合いだ」
「友人とくらい言ってほしいな、辺村」
「いったい、いつから、わたし達を欺いてたんですか」
「最初からです。この身体にくっついてハビタットに潜入し、奴等のことを色々調べた上で、あなた達と一緒にまた降りてきたんですよ」
「…………!」
メンカは息を呑む。
先程絶遠は自分のことを「ERFの敵」と言ったはずだ。
「おや、顔色が青いですよ、
「大丈夫だ、スゥ、メンカ。あいつは別にスパイの訓練は受けてない。そんな器用な真似はできないよ」
「それはどうかな? 長~い年月が経ってるんだぜ、辺村?」
「それは本当らしいな。あんたの笑い声も、昔はそこまで耳障りじゃなかった」
エケケケケ、と絶遠は笑う。
「じゃあ、キャンプKも」
「ああ。シークレットメールといったって、開く技術さえあれば誰でも見られるからな」
「……どういうことなんだ、絶遠。なんで械獣の味方なんか」
「械獣こそが、人類の後継者だからだ」
「…………!?」
絶遠はおかしくなったに違いない。
人類の後継者はスゥ達で、械獣は人類から地球を奪っている存在ではないか。
「驚くのも無理なかろうよ。信じられないのも無理はなかろう。だがこれは事実だ。真実なんだよ」
ブラックの顔をした絶遠が手を差し伸べる。
「証拠なら見せてやる。オレと一緒に来い、辺村」
差し伸べられた旧友の手を前に辺村は迷う。
正気のたがが外れかけているように見える絶遠についていっても大丈夫なのか。
「どうした? たまたま会ったガキに
「……スゥの安全を保証してくれるな?」
「ああ。なんなら、その子の治療の協力もしてやろう」
絶遠はにこりと笑う。
顔は変わっても、それは昔と同じままの、同僚を魅了してきた甘い微笑みだった。
メンカは――後ろに一歩下がった。
「……治療って、なんですか?」
「怖がることはありませんよお嬢さん。痛いことなど何もするものですか。日常生活を送るのに障害となる人格を消して、まともな人間にしてさしあげましょう」
「そんな人格、わたしの中にはありません」
絶遠が一歩前に踏み出す。
メンカはまた一歩、後退した。
靴底の下で砂利が鳴る。
「嘘を言っちゃいけないな。君が特攻任務を納得していながら最初に脱走しようとしたのも、そしてあのヒステリー女を攻撃したのも、もう1人の人格が勝手にやったことでしょう?」
「…………」
「君が自分を守るために生みだした、ただそのためだけに動く人格。これまでは役に立ってきたかもしれないが、もうその人格は主人格である君のコントロールから離れつつある。早く消すべきですよ?」
「…………!」
「今なんとかしなければいずれ君を封じ込めて、勝手に生きようとするでしょう。そうすれば君も、周りの人間も迷惑することになる」
スゥはメンカを守るために生み出された人格だ。
メンカの安全が最優先、そのためなら法も倫理も――メンカ自身の意思さえ無視してしまう。
「……だったら何だって言うんですか」
「ん?」
「自分の子供が誰かに怪我を負わせたら、殺したり、どこかに一生閉じ込めますか。違うでしょう? 怪我させた人に謝って、もうこんなことしちゃいけないって、教えるべきじゃないですか。それにスゥを消してまで、わたしは世界と仲良くしたいとは思いません」
絶遠は天を仰ぎ、ふう、と大きく息を吹き出した。
「1つの目的のために生み出された、不完全な人間の断片ごときに随分肩入れしますね。そんな君に躾ができるとは思えません。これからも甘やかすだけで、ずっと誰かを傷つけ続けるんだ。君みたいなのを、オレの時代にはモンスター・ペアレントって呼んでたんですがね」
「メンカは、あんたが嫌いだって言ってる……!」
突然、スゥが表に現れた。
『怒る』というのはスゥの役目だ。何故なら怒った相手から反撃をくらう可能性があるから。
だから怒りを表現したいとき、メンカは無意識にスゥにそれを肩代わりさせてしまう。
人格が切り替わったことでそれを理解した絶遠は「エケケケケ!」と嘲弄する。
「なんだ。片方だけじゃなく、両方とも人格と呼ぶには中途半端な存在だったんだな」
「……そうだよ。あたし達は2人で1人の人間だ!」
「ま、いいですよ、なんでも」
絶遠は興味なさげに鼻を鳴らした。
「あなた達はそうやって、誰に愛されることもなく、自分同士でみじめったらしく慰め合っていればいい。ただ、辺村は返してもらえますかね。オレの仲間なんだ」
「……ベムラハジメは、渡せない」
絶遠の表情から笑みが消える。
次いでそこに現れたのは憎悪だった。
「調子に乗るなよ、ヒトもどきども。そいつはおまえらの
「…………!」
一歩後ずさった自分を、スゥは遅れて認識する。
「せっかくあそこに仕舞っておいた辺村を見つけやがって。てめえらが余計なことをしてくれたおかげで、予定が狂いに狂いまくっちまったじゃねえか。どうしてくれんだ、ああ?」
「ちょっと待て、絶遠、おまえが俺をあそこに……?」
「ああそうだ。怒るなよ? 94班を全滅させたら、ちゃんと回収してやるつもりだったんだ」
「なんのために?」
「まあいいじゃないか。オレの言うとおりにして悪い結果になったこと、あったか?」
「…………」
はぐらかす絶遠に、辺村は不信を抱いた。
だからというわけではないが、
「――俺はもう少し、この子達と一緒にいるよ、絶遠」
嘲笑から憎悪、そして驚愕へと慌ただしく変わる絶遠のマスク。
辺村が自分を選ばなかったことが心底信じられない、といった顔だった。
「なんでだ!?」
「自分の中にいるものくらいにしか愛されない、みじめな存在は、みじめな存在同士で仲良くやっていくさ。リア充はリア充同士で勝手にやってろ」
絶遠は、今度は「開いた口が塞がらない」という表情に切り替えねばならなかった。
「なるほど。おまえの劣等感に傷をつけちまったか。こいつは失言――」
「――おい!」
慌ただしく砂利を蹴り立てるブーツの音。
メンカの後方に現れたレッド達が、銃口を向ける。
「おい、187――おまえか、173を襲ったのは」
「班長」
絶遠から目を逸らさずに、スゥは壁際に移動。
「気をつけてください。187は敵です!」
「……なに?」
「ああうん、もうそれでいいよ」
いくらでも言い逃れはできただろう。
しかし絶遠はそうしなかった。いじけたように小石を蹴飛ばす。
「どのみち、ここで辺村以外の全員とお別れするつもりだったしな」
エケケケケ、と絶遠が笑う。
しかしその眼は笑っていない。
張り詰めた空気の中、誰もが戦いの始まりに身を固くする。
「――チャオ!」
だが絶遠はぱっと身を翻し、全速力で走り去った。
見る間に小さくなっていくその背中。
「逃げんのかよ!?」
がっくりと肩を落とすイエロー。
呆気ない幕引きと思われたその時。
赤い光芒が、都庁を貫いた。
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