過去からの呼び声


 視界の端で動くものがあった。

 身体に叩き込まれた動きが、考えるより速くそれに銃口を向けさせる。


「ちょ、班長、俺ですって」


 照星の向こうには両手を挙げるイエローのシルエットがあった。

 なんだおまえか、とレッドはライフルを下ろす。


「ん? おまえ1人か? 187ブラックは?」

「それが、ちょっと目を離したらどこかに行っちゃいまして」

「行っちゃいまして、じゃねえよ」

「ま、俺達の他に誰もいなさそうですし大丈夫でしょ。あいつにとっちゃ、ここは宝の山ですからね」

「食料、ありました?」

「枯葉や石みたいになった干物でよければな」


 イエローは天を仰ぎ、力尽きたと言わんばかりにがっくりとデスクの上に腰を下ろす。


「もうそろそろ時間ですよ」


 ブルーが言った。レッドは無線で残りの仲間を呼び出す。

 だが、返事はなかった。誰1人として。

 他の2人の顔にも緊張感が漂いはじめる。


 遠くでけたたましい音が響いたのは、その時だった。


「――ピンク173達の方だ」


 それはまさしく、スゥがピンクを殴り倒した時のものだ。

 しかし3人が駆けつけたとき、そこにいたのは床に伸びたピンクだけで、既にスゥの姿はなかった。


「おい、しっかりしろ!」

「班長……?」


 少し揺すると、ピンクは頭を抑えつつ身を起こした。

 安堵の息をつくレッド。イエローも、ほっと肩の力を抜く。

 ブルーは1度だけチラリとピンクを振り返り、周辺警戒に戻った。


「何があった?」

「わかりません、271が突然襲いかかってきて……」

「271が?」


 そこで何を思い出したのか、ピンクの顔が青ざめていく。

 こいつにも怖いものがあるのだな、と本人に知られれば怒られそうなことをレッドは思った。


「……あいつ、ヤバいですよ」

「ヤバい?」

「271です。あいつ、頭の中にもう1人飼ってるみたいだった。芝居とか中二病とかそんなんじゃなくて……ありゃ、マジモンだ」

「その飼ってる奴にやられたのか、おまえが」

「いや、271と向かい合ってたらいきなり後ろからぶん殴られ……そうだ、もう1人、誰かいる」

「もう1人?」


 嫌な想像がレッドの脳裏を横切る。


(そんな馬鹿な)


 できれば思い込みであってくれとレッドは願ったが、そうはならないだろうと頭の中の冷めた部分が告げていた。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 スゥは走っていた。

 目の前には男の背中がある。彼が振り返った。


「そろそろ班長達も気づいてる頃だ」


 こちらを見るその顔は、187――黒腕章をつけた兵士である。


 ピンクを背後から殴りつけ昏倒させた彼は、スゥに対し、一緒に逃げようと手を差し伸べてきた。

 そしてスゥは、その手を取りこそしなかったものの、彼の後について走り出した。


 スゥにとってブラックは他の兵士同様、メンカを死地に追いやる敵の1人である。

 今も信用したわけではない。だがレッド達から逃げるには、独力では心許ないのが事実だ。

 なにせ、スゥにはアサルトライフル1つ満足に扱えないのだから。


「スゥはともかく、おまえは何が目的なんだ、ブラック」


 困惑しきった様子で辺村が言う。


「どうせ巻かれてるしかないんだから、黙ってろよ辺村」


 ブラックの何気ない返事。

 そこに混じる違和感に気づかない辺村ではない。


 この時代の人間にとってファーストネームやファミリーネームといったものは概念からして存在しないらしい。

 だからスゥもメンカもレッドも、辺村肇のことを1つの固有名詞としてベムラハジメと呼ぶ。


 しかしたった今ブラックは「辺村」と呼んだ。


「……おまえ、この時代の人間じゃないのか」


 警戒心を露わにした辺村の声に、スゥは身を強張らせる。

 エケケケケ。立ち止まったブラックが肩を揺らした。


「嬉しいね。オレの方が気になるのかい、おまえの今の相棒じゃなくて?」

「まあ、スゥが二重人格だったのには、驚いたけどさ」

「オレもだ。単に、よく1人でブツブツ言ってる、口調とテンションの安定しないガキだとばかり」

「……別に騙してたわけじゃないです」

「怒っちゃいない。誰にだって触れられたくないことはあるからな」


 スゥが特に知能や運動能力で劣っているようには見えなかったから、彼女が特攻要員にされたのを不思議に思っていたが、これで納得がいく。

 つまりは精神の不安定さを問題視されたということだ。


「いやに優しいじゃないか、辺村。まさか271を口説こうってんじゃないよな?」

「うっ……。そ……それも、全くないというわけでは、ない、が……!」


「えっ……やだ……」

「キモっ」


 露骨に嫌がる姉妹。辺村の心は大きく傷ついた。


「あー、はいはい、すみませんでしたぁー! どうせ俺は恋の始まりを期待することも許されないキモオタですよぉー!」


 エケケケケ。ブラックが喉を震わせる。

 どうやらこれが彼の笑い声らしい。


「女に縁がないのは相変わらずだな、辺村?」

「うるせえ、おまえに俺の何がわかるんだ」

「わかるとも。戦友だったじゃないか、オレ達は? エケケケケッ!」

「やけに馴れ馴れしいな」


 ブラックはやれやれとでもいうように肩をすくめ、首を振った。

 そんな芝居じみた動作に辺村は既視感を抱く。


「馴れ馴れしいのも当然だ。何故ならオレは、おまえの戦友、そしてERFの敵――」


 お見せしよう、とブラックは迷彩服の前をはだける。


 その腰には、レヴォルドライバーが巻かれていた。


 思わずスゥは自分の腹を見る――もちろん、辺村とドライバーはそこにある。


「……もう1つのレヴォルバー?」


 だとすれば、その中に収められている脳髄は。


「そうだ、辺村。オレだよ、絶遠ぜつとおりょうだよ!」


 エケケケケ!


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