双つの貌をもつ少女


 一行が向かったのは90度倒壊した都庁の上半分ではなく、その近くで今もなお直立する下半分だ。


 遠くから見れば綺麗にコの字型をしていた上半分も、近づいて見ればボロボロだった。

 下半分も似たような惨状である。


 ブルーは正面入口の側に車体を横づけた。


「探索時間は1時間だ。1時間後に、ここに集合」


 兵士達が降りていき、昇降ハッチが閉まると同時に車体が幻のようにかき消える。


 インビジブル・モード――装甲表面に貼られた光学LEDシートに反対側の景色を投影することで、あたかも透明になったように見せる光学迷彩である。21世紀にメルセデス・ベンツ社が製作した透明車に使われた技術を発展させたものだ。


 兵士達はレッドとブルー、イエローとブラック、姉妹と辺村とピンクの3班に別れて探索を開始。


「置いて行きますよ、188!」


 車が停まる前から足踏みをしていたブラックが1番に乗り込んでいく。

 光を放つ眼鏡は陽光を反射したものか、あるいは彼自身の裡より溢れる喜びによるものか。

 まるで遊園地を目の前にした子供のようだ。


 イエローにとって旧文明の遺産など興味はないが、パートナーを1人にするわけにもいかない。

 うだるような暑さの中をウンザリした顔で追いかける。


 辺村のグループが入ったそのオフィスは、壁が一面なくなったおかげですっかり開放的な空間になってしまっていた。

 入り込み放題の砂と埃が机の上にも床にも堆積し、不快指数はむしろ増していたが。


「さあ、調査といこうか」

「何を探すの?」

「過去の歴史がわかるものが欲しいな。俺が眠っていた間の」

「調べてどうすんの?」

「そりゃ……何が起こったか、安心したいからな。ゆくゆくは誰が何の目的で俺をレヴォルバーに閉じ込めたかも知りたい」

「それがわかったら? 人間の身体に戻りたい?」

「そうだな……」


 ――元の身体に戻る。

 その方法を探し出そうとは1度も考えていなかった自分に気づいて、辺村は戸惑う。


 不可能だと無意識にあきらめてしまっていたのか。

 それとも現状把握で手一杯で、そこまで気が回らなかったか。

 あるいは。


「……ベムラハジメ?」

「ああ? うん……まあ、時間がない、急ごう」


 辺村は机の引き出しを片っ端から開けるよう、スゥに指示する。

 可能ならPCの内部を見たいところだが、電気が来ていない以上、それはただの箱だ。


「CATやキャンプに発電機ってないのか? それに繋いで……」

「無理じゃない?」


 コンセントの先端を眺めてスゥが言う。


「USBメモリは……」

「ははっ、USBって。今どきそんなの使えるわけないでしょ」

「地球を追い出されても技術革新はあったってことを、喜ぶべきなんだろうな。……結局、最後に頼れるのはアナログか」


 とは言ったものの、アナログの中にも辺村の助けになってくれそうなものは見当たらなかった。

 辺村が眠っていた間の歴史を想像させるようなものはどこにもない。


「…………」


 RPGの勇者よろしく、ガサゴソと辺りをひっくり返していくスゥを眺めながら、メンカは嫌な予感に襲われていた。


 トゥーチョー・トゥチョーとかいったか、この建物に行こうと言いだしたのはベムラハジメではなく、スゥだ。ベムラハジメに気を使って。


 そう、じぶんを守ることしか考えなかったスゥが、積極的にベムラハジメに世話を焼いている。


 スゥが社交性を身につけることはメンカにとって望ましいことだ。

 不出来な姉など放っておいていいから、妹にはもっと友人に囲まれていてほしい。


 だがたとえ歓迎すべきものであれ、何の前触れもない好転を素直に喜べるほど、メンカは脳天気ではない。

 逆に言いしれぬ不安が胸の中でとぐろを巻く。


 どうしたの、スゥ? 急に他人に気を回すようなことをして?

 ……などと言ったら、妹は気を悪くするだろうか。


 ふあああ、とピンクが欠伸をした。

 メンカ達の監視に専念していた彼女だが、退屈を持て余したらしい。

 自分でも適当なデスクを開いて物色しはじめる。


 そんなピンクに、スゥは――温度のない瞳を向けた。


「――駄目、やめなさい、スゥ!」


 メンカが叫んだときには遅かった。

 折れた机の足を手に、スゥがピンクに飛びかかる。


「うおおおおお!」

「がっ!?」


 後頭部を殴打され、床に倒れるピンク。

 机の上にあったものや、あるいは机そのものがその巻き添えになって騒々しい音を立てる。


「死ねえ!」


 スゥの追撃。

 だがピンクも訓練された兵士だ。

 即座にアサルトライフルを盾にして、第2撃を受け止める。

 鉄パイプと銃身のぶつかる金属音が空気を鳴らした。


「何のつもりだ、てめえ……!」

「姉ちゃんはあたしが守る! ERFやあんた達の道具には、させない!」

「あァ!? 知らねえよ、おまえの姉貴なんか!」


「やめろ、メンカ!」

「そうだよ、やめて! わたしはそんなこと望んでない!」


 辺村とメンカの制止は、スゥには届かない。


「ベムラハジメが何を言ったところで、どうせおまえらは姉ちゃんを最後には殺してしまうんだ! だったらあたしは、おまえらを殺してでも姉ちゃんを救ってみせる!」


 メンカの悪い予感は当たってしまった。

 スゥは最初から逃げるつもりで、レッド達を分断するためにこの場所を選んだのだ。


「い、意味わかんねえんだ……よっ!」

「ぐえッ!」


 靴底を腹に叩き込まれ、スゥはヒキガエルの鳴き声にも似た苦悶の声をあげる。

 もう一度ピンクが蹴りを放てば、少女の華奢な身体は吹っ飛んだ。

 手から机の脚だったものが転がっていく。


 ズキズキと痛む頭を押さえ立ち上がったピンクは、スゥに銃口を向けた。

 

「やめてください173、妹は悪くないんです、わたしが」

「姉ちゃんは黙ってて!」


「……271。おまえ、何、言ってんだ……?」


 ピンクは嫌悪を露わに目の前の少女を見た。

 スゥは獣の目をして立ち上がる。


 太陽の光がオフィスに差し込み、反対側の壁に影絵を描く。

 そこに映し出された人影は、2人分しかいない。


 即ち、ピンクと、スゥ。

 そこにあるはずの、もう1人分の姿など、どこにもなかった。最初から。


「すみません、わたしが言って聞かせますから、許してください」


 少女の唇がそう訴えかければ、


「姉ちゃんが謝ることない、こいつらが悪いんだ、こいつらが!」


 同じ唇で少女が吐き捨てる。


「あたしは姉ちゃんを守るんだ! やめて、お願いだから。わたしはこんなこと望んでない……。あたしが望んでるんだよ、姉ちゃん。だってこれがあたしの役目、生まれてきた意味なんだから。ごめんなさいスゥ、もういい、もういいよ……。ははっ、姉ちゃんが気にすることない…………」


 表情と口調をめまぐるしく変えながら、1つの顔、1つの唇で2人分の会話を紡ぐ少女。

 ピンクは周囲の気温が下がったような感覚に襲われる。

 それに気を取られ、彼女は背後から忍び寄る気配に気づかなかった。


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