『姉』と『妹』と缶詰の脳と械獣と暗緑色の巨神


 オレンジ色に染まる空の下、見渡す限りを埋め尽くす朽ちた高層ビル群に紛れるように、それは立っていた。


「――ひっ!?」


 姉妹は恐怖に息を呑む。

 それも仕方のないことだろう。気がつけば遙か高みから械獣達を見下ろしていて、しかも隣には見たこともない怪物がいたのだから。


 全体的な形状は、ウミクワガタと人間を足して割ったようなものに見える。

 人間というものを冒涜するかのような、やや前傾姿勢気味の歪な痩身そうしん

 ダークグリーンの外骨格には紋様を描くようにスリットが空いており、内部にはオレンジ色の燐光を放つ不快感を煽る粘液が流動していた。

 フリッツヘルメット状の頭部から天に向かって伸びる、甲虫めいた2本の湾曲した長い角。

 口元からははらわたに似たおぞましい管がいくつも伸び、喉や首筋に繋がっていた。

 顔面には2対の複眼がネオンサインめいて不規則に色を切り替える。

 首元には歪な形状の黒い二十四面体結晶が浮遊し、ミラーボールのように回転していた。


 妹は恐怖のあまり1歩後ずさる。

 同時に、甲殻類に似た怪物も1歩後退した。

 首を傾ければ、相手も左右対称に彼女の動きを真似てみせる。

 手を伸ばしたなら、向こうもこちらに逆の手を伸ばす。


 だが互いが触れ合う寸前、は硬い平面に阻まれた。

 遺跡の一面を覆うガラス壁に蜘蛛の巣状のヒビが入る。

 そしてそれを成し遂げた自分の腕は、鏡面に映る怪物と同じ形をしていた。


「姉ちゃん、これ、もしかして――」


 理解の遅い妹もここにきてようやく状況を呑み込む。


「まさか――これ、あたし!?」


 そんな馬鹿な。

 妹は腕に目をやる。

 そこには怪物のものではない、慣れ親しんだ自分自身の肉体がある。


 ただ、さっきまで着ていた服はなくなっていて、身体のラインにぴっちりと沿うような、継ぎ目のないボディースーツに変わっていた。

 乳房の下にも尻の谷間にも生地が密着していて、服というよりボディペイントのようだ。

 誰が見ているわけではないだろうが、姉は思わず手で自分の身体を隠した。


「……君は今、ラーディオスの中にいる。と同時にラーディオスそのものとなっている」


 いや、見えているかはともかく、ここには姉妹以外の存在がいた。

 腰に巻いたままのレヴォルドライバーからベムラハジメの声がする。


「ラーディオスって?」

「この巨人のことだ。誰が何のために作ったかは知らんが、機能は把握している。械獣あれを倒すくらいなら充分だろう」

「こいつが、わたし自身……?」

「ちなみに正式名称もわからなかったんで、俺がネーミングした。エジプトの太陽神ラーとスペイン語で神を意味するディオスにサラニラテンゴデコウセンヲイミスルラディウストオマケニオナジクラテンゴデケンヲイミスルグラディウスモカネテ――」

「……ベムラハジメ。何言ってるかわかんない」


 姉妹の身体は、温かくもなければ寒くもない、宇宙に似た広大な空間に浮かんでいた。

 だがそれと同時に自分自身の足で大地を踏みしめている感覚があり、外気が肌を撫でる感触もある。

 矛盾しているはずの感覚は、しかしちっとも気にならない。

 説明しろといわれてもできないが、形もサイズも全く異なる自分の身体が、時同じくして2カ所に存在することに違和感がないのだ。それぞれ別に動かすのにも不便を感じない。


「うっはー、なんかすごいね、これ!」

「戻れるんですよね!? 一生このままじゃないよね!?」


 呑気にはしゃぐ妹とは対照的に、姉は胃が締め付けられるような不安を味わっていた。


「悪いが、説明している時間が惜しい。ラーディオスの使用可能時間は最大350秒しかないからな」

「はあ!? 6分弱!?」

「あと5分を切った。さっさと奴等を片付けよう」


 もちろん逃げるという選択肢をとることもできるのだが、辺村はあえて提示しない。

 ラーディオスの実際能力は彼にとっても未知だ。

 確かめるにはいいチャンスだと思う。


「じゃあよろしく!」

「残念だが、ラーディオスを動かせるのは、君だけだ」

「あたしが!?」


 一方、鋼鉄の蜘蛛達は早々に未知の巨神に対する方針を固めた。

 即ち――、排除である。

 理由は至ってシンプルで、暗緑色の巨神は彼等が味方と判断する信号を何も発していなかったからだ。

 勝てる相手かどうかは問題ではない。蜘蛛械獣にとって、敵への攻撃は自己の生存よりも優先される。


 さっき口から網を吐いたのとは別の個体が、今度は砲弾を吐き出した。

 それはラーディオスに当たった瞬間爆発――しかし巨神の鎧には傷1つつかない。


 形勢不利と見て、蜘蛛達は人間の可聴域外のシグナルを発して仲間を呼んだ。

 こんなにもいたのかという数の蜘蛛械獣が遺跡の影から、土の下から続々と現れた。その中には満足に動かないものさえあったが、敵を排除するために残った命の全てを振り絞って、彼等は戦場へ急行する。


 見る間に寄り集まった鉄の蜘蛛達は互いに連結。

 ラーディオスの腰の高さほどもある、1個の大きな蜘蛛械獣となった。


「スイミーか!?」と辺村。

「なに、それ?」

「いいから――来るぞ!」


 巨大蜘蛛械獣の外装を担当する蜘蛛達が、一斉に投網を発射する。

 それは空中でくっついて1つの大きな網となり、ラーディオスをすっぽりと包み込む。


 動きを封じられた巨神に対し、巨大蜘蛛の口吻こうふんが火を噴く。

 発射されたのは蜘蛛械獣だ。動く力を失った同胞を質量弾として容赦なく撃ち出している。


 だがそれさえも、巨神には無力だった。


「あはっ! 何これ、無敵じゃん!」


 目を輝かせる妹。唇が酷薄なカーブを描く。

 姉にとってそれは妹の初めて見る表情だった。側にいる存在が何者だったか、束の間忘れる。

 無垢な笑顔を浮かべる幼き我が子が、同じ表情で昆虫や人形の手足をもぐさまを見せられた親の気持ちとは、こんなものだろうか。


「行け!」

「おうっ!」


 縛めを易々と引き千切り、緑の巨神は疾駆した。

 一歩踏み出すたび、大地には地雷が炸裂したかのような土煙と轟音があがり、周辺の遺跡がビリビリと震える。


「姉ちゃんを、怖がらせた罰だァッ!」


 妹が拳を握ると、手の甲を守っていた外骨格が拳の前面にスライド、ナックルガードとなった。


「打ァァァ!」


 轟、と突風をまとわせた巨神のパンチが大蜘蛛を粉砕。

 ――いや、違う。

 拳が当たる直前、蜘蛛は自ら合体を解いたのだった。

 瞬時に散開して攻撃を逃れた蜘蛛械獣達は、少し離れた場所で再合体。

 再び巨大蜘蛛が巨神の前に現れる。


「蹴ゥッ!」


 スゥは飛び蹴りを放った。

 哀れな遺跡が1つ、蜘蛛の身代わりになっただけで結果は同じである。

 その後もスゥは何度も飛びかかっていくが、蜘蛛達はからかうように離散集合を繰り返す。


「……なんて下手くそな戦い方だ」


 辺村はしみじみと呟いた。

 自分にラーディオスの操作権があれば、もっとスマートに戦えただろうに。


「残り2分!」

「どうしたら……!」

「大技を使おう。ラピサー・ソリスルクスだ」

「ら、ラピサー・ソリスルクス……?」


1st Instance第1審......Guilty有罪


 右腕の外骨格がスライドし、スリットが拡大。そこから漏れる光が輝きを増す。


2nd Instance第2審......Guilty有罪


 今度は左腕が同様に変化。同時に手首から光のリングが発射され、それに当たった大蜘蛛は、動画の一時停止ボタンを押されたように動きを止める。


Final Instance最終審......Guilty有罪


 胸部外骨格のロックが解除され、胸板が花開くように広がる。その手前に、太陽のように眩く輝くエネルギー光球が形成された。

 巨神は光に包まれた両腕でそれをしかと握りしめる。

 熱量と大きさを増していく光の珠。紫電が迸り、周囲にある遺跡の壁が弾け飛んだ。


『O.K. Execution Time死刑執行!』


 巨神は自分の頭より大きくなった光球を頭上に掲げる。


「今だ、投げつけろ!」

「え? あ、ああ、もおおおお!」


 ラピサー・ソリスルクス――電磁牽引式電離気体型棘付鎖鉄球エレクトロワイヤード・プラズマハンマーが飛んだ。

 再度散開して逃げようとした蜘蛛達だったが、膨大な熱量がそれを許さない。

 蜘蛛達は熱したバターのように融け合い、仲良く原子の塵へと還っていった。



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