『姉』と『妹』と缶詰の脳
奇怪な歌声を追いかけた先には、コインロッカーコーナーがあった。
地震か何かの所為だろうか、へしゃげたり、扉が外れていたり、あるいは倒壊した壁に押し潰されていたりと無惨な状態を晒している。
そんな中で比較的マシな、扉が曲がって隙間ができているだけの1つから、あの聴くにたえない詠唱が漏れていた。
姉妹が近づいたのを察したか、歌声がやむ。
もちろん、騒音被害がなくなったからといって、今更回れ右するつもりは、姉妹にはない。
妹はアーミーナイフを取り出した。
発火棒を左手に、右手でナイフの刃先を扉の隙間に差し込む。
「……本当に開けるの? 『開けたら呪う』とかどこかに書かれてたりしない?」
「今更言われても、もう開いちゃう――よっと!」
経年劣化と腐食に蝕まれたドアロックはオリハル鋼製ナイフの前に屈した。
同時に
支えるものがなくなった扉は重力に引かれ、妹の足の上にその
「あぐッ……! さ、早速呪いが……ッ!?」
悶絶する妹。
「何だろう、これ。ベルト……?」
姉はロッカーの中に興味深げな視線を向ける。
そこにあったのは、ホルスターのような形のバックルがついた
バックルからは右に向かって、バイクのハンドルのような棒が1本突きだしている。
「やけにごっついベルトだよね。――あれ、意外と軽い」
妹はベルトの一端をつまみ上げ、ブラブラと揺らす。
「あんまり揺らさないでくれ」ベルト
流石の妹もこれには仰天した。
小さく叫んでベルトを床に落とす。ついでに蹴り飛ばした。
「ね、姉ちゃん、今、あれ、喋った!?」
「ただの壊れたオーディオじゃなかったんだ……」
「あー、驚かせてすまない!」
再度ベルトが言葉を発する。
「俺は怪しいモノ……じゃないぞ、たぶん」
「最後まで自分を信じろよ」
「とにかく、拾い上げてくれないか? カメラが床に向いて何も見えない! 俺に君の可愛い顔を見せてくれないか?」
「ベルトのくせに色男みたいなこと言ってるよコイツ」
「やっぱり見なかったことにしましょう」
「かっこつけてすみません拾いあげてくださいお願いします」
下がってて、と妹は姉に目配せした。
(大丈夫なの?)
(こんな怪しいの、姉ちゃんに会わせられないよ)
(でも……)
未知の存在との交渉など、妹には荷が重すぎる。
姉は迷ったが、自分を危機から守ろうとするとき、妹が1歩も後に引かないのはわかっていた。
(……わかった。任せる)
妹はそっとベルトを引き上げた。
「……俺の名前は
辺村肇は死ななかった。
ただし今の状態を生きていると言えるかは、人によるだろう。
宇宙であの化物と相打ちになった後、絶望的な光景を前に意識を失い、そして目が覚めたとき。
彼は、缶詰にされていた。
如何なる手品が使われたのか、ベルトのバックルに刺さった円筒形の
どうやらその筐体は一種のコンピュータで、彼の脳はその制御システムとして組み込まれているらしい。
備え付けられたカメラから辺村は外部を見ることができたし、スピーカーから声を発することもできた。集音装置で音を聞くことも。
ただしそれ以上の行動の自由はない。移動するためには誰かの手を借りる必要があった。
だというのに。最悪なことに閉ざされた闇――コインロッカーの中には、隙間から入り込んだ鼠か、小さな虫けらしか動くものがいない。
一通りパニックに陥り、その後筐体の機能を確認してしまえば、もはや彼にできることは歌うことくらいだった。
懐かしい童謡、アニソン、サビしか知らない流行歌、ハミングしかできない洋楽――。
そろそろレパートリーが尽きようとした頃、姉妹が現れたのだった。
「……ベムラハジメショゾクワカンタイヘイヨーグン……?」
「『辺村』が名字で、『肇』が名前な? そこから後は……、もういい、忘れてくれ」
辺村の発した日本語に、とりあえず相手は日本語で返してきた。
辺村は胸を撫で下ろす(※比喩表現である)。
少なくとも今いる場所は、言語の通じない外国や異世界などではないようだ。
「えっと……。はじめまして、ベムラハジメ。あたしは、
「は?」
辺村は耳を疑う(※比喩表現である)。
名前ではなく番号で名乗られたのは聞き間違いだろうか?
「……すまない、もう一度言ってくれないか」
「7T-271-28」
「……もしかして、アンドロイドかなにかの方でいらっしゃる?」
「はあ? アンドロイドなんてあるわけないじゃん」
「ですよねー」
頭を抱える(※比喩表現である)辺村。
彼の知る限り、日本どころか地球上に暗証番号みたいな名前を使う文化圏はない。
であればここは地球じゃないのか?
時空の壁を越え、異世界に迷い込んだとでも?
だったらどうして、日本語が通じる?
「……もしもーし?」
突然押し黙った辺村を、妹は顔の前まで持ち上げ、揺さぶった。
「だから揺するなって!」
「あ、生きてた。急に黙るから壊れたかと思っちゃった。さっき落としちゃったし」
「うん……。おまけに蹴り飛ばされたしな」
アップで映し出される少女の顔を、辺村はじっと眺める。
鋼鉄製でもなければ、獣の耳が生えていたりもしない。
ごく普通の人間の顔だ。
「えっと――君は7ゴンタ-231-0120だっけ」
「7T-271-28!」
間違えたのはわざとだ。
適当に名乗っているのではないかと疑ったからだが、少女は的確に訂正してみせた。
どうやら彼女にとってはこれが本当に名前らしい。
「そういや、もう1人は?」
「……な」
妹は、一瞬言葉を詰まらせる。
既に姉の存在を気取られていたなんて。
なんとしても誤魔化すしかない。
「な、何言ってるのかな? ここにいるのはあたし1人だよ!?」
「そんな――」
妹は辺村をぐるりと一回転させる。
辺村の視界には、目の前の妹以外の人影は映らなかった。
「君、さっき『姉ちゃん』って言ってなかった?」
「……そうだっけ?」
――こいつ、なんだか、胡散臭い。
姉妹と辺村はお互いに対し同じ感想を抱いた。
「まあいいか……」
何か隠しているのは見え見えだが、追求するよりもやるべきことがあるのを、暗くなった視界が辺村に訴えかける。
「とりあえずお嬢さん、俺を腰に巻いてくれないかな」
「はあぁ!?」
少女は露骨に嫌そうな顔をした。
何故なら、辺村の容れ物――レヴォルドライバーなる名前を持つベルトはひどく汚れていたからだ。
「できれば素肌に直接巻いてほしい」
「はああぁ!?」
少女は更に嫌そう――というかはっきりと嫌悪を露わにする。
「いや、変な意味じゃない。レヴォルドライバーは装着者の体温で発電する仕組みなんだ。言いたいことはわかるが頼むよ、そろそろ内蔵バッテリーが切れてきた、らしい。死んでしまう」
「……ああ、もう!」
妥協案として、少女はインナーの上から辺村を巻いた。
ドライバーが充電を開始したことを、辺村は意識の片隅で感知する。
「これじゃダメ?」
「いや、いけそうだ。ありがとう。本当に感謝するよ」
その時。
建物全体が大きく身を震わせた。
パラパラと、小石が姉妹の上にも降り注ぐ。
天井が崩れはじめたのは、それから間もなくのことだった。
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