第1章:械獣無法地帯

第1話「輝くもの、大地に立つ」~蜘蛛型縛糸械獣ネラクア 登場~

『姉』と『妹』



♪くるまのうたが きこえてくるま

 カーCarカーCarカーCarカーCar

 買ったら 家計が 火の車




 明け方からパラパラと降り出した雨は、昼過ぎには土砂降りになった。

 朽ち果てた高層ビル街。補修する者ももういないボロボロのアスファルトはすっかり雨水に覆われている。


 水のカーペットをばしゃばしゃと踏み荒らし、疾走する者がいた。

 迷彩服の上にカーキ色のレインコートを巻き付けた小柄な影。

 フードの内側に容赦なく吹き込んでくるぬるい雨粒と、己のうちから噴き出る汗に濡れたその顔は、年の頃16、7といった少女のものだった。


 細い足が動くたび、降り注ぐ雨音と蹴上げた水音に挟まれて、微細なモーター震動が唸る。

 迷彩服の上に装着した、帯紐バンド型パワーアシスターの駆動音だ。

 腰部のカメラで進行方向の状態を把握し、最短のコースを選択、着用者に最適な走行フォームを強要する。この機械がなければ、視界の悪い雨の中、瓦礫や車の残骸が点在する悪路を走破することはできなかっただろう。


 そう、走り続けなければならない。

 何故なら。


 交通事故を思わせる轟音が、遥か後方で響いた。

 振り返ってはいけないのはわかっていたが、彼女はつい後ろを向いてしまう。


 かつては車であった鉄錆の塊をはね飛ばしながら、暴れ牛のように曲がり角を飛び出してくる洋紅色カーマインレッドの小山。

 高さ3メートルほどの鉄塊であるそれは、赤く光る目を少女に向けた。


械獣カイジュウが……!」


 械獣。あるいはゴーレムと呼ばれる金属生物。

 現在の地球において食物連鎖の頂点に鎮座する存在だ。

 瓦礫だらけの悪路を、蜘蛛に似た8本の脚でつつがなく踏破し、迫ってくる。速い。


「もう、無理……。あきらめよう」

「駄目だ、姉ちゃん!」

 

 少女は1人ではなかった。わずかに年上の姉がいる。


「もうどう足掻いたって無理。あいつの胃袋がわたし達の魂の故郷ふるさとだったんだ……」

「しっかりして! ほら、あの角を曲がったら食パンを咥えた通りすがりのヒーローが」

「あなたこそしっかりなさい」


 何事につけ悲観的な姉を妹は必死で激励する――が、彼女も限界が近い。


 パワーアシスターのオート走行モード頼りとはいえ、動かされるのが自分の身体であることには変わらない。

 肺が、太腿が、脹脛ふくらはぎが、抗議の声をあげている。

 更に言えばパワーアシスターさえもバッテリー残量を警告する赤ランプを灯していた。


「――姉ちゃん、あそこ!」


 妹の目に地下道の入口が映る。

 同時にバッテリーがゼロになった。

 がくんと落ちる走行速度。


――Tkrrrrrr。


 ハードディスクドライブの作業音めいた械獣の鳴き声が、背中の皮膚を打つようだ。


(追いつかれる!)


 少女達は地を蹴った。階段の下へダイブ。水音。

 わずかに遅れて、鋭い槍のような械獣の脚が地下道に突き入れられた。


「…………っ」


 顔を起こした妹は息を呑む。

 目と鼻の先の空間に、尖った槍先がピタリと静止していた。


――Tkrrrrrr。


 械獣はしばらく自販機の下に落ちた硬貨を求めるように脚を動かしていたが、やがて未練たっぷりに脚を引っ込めた。

 みしみしと天井が悲鳴をあげ、どこかでぱらぱらと砂の落ちる音がした――が、それもすぐに収まる。


「……姉ちゃん、もういいよ」


 目を閉じたままの姉に、妹はそっと呼びかけた。

 フードをあげれば、濡れたポニーテールが水を弾く。

 豪雨の中を全力で走れば、フードなどあってないようなものだ。


「よくないでしょ」


 械獣は執念深い。おそらくさっきの奴は、表で姉妹が出てくるのをハチ公よろしく待ち構えていることだろう。スリープモードを使用して、何年でも。


 しかし姉妹の方は1日だって引きこもっているわけにいかなかった。

 切実な問題。彼女達には食料の蓄えがない。


 忌々しいことに、屋根の下に入った途端、雨は嘘のようにやんでしまった。

 地下道の入口から差し込む陽光がもう出ておいでと手招くように姉妹達を照らす。

 彼女達のいる場所から奥にその光は届かない。

 進めば2度と引き返せないであろう闇の迷宮がそこにあった。


「行くも戻るも、絶望的……」


 詩歌を吟ずるように姉が呟く。


「……ごめん、姉ちゃん。こんなはずじゃなかったんだ」


 痛む身体をさすりながら、妹は踝の下くらいまで浸水した床に腰を下ろす。

 尻がべったりと水に浸かるが、どのみちもう既に全身ずぶ濡れだ。


「まったくだよ。どうせ死ぬなら、あそこにいた方がよかった」

「駄目だよ! あのままいたら、姉ちゃん、殺されちゃう!」

「こんなところで野垂れ死ぬよりは、ずっと有意義な死に方だったと思うけど」


 姉は首元に手をやる。

 そこにきらりと輝くのは、チョーカーと呼ぶには大仰すぎる金属製の首輪。

 視線を下げれば嫌が応にもその存在が視界にちらつくほどの大きさだ。


 その中には、爆弾が内蔵されている。

 大型械獣さえ吹き飛ばすほどの威力があるものだ。

 それを使って死んでこいと、故郷の人々は彼女達に命じたのだった。


 妹は天を睨む。


(あたしらを地獄に送り込んで、自分は安全な場所から1歩も出ることのないクソ野郎ども――! あんた達なんかのために、姉ちゃんが死んでたまるもんか!)


 だから今朝、妹は姉を強引に連れ出した。

 計画などない。衝動的な軽挙妄動。

 彼の地から逃げさえすれば全てが上手く行くと思っていたのだ、械獣に見つかるまでは。


「あたしはただ、姉ちゃんに生きていてほしかっただけなんだ……」

「……いいよ、もう。別に怒ってはいないから」

「本当!?」


 捨て犬のようにしょげ返っていた妹が、ぱっと目を輝かせる。

 つられて顔をほころばせた姉だったが、


――Tkrrrrrr。


 そう遠くない場所から届くおぞましい鳴き声が、姉の背筋を総毛立たせた。


「……いるね」

「いいよ、もう、どっちでも」


 姉は我が身をかき抱く。


「あなたと一緒なら、別に、死んでもいい」

「駄目だよ、姉ちゃんは生きなきゃ――」


 悲壮感溢れる空気を冒涜する歌声が響いてきたのは、そんな時だった。



♪くるまのうたが きこえてくるま

 カーCarカーCarカーCarカーCar

 買ったら 家計が 火の車



「……うるさーい!」


 妹は激怒した。必ず、かの放歌高吟ほうかこうぎんぬしを殴らねばならぬと決意した。


 歌声は地下道の奥から流れてくる。

 だいぶ距離があるらしい。その声は微かだ。

 だが、耳元を通り過ぎる蚊の羽音くらいには耳障りだった。


「ああもう、耐えられなくなってきた……!」


 妹は足をバタバタさせ――と、いきなりピタリと動きを止め、すっくと立ち上がった。

 そして言う。


「……ねえ、行ってみない?」

「行くって、まさか……」

「歌ってる奴に会ってみようよ。ここにいたってしょうがないし」


 姉は奥に目をやった。闇に慣れた目が、うっすらと半開きになった地下街への扉の輪郭を捉える。

 冥界の入口のようだと、姉は思った。


 姉の返事を待たず、妹は腰のポーチをまさぐって、発火棒ファイヤー・スティックを手に取った。

 キャップを外してスティック糊のような中身を壁にこすりつけると、湿気た空気の中でもそれは燃え上がって簡素な松明たいまつとなる。

 だが松明の炎を前にして、闇はより結束を深めるようだった。


「さっ、早く行こうよ、お姉ちゃん!」

「……怖くないの?」

「大丈夫。愛する姉ちゃんの前に立つ限り、あたしには恐怖も痛みもないんだよ」


 だって、あたしは姉ちゃんの盾になるために生まれてきたんだから――。

 まるで空は青いとか、水は上から下に流れるとか、そういう当たり前のことを述べるように、こともなげに妹は言う。


「ここでじっとしてたって何もないよ。だったら前に進むしかないじゃん。大丈夫だよ、姉ちゃんはあたしが守るから」

「……そうね」


 深呼吸。姉は前方の暗黒を見据える。


「……言葉の通じる相手なら、手を組んで脱出できるかもしれないし」

「あっ、そっかぁ! あたし、『この音痴!』ってブン殴ることしか考えてなかったけど、そういう手もあるよね! 姉ちゃん頭いい!」

「……少しは恐怖と痛みを知って欲しいかな」


 危険な奴だったらどうするんだと思った姉だが、その時こそ妹は喜んで姉の盾になるだろう。

 姉の気持ちは待ち受ける闇より暗くなる。



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