サード・コンタクト


 宇宙戦闘においては何よりもレーダーが頼りだ。

 大気の壁に阻まれることなく加速していく敵と味方は、もはや人間の目だけで追いきれるものではない。

 進行方向が数ミリずれただけで、目的地と数百数千キロ離れた場所をさまよう羽目にもなる。

 いっそ人間など乗せない方がいいのだが、数年前本当に起きてしまった機械知性の反乱以来、人類はコンピュータ不信に陥っていた。


 そういうわけで、球体ボールに6本の作業用機械腕マニピュレーターがついた形の宇宙戦闘艇スペースバトルポッド『ヘラクレス』のコクピットで、辺村べむらはじめはレーダーマップと進路予想図に全神経を集中していた。


 3Dチェス盤めいたレーダーマップに描かれる世界はシンプルそのものだ。

 味方はわずかな文字注釈のついた青く光るドット、敵はナンバリングされた赤い光点でのみ表示されている。


 盤面だけ見れば、たった1機しかない赤軍が圧倒的不利だ。


 だが――現実は真逆。


 宇宙空間を兎のように跳ね回る赤いドット。対して青いドットは重い甲羅を背負うかのように動きが鈍い。

 両者が接触するたび、盤上から青が1つ取り除かれる。

 救難信号が出ていないということは、パイロットは機体と運命をともにしたらしい。



 発端は、わずか2時間前。


 恒星間航行宇宙船マイグラント号建造ステーション警邏けいら隊が、突然消息を絶った。

 続いてその捜索隊も音信不通となるに至り、司令部は事故ではなくテロの可能性を視野に入れ、戦闘部隊を派遣する。

 だが彼等もまた、たった一通の救援要請だけを残して通信途絶した。


 そこで辺村の所属する第13空挺小隊に出撃がかかった。

 そして彼等は、各々の機体のレーダー上で、先行した戦闘部隊を屠っていく、未確認機アンノウンの姿を見ることとなる。


「敵だって? こんな何もないところに?」

「どこの国だ? それともテロリスト――」

「ここからじゃ姿は目視できない――」

「急がないと!」


 素早く近寄ってきた隊長機が、辺村の乗るヘラクレスを押さえつけた。

 通信ウインドウが開き、端整な若い男の顔が表示される。

 その分モニターに死角ができるが、閉塞的なコクピットにおいて他人の顔が見えるというのは、多少のリスクと引き替えにしてもいいと思えるほどの安心感を与えてくれた。


「撤退するぞ、辺村」


 ウインドウの中の男が言った。


絶遠ぜつとお隊長……? 撤退? なんで? 友軍は、まだ」

「よく持ちこたえたが、もう限界だ。間に合わん」

「何のためにここまで来たんだ!」

「助けるためではあっても、むざむざ殺されるためにじゃない。ここで引き返さなければ、今度はオレ達がああなるぞ」

「試してみなけりゃ……!」

「わかるな。オレの勘が言っている」


 これまでの長い付き合いを思えば、一笑に伏すことはできない。


「あいつを倒すには、オレ達だけじゃ無理だ。ステーションの保有戦力をフルに使って、数で圧すしかないだろう。……だから、敵をステーションまで引き寄せる」

「正気か?」

「敵が目の前まで来れば、馬鹿の1つ覚えみたいに財布の紐を締めるしか能のない経理部も、全機発進を許可してくれる」


 もっとも、と絶遠は口の端を釣り上げる。

 何人もの女性職員を魅了してきた甘い笑み。

 それは少々、引きつっていた。


「――その前にオレ達が追いつかれなければ、だが」


 ついに青を駆逐した赤い光点が、こちらに進路を取ったのがわかった。


「なら、俺が足止めをする。――ま、別に倒してしまってもかまわんのだろう?」

「ふざけているのか、こんな時に。全員で生き残るんだよ、辺村」


 辺村の胸中に失望という汚泥が沈殿していく。

 むしろ「任せた」と言って欲しかったのだ。


 何故なら、辺村を宇宙戦闘艇のパイロットに見いだしてくれたのは、他ならぬ絶遠だったのだから。


「聞いたな、張田ばるた緋雲ひぐも米比良めひら騨田だだ


 絶遠は仲間をコールサインで呼ばない。


「全責任はオレが持つ。全機回頭! 散開しつつ、全速撤退!」


 6機のヘラクレスが回頭、一斉に元来た道を戻る。

 しかし彼我速度差は3:1。レーダーに表示された接触予想時間はわずか3分。


 無情にもきっかり3分後、最後尾の緋雲機がレーダー上から取り除かれた。


 そして次に敵が狙いを定めたのは、絶遠の機体だ。


「隊長!」


 先頭を飛んでいたはずの米比良澄羽すうが、Uターンして絶遠の援護に回る。


「バカ澄羽! あの、恋愛脳!」


 そう言いながら、騨田綿華めんかのヘラクレスもその後に続く。


「あなた達……! 抜け駆けは駄目だって言ったでしょう!」


 最後の1人、張田忍までもが絶遠の援護に向かう。


 たとえどんな強敵であろうと、彼女達に愛する上官を見捨てるという選択肢は、これっぽっちも浮かばないのだった。

 そんな女達に、辺村は複雑な思いを抱く。


(狙われたのが絶遠じゃなく俺だったら、きっと誰も来てくれないんだろうな)


 おそらくそれはただの思い込みではないだろう。


 かつて、辺村は誰にも顧みられないような、しがないフリーターだった。

 それがあの忌まわしい『コールタール戦争』の折、転機が訪れる。

 絶遠に戦闘機乗りの素質を見いだされたことで、辺村は泣く子も黙る撃墜王エースとなった。


 まるでアニメのような話だ。

 だが残念ながら、アニメと違って辺村の人生にヒロインはただの1人も現れなかった。

 少なくとも今までのところは。けれどおそらくはこれから先もずっと。


(なんていってる場合じゃない、俺も――)


「来るなよ、辺村!」


 操縦桿を回す直前、絶遠からの制止が届いた。

 よく躾けられた犬のように、ピタリと、指が、止まる。


「オレにかまうな! 辺村、おまえだけは、生きろ!」


「……くそっ!」


 辺村は操縦桿を前に倒した。

 移動するにしたがって、味方も敵もレーダーマップから追いやられ、表示されなくなった。


 だが、それも数秒。


 警報が鳴り響く。

 レーダーの端に、光点が1つ。


 色は、赤。

 

「……畜生が!」


 それが何を意味するかを理解した瞬間、憤怒が辺村の胸を満たした。

 戦友だったのだ。辺村にとっては。

 たとえ向こうにとっては辺村など『同僚A』でしかなかったとしても。


 マニピュレーター先端に装備された機銃が、辺村とともに咆哮する。

 弾着反応なし。避けられた。この距離で。


 レーダー上で、自機と敵機が重なる。


「――――ッ!」


 機体に衝撃。独楽のように回転させられる感覚が辺村を襲う。

 だが、まだ死んでいない。

 レーダーマップには、互いに消えることなく離れていく2つのドットが表示されていた。


 辺村の全身の汗腺から汗がどっと噴き出し、宇宙服の下に着込んだインナーをべっとりと素肌に張り付かせる。

 助かった――と思うのは早計だ。

 1度は離れた赤いドットが、数秒の減速を経てまっすぐキロ単位の道程を戻ってくる。


 喉に絡みつく痰を吐き出す。目の前を漂うそれは汗の珠とともにヘルメット内の『痰壺』に吸い込まれていく。


「左舷アーム全損、左バーニア破損、推進力60%低下……」


 もはや逃げ切ることは不可能。

 ならばやってやる、と辺村は思う。

 倒すのだ、あの敵を。できるはずだ、自分なら。


「――そうだろ、絶遠!」


 ヘラクレス――ヘラクレスオオカブトの名をつけられる由来となった、機体上部の旋回式対艦レールキャノンが敵に向けられる。


 ヘラクレス最強の武装、レールキャノン。だがその使い勝手はよくない。

 使用するにはチャージが必要だし、1発撃てばバッテリーは干上がり、数秒間は何もできなくなる。そもそも動きの遅い艦艇や要塞に対して使用されるもので、小回りの利く敵相手には向かない武器だ。

 普通なら絶対にチョイスしない。だが――普通でない相手には、むしろこれが妥当だと直感が告げていた。


「――『窓を開け』オープン・ウインドウ


 音声入力で、辺村はメインモニターをレーダーマップからカメラの映像に切り替える。

 距離の掴みにくい宇宙空間で視覚映像というのはアテにならないが、それでも理屈抜きに、自分が今戦っている相手の姿を見たいと、痛切に思った。


 その願いはすぐに叶えられた。

 カメラの捉えた敵の姿に、辺村は一瞬、呼吸を忘れる。

 それは編笠を被ったような頭をした、薄赤色の甲殻類とでもいうものだった。

 背中から蝙蝠に似た翼を広げ、こちらにまっすぐ飛んでくる。


 あれは、まるで――異星人エイリアンじゃないか。


 敵が3対ある腕のうち、最前列にある1本を振り上げる。

 その先端には蟹の鋏にも似た鋭い鉤爪。

 まさかあんなもので、スペースチタニウム製の鏡面装甲を持つヘラクレスを墜としてきたというのか。


 コクピットに警報。

 辺村は1つの賭けに負けたことを知った。

 レールキャノンのチャージ完了より、敵とぶつかる方がわずかに早い。

 だがそんなことは想定内。賭けはまだ、終わっていない。


「勝負は、これからッ!」


 相対距離がキロからメートルになる直前、辺村は操縦桿を力の限り前に倒した。

 メインエンジンノズルが炎を発し、爆発的な勢いで機体を前に押し上げる。


 敵は、一瞬怯えたように身を竦ませた。

 きっと同じ場所に留まっている辺村のことを、怯えて竦んだか、あるいはギリギリまで引きつけてから大砲を撃ってくるつもりと踏んでいたのだろう。

 まさか、その前に自分から突っ込んでくるカミカゼ・アタックとは思ってもいなかったに違いない。


 敵は慌てて回避運動を取ったが、遅い。

 銀の流星となった鋼の甲虫が、その角を宇宙生物の喉元に突き立てる。

 敵がどれだけ頑丈かは知らないが、音速でぶつかりあっては無事で済まない――お互いに。


 へしゃげたコクピットが下半身を押し潰すのを辺村は知覚する。


 しかし死への恐怖も、痛みもなかった。

 モニターいっぱいに広がった奇怪な宇宙生物が、レールキャノンの砲身から流れる電流でビクビクと痙攣するのが見えていたからだ。


 仲間達が手も足も出ずやられてきた相手を倒した。他ならぬ自分が。

 その喜びが、三途の川に腰まで浸かった身体にトリガーボタンを押す力を与えてくれた。

 激突で破損したレールキャノンの砲身が、射撃の負荷に耐えられず爆散する。

 同時に、その先端に突き刺さっていた宇宙生物もまた、いくつかの肉片となって宇宙そらに散った。


(やった……。俺が勝ったんだ、俺が……)


 慣性で宇宙の暗闇へ流されていく機体の中、コクピット内を漂う機械部品の破片や血の珠を眺めながら、辺村は歓喜に身を震わせる。


(見たか、絶遠――)


 死を前にしても、何故か思い浮かぶのは母親でも脳内のみに存在する恋人でもなく、絶遠の顔だった。


 最期に母星の姿を目に焼き付けようと、辺村はモニターの中に青い星を探す。

 そこで彼は凍りついた。


 胸を満たしていた喜びが、命の炎とともに急速にかき消えていくのを感じる。


 先程倒したのと同じ形の宇宙生物が、何十匹と地球へ向かうのを見てしまったからだ。


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