第30話 隠れ御曹司
柴田君は、マフラー、ジャケットを脱ぎ、大きなダイニングテーブルの椅子の一つに掛けているところだった。
「何。これ。」
聞きたいことはいっぱいあるが、人は本当に驚いた時、言葉のバラエティーというものを忘れてしまうものである。
「隠れ家みたいなもんですかね。」
「かくれが?」
「この部屋はうちの一室です。」
うちの一室です、という言葉を理解するのに少しだけ時間がかかった。
いや、わかっている。
泊まれる部屋であれば、高価そうな骨董品はこんなに並んでいないだろうし、確かに、ホテルというよりは生活感があるような気がする。
一般的なホテルルームの、ドアを開けると、一晩を過ごすのに必要なものがまとまっている、という感じではない。
どちらかと言えば、時々テレビや雑誌で見かけるような、どこかのセレブが住んでいそうな家の方が近い。
「柴田君、ここに住んでるの?」
以前、実家は浅草、今は五反田一人暮らしと言っていた気がする。
「住んではいません。ここは家族が来たい時に使う部屋のようなもんです。
基本的には親父が使ってたんですが、日本にいないことが多くなって、最近は俺が飲みたい時とかによく使ってる程度です。」
「・・・柴田君て一体何者?」
一番肝心な質問をすっかり忘れていた。
「父親がホテルの所有者ってだけですよ。」
「ってことは柴田君、御曹司?」
「まぁ世間ではそう言いますね。」
あっさり認められても、私の頭の中の処理班らしいところは大混乱で、さっきから理解するのに時間がかかっている。
「なんで御曹司がBJワールドワイドで営業なんかやってるの?」
「なんでって?」
「御曹司って、親のビジネスを継いだり、親のコネでどこかの大企業のいい肩書きを楽に貰ったりするもんじゃないの?」
「あぁ、そういうのもいますね。
うちはまず普通に社会を見てこいっ言われて、そういうのは一切ありませんでした。
だから普通に新卒採用とかいっぱい受けましたよ。
それでこの前も話した通り、BJとデザイン会社の内定を貰って、BJにしたってだけです。
まぁ俺兄弟とかいないんで、いずれは継がされるんでしょうけどね。」
相変わらず、表情を変えず、淡々と普通のことのように話し終えると、窓際のテーブルに置かれていたメニューらしきものを手渡された。
「それより先に何食べるかオーダーしません?」
どうやらルームサービスで、ここで食べるということらしい。
35階にあるモダンフレンチのレストランと同じらしく、仔ウサギとオマール海老のラビオリ、フォアグラとオーストラリア産トリュフ、松坂牛フィレ肉の瞬間燻製、フランス産仔羊のロースト ナヴァラン仕立て、などなど、普段行くお店のメニューでは見慣れない言葉ばかりが並んでいた。
値段はこのメニューには、記載されていない。
「コースでも何でも、食べたいもの選んでください。」
そう言われると、ついつい一番いいコースを見てしまいそうになるが、メニューの下の方に、『鹿児島県産の黒毛和牛A5ランク 極上カレー』というのが目に留まった。
「私カレーにする。」
選んだチョイスが意外だったのか、柴田君はきょとんとした視線を向けた。
「クリスマスにカレーでいいんですか?」
「うん。なんかすごそうなカレーっていうのもなかなか食べる機会ないし。」
もちろんコース料理やフォアグラなんかも気になるが、極上と言われると放ってはおけない。
「さすが真淵さん。実はこのカレー、俺の一番お気に入りのメニューです。俺もじゃあ同じのにします。」
柴田君は立ち上がると、近くにあった電話で注文をした。
オススメのシャンパンもボトルでオーダーしているのが聞こえた。
流石に自分の部屋とだけあって、この空間にいる柴田君に違和感はないように見えた。
自然に溶け込んでいるというか、この冷静で大人びているところは、そういう育ちからきているものかと思えば納得がつく。
しかし、まさか柴田君、というか、うちの会社にこんな御曹司がいるとは思ってもいなかった。
その御曹司君は、ダイニングテーブルの後ろにあった棚の中から、分厚い丸いボトルとグラスを2つ取り出しているところだった。
「ウイスキー飲むの?」
「これは親父のなんですけどね。今日は飲みます。」
そう言いながら、柴田君はガラスの栓を抜き、アルコール度数がきつそうなウイスキーをグラスに注いだ。
「あ、私はいらないからね。」
2つ目のグラスを注ぐ前に言ったのに、だ。
注ぎ始めてから、「あ、もう注いじゃってます。」ときた。
私の言葉を無視しつつ、でもちょっと気にしたのか、自分の分よりは少なめに注いだ。
「メリークリスマス。」
注がれたウイスキーは、高級そうなグラスの中で、シャンデリアの光に照らされ、ゆらゆらと輝いて揺れていた。
私は柴田君が差し出したグラスを受け取ると、「メリークリスマス。」と返した。
まぁ、長年付き合っていた彼女と別れたばかりだし、飲みたい気分なのは、よくわかる。
私は、きついアルコールの匂いからもう無理で、本当に舌の上に小さい一口飲んだだけだった。
「この前の歓迎会の時、放っておいてなんて言って、すみませんでした。」
あぁ、あの時のこと。
柴田君、闇に溶けちゃいそうだったんだっけ。
「あの日の数日前から、彼女と連絡が取れなかったんです。
今までそんなことってなくて、お店に着いたらちょうど電話がかかってきて、席外したんです。
そしたら、クリスマスにはこっちに行けないかもしれない、って言われて。
理由を聞いても言わないし、他に男がいるんだろうなーって悟ってた時だったんです。」
それは悲愴感たっぷりなのも納得がいく。
「でも真淵さんが声かけてくれて、俺何やってんだ?ってハッとさせられました。
あのまま一人でいたら、俺多分1時間はあぁやってたと思います。」
そりゃあ学生時代から続いていたんだから、ショックを受けるのも仕方ない。
長年付き合っていた恋人との別れがどれだけ辛いことか、私もよくわかる。
「すみません。元カノの話なんかしてもつまんないですよね。」
「いや、気持ちはわかるよ。」
「でも過去は過去。俺は独り身になった自分を楽しみます。」
闇と一体化してしまいそうだったのに、今はもう吹っ切れているかのようにあっさりと言った。
夢か恋、どっちですか? @summerbee
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