第23話 未練
結局、私は日本酒を全部飲み干せなかった。
半分以上は飲んだが、やっぱりあのアルコールのきつい味が苦手で、日本酒に体が呑まれてしまう前に、ストップした。
柴田君は「一緒に飲んでくれてありがとう。今日は付き合ってもらったんで俺出します。」と言いながら伝票を手にすると、レジの前へと向かった。
ずっと立って飲んでいたが、歩き始めるとさらに酔いが回るような気がした。
渋谷の騒音がいつも以上にうるさく聞こえた。
ゆっくり着実に歩いているつもりだったが、どうやらふらついているらしく、柴田君は何度も私に「大丈夫ですか?」と訊いてきた。
ハチ公前に着いた時、私はだらだらと歩いていた足を止めた。
柴田君も、同じように止まると、私の視線にあるものを確認し、同じように目をやった。
『embellir』(アンベリール)と大きく書かれた下には、サンタクロースの帽子を被った、フランス人らしき美しい女性の横顔が大きくプリントされ、女性の耳にはローズゴールドのチェーンに小さなダイヤとパールがついたピアス、頬を覆う細い手には、同じくローズゴールドに、小さなルビーとダイヤが並んだ指輪がついている。
そして下の方には、『Joyeux Noël このクリスマスを、あなたと。』と書かれてある。
何度見ても、なんて可愛い広告なのだろうと思ってしまう。
仁と全然話せていないから、詳しいことはよくわからないが、アンベリール、きっと上手くいってるんだろうな。
この指輪は、私がアンベリールを知らなくても欲しくなっているだろう。
何の特別なデザインが施されたわけではない。
言い換えると、余計なデザインがなく、華奢なリングに、小さな石だけど、そのバランスがどれも絶妙で、主張しすぎていないのに、存在感がばっちりある。
何度見ても、欲しいなと思う。
実際、お店にまで行って買おうかと思ったことがあった。
値段は3万8000円と、自分のご褒美に買えないものではないのだが、結局自分で買うことはできなかった。
指輪は、男の人からプレゼントしてもらうもの。
そういう考えは、今どきもう古いのかもしれないが、アクセサリーの中で、唯一指輪だけは、自分で買うのに、抵抗があった。
ネックレスやピアスは、自分が鏡に映った時じゃないと、身につけていることすら忘れてしまうが、指輪はそうじゃない。
事あるごとにに自分の視界にも入ってくるし、着けている感じが一番するジュエリー。
だから、簡単に手を出すことができない。
そんなこだわりがあるせいで、指輪だけは持っている数が少なかった。
亮からもらったピンクサファイアをいまだに着けたりするのは、他に選べるだけのものがないから、というのもある。
こんなことでまだ亮という存在が出てくるなんて。
なんて惨めなんだろう。
だから、自分で新しい指輪を買おうと思ったのに。
自分の変なこだわりなんて、捨てれればいいのに。
「未練、あります?」
突然の柴田君の言葉に、何に対してなのかわからず、何も言わず柴田君の顔を見た。
「あ、和田さんのチームにってことです。」
柴田君、私が言おうとしていることを先回りして言ったりするから、もしかしたら今、亮のことを考えているのに、気づかれたのかと思ってしまった。
私は広告に視線を戻すと、小さく頭を横に振った。
いきなり異動って言われた時は、悔しかった。
和田チームが楽しかったのは事実だが、未練があるわけではなかった。
堀さん、宮川さんは厳しいが、得ているものも多いし、何より刺激的な毎日を過ごせている。
もちろん、疲労やストレスも多いが、それでも、キャリアアップと、自分の成長に繋がっていることは、間違いなかった。
堀チームの営アシになった以上、真淵じゃないと仕事が勤まらないって思わせないとだよねー。
それを伝えると、柴田君は微笑んだ。
「燃えてますね、真淵さん。一緒に頑張りましょう。」
そういえば、柴田君はいつの間にかまた敬語に戻っていた。
でも、笑顔を向けてくれている。
やっぱりこの人の笑顔、罪だ。
普段無表情な人って、みんなこんなにも笑顔が素敵に見えるものなのだろうか。
とりあえず、柴田君との距離は少しだけ近づけた。
私、頑張る。
堀さんをギャフンと言わせてやる。
そして、エクスチェンジプログラムに選んでもらって、アメリカに行ってやる。
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