第21話 ずるすぎる笑顔

仁には、『ごめん!会社は出たけど他の用事が入った』とメールをしておき、今晩は柴田君に付き合ってみることにした。


柴田君と飲んでくる、と、本当のことを言ってもよかったのだが、なんとなく止めておいた。


いつも誘ってくれているだけに、柴田君と飲みに行くとは言いにくかった。


まさか柴田君に誘われると思ってもいなかった。


第3チームのことをよく知るいいチャンスだと思い、すぐに誘いに乗ってしまったのだが、「いいよ」と返事をする前に、どこのお店なのか聞いておくべきだったと、少しだけ後悔した。


柴田君が行ってみたいお店というのは、立ち飲みの日本酒バーだった。


日本酒が苦手な上に、座れないなんて。


あまり長居にはならないだろうし、まぁいい。





金曜の夜ということもあり、お店は混んでいた。


暖房と人の熱気で温められた店内へ入ると、奥の方に少しスペースが空いていたので、私たちはそこを陣取ることにした。


柴田君は黒のチェスターコートを脱ぐと、そのままスーツのジャケットも脱いだ。


店内は確かに少し暑い位で、柴田君は赤いストライプのネクタイを少し緩めた。


私も、ネイビーのダウンコートを脱ぎ、壁にかかってあったハンガーにかけた。




酎ハイやカクテルといったものはないので、とりあえず梅酒ソーダ割りをオーダーすることにした。


柴田君がオーダーしたのは純米にごり酒の中島県というものだった。


「お酒好きなの?」


一通り食べ物をオーダーをし終えると、私から話しかけた。


柴田君は、カウンター後ろに並んだ日本酒を眺めるのを止めると、無表情のまま私の方を見た。


「嗜む程度ですよ。普段は家で飲むほうが多いんですけどね。ここ、色んなお客さんが日本酒飲むならここに行けって言ってて。気になってたんです。」


私たちのお酒と枝豆が運ばれ、お疲れ様です、と乾杯して飲んだ。


強そうなお酒だが、柴田君は相変わらず表情を変えず、一口を飲み終えた。


私の中で密かな目標があった。


それは、今晩帰るまでに、柴田君の笑ったところを見ることだった。


第3チームのことはもちろん教えてもらいたいが、未だ表情を変えないこの相手の素性を、もう少し知りたかった。


柴田君には、年上だと言われても疑う余地がないくらい、2つ年下の他の後輩にはない落ち着きがあった。


笑っているところだけではなく、焦っているところも見たことがなかったし、いつも同じ、安定したペースで保っている、それが柴田君だった。


それで仕事も優秀となると、ぜひどんな人なのか、せっかくのチャンスなので探りたい。


「仕事、どうですか?第3、慣れてきましたか?」


私は答えに迷い、首を傾げた。


「どうかな。ご存知の通り、まだ堀さんにも宮川さんにも認められてはいないし、慣れたとは言えないよね。」


「あの人たちは手強いですから。時間かかりますよ。」


「柴田君はすごいね。ちゃんと成果出してて、2人からも気に入られてる。」


「コツとかパターンさえ見つけちゃえばそんな難しいもんじゃないですよ。」


褒められても、謙遜するでもなく、当たり前のことを言っているかのように、同じ口調で続けた。


「慣れです、慣れ。営業なんて誰でもできる仕事ですし。」


「でも努力なしで柴田君みたいな成績は、誰でも出せないと思うよ。」


柴田君はにごり酒をまた少し飲んでから話し始めた。


「配属されたからには成果出しとかないと、使えない奴で終わっちゃいますからね。」


「もしかして、他の部署希望だったりしたの?」


言おうかどうしようか考えるように、背の高い柴田君は上から私を見た。


「希望はデザイナーでした。デザイナーのポジションは空いていないけど、営業だったら採用するって言われたんです。」


確かにうちは、デザイナーはみんな中途採用の経験者しか雇っていなかった。


狙っていたデザイン会社からはいずれも内定が貰えず、あんまり興味のない印刷会社でデザイナーとして働くか、うちかのどっちかで悩んだらしいが、全体的にBJワールドワイドの方が魅力的だったらしく、物は試しに営業をやってみることにしたらしい。


「僕のことはいいとして、堀さんや宮川さんとうまくやるには、正確に数を出していくことだと僕は思っています。」


まるで私が知りたいことを先読みするかのように話し始めた。


「堀さんは数打ち当たれみたいに見えるけど、実はすごく質にこだわる人。堀さんはちゃんと仕事ができていれば、残業してるかどうかなんて気にしない人なんで、僕は時々訪問先からも直帰して早く帰ったりなんかもしています。」


きちんと成果を上げているからできることのような気もするが、息抜きは質を上げるには間違いなく大事なことだ。


でも、やることが多すぎて、そんな理想のワークスタイルができずにいるのが現実だ。


「宮川さんって予定詰めるの上手くてマジで時間取れない人なんで、わかんないことはメールで聞いて、空いた時間にすぐ返信くれますよ。あの人の頭の中常にフル回転なんで、細かいことはメールとかのほうが自分の都合いい時に対応できるから、いいんだと思います。」


確かに、宮川さんの同行以外の時、忙しいだろうなと遠慮してメールはあまり送らずに、宮川さんが会社に戻ってからまとめて質問をしたりしていた。


宮川さんは何度メールしても嫌がるタイプの人ではない、と、柴田君は付け足した。


「そのうちメールの会話に慣れてくると、素の宮川さんが垣間見れて面白いです。あの人は器用に見えて不器用なとこもありますが、いい人ですよ。」


さすがはやり手の営業マン、色々分析しながら働いているなぁと感心した。




上司の話が終わると、他の第3メンバーの話もしてくれた。


宮川さんに付きっ切りなので、他の営業のことはまだあまり知らない。


柴田君のことも、今日までほとんど知らなかった。


今日この飲みでわかったことは、柴田君の実家は浅草、今は五反田でひとり暮らし、そして柴田君は帰国子女組ではないということだった。


実は、柴田君が、電話で英語を話しているのを聞いたことがあるのだが、発音も綺麗で、上手な英語を使っていたので、てっきり帰国子女組なのだと思っていたのだった。


どうやら大学時代に勉強に明け暮れ、習得したらしい。




大学での専攻は経済学部らしく、デザイナーになるためのスキルも独学で学んだというから驚きだ。


時間を持て余すのが嫌だったらしく、大学で講義を受ける以外は、デザイン会社でインターンやアルバイトをし、それ以外は英語とデザインの勉強しかしていた記憶がないらしい。


私の大学時代といえば、英語にはそこそこ時間を費やして勉強したつもりとはいえ、適度にも遊んだ。


柴田君は、私とは比べものにならない位勉強したのだろう。


それか、元々頭がいいのか。


どちらも当てはまるのかもしれない。


かなりの努力家というのは、今の仕事っぷりを見ていてもわかる。


だが、本人はそれを自慢気に話すわけではなく、それが至って当然、もしくはそれではまだまだ足りないと思っているのか、私が、すごい、と心底から反応したところで、何のリアクションも見せなかった。




そろそろ食べ物も終わりに差し掛かっていた。


第3チームのことも色々知れたし、なかなか料理も美味しかったし、興味のなかった立ち飲み日本酒バーは、足は疲れてきたものの、来た甲斐は十分あっただろう。


だが、まだ柴田君の笑ったところを見ていない。


私が大袈裟に笑ったり反応したところで、柴田君は自分のペースを変えなかった。


これはかなり手強いように思えたが、まだ他にも方法がないわけではない。


「ねぇ、柴田君てなんで笑わないの?」


直球に聞いてみるのが何より早い。


柴田君は予想外の質問に、またしばらく私を流し目で見た。


何も答えず、中指で黒縁メガネを鼻にキュッとすると、残っていた日本酒を再び口にした。


私はまずいことでも聞いたのかと思ったが、柴田君は日本酒を机の上に置き、話し始めた。


「苦手なんです、そういうの。」


意を決したように話してたらしいが、よくわからない。


「苦手ってどういうこと?」


私がお門違いな質問でもしていると思われたのか、柴田君はゆっくりまばたきをした。


「人とコミュニケーション取るのが苦手なんですよ。」


そう言うと、残った日本酒を一気に飲み干し、前にいた店員さんにお代わり、という仕草を見せた。

私も2杯目の梅酒が少し回っていたせいなのか、理解するのに時間がかかった。


超厳しい営業部長の堀さんが期待している程の成績優秀営業マンが、コミュニケーションが苦手だと言っている。


相反しているようなその内容を、同じ人が言っているということが、いまいち腑に落ちなかった。


「仕事はコミュニケーションというよりはゲームみたいな感覚なんです。相手が必要なニーズをちゃんと提供すればいい。だから人の気持ちとかを考えながら話すコミュニケーションの方がずっと難しいと思うんです。」


私が言葉を発しなくても、どうやら何を考えているのかわかるらしく、自ら説明を始めてくれた。


「自分が笑えば、相手も笑う。でもそれは、自分が笑ったから、相手が合わせて笑っているのかもしれない。自分が怒った顔をすると、相手は自分の反応を見て、困るか同じように怒る。それが相手の本当の気持ちかどうかなのはわからない。面倒くさいから笑っているかもしれないし、早く切り上げたいから困っているのかもしれない。そう思うと、相手のことがわからなくなるんです。」


何とも理屈っぽい説明だろうか。


少しだけ仁のことを思い出したが、柴田君は仁をはるかに上回っている。


「そんなこと考えながら話してたら疲れない?」


「だから苦手なんですよ。」


「じゃあ柴田君は全く笑わないの?」


「そんなことないですよ。相手の人が何を考えているかわかる人、素直だなと思った人には普通に会話します。」


無表情のままそう話す柴田君にとって、私はそのうちの一人ではないのだろうと思った。


「仕事関係の人にはないでしょうね。まぁあって同期か後輩の仲良い奴以外は。やっぱり敬うべき人であり、敬語な訳ですし。」


「なるほどねー。じゃあ今だけ私に敬語使わないで喋ってみる?」


また予想外なことでもを言ったと思われたのか、柴田君は首を傾げ、怪訝そうな顔で私を見た。

「それは無理ですよ。真淵さんが先輩という事実は変わらないですし。」


「先輩の私がそう言ってるの。」


「無理です。」


「先輩の言ってることに逆らうの?」


私がじっと柴田君を見て言うと、柴田君は眼鏡を耳に掛け直し、目を細めて窺わしい顔を向けた。


「あの、真淵さん。今やってるのはパワハラですよ。」


柴田君と同じように目を細めて下から睨みつけて見たものの、何も言い返す言葉がなかった。


「真淵さんってそういうこと言う方だったんですね。」


眼鏡越しの流し目で言われると、怒っているようにも、呆れられているようにも見える。


もしかしたらまずいことを言ってしまったのだろうか。


「・・・わかりました。じゃあ交換条件でどうですか?」


「何?」


店員さんオーダーした日本酒をカウンターに置くと、柴田君は「これもう1杯お願いします」と言った。


そして、今運ばれてきた日本酒のグラスを、私の目の前に滑らせた。


「日本酒バーに来たんですから、僕と一緒に日本酒飲んでください。」


私は無言で目の前に置かれた、小さなグラスひたひたに注がれた日本酒に目をやった。


もう1杯の日本酒も、店員は目の前で入れ、すぐに出された。


私はこぼれないようにゆっくりとグラスを持つと、柴田君に「乾杯。」と言った。


そして、柴田君も同じようにグラスを少しだけ浮かすと、「ありがとう。乾杯。」と言って、口元を緩ませ、微笑んだ。


何を言われても笑顔を見せない柴田君が、初めて微笑んだ。


普段笑わない人が、少しでも口角を上げると、その効果は普通の人が笑うよりも、何倍もキラキラして見えてしまう。


普段笑わないせいか、キリッとしている印象のその表情が溶けた瞬間、全くその人の印象が変わる。


眼鏡だけど目は綺麗だし、背は高いし、頬を緩ませると、なかなかかっこいいと思った。


笑顔の効果は、絶大だ。

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