第17話 テキーラでお願い

あと数時間後には、後任と顔合わせで、そこから引継ぎをしなければいけない。


その予定は、自分が今の時間をどう過ごしても変わらない。


自分の気持ちには触れないように、とりあえず担当している案件の資料やデータをまとめ始めた。


遅くまで残業して作った企画書、初めて関わった案件、クライアントから、これは役に立つ、と喜んでもらえたレポート。


忙しくて、じっくり見返す機会など今まであまりなかったせいか、こんなにも自分が作ってきたものが増えていたことに気づかなかった。


入社したばかりの頃に作った企画書は、説得力にかけていて何度も何度も作り直さされた。


今となっては、懐かしい思い出のように感じる。


まるで、卒業間近に、今まで撮った写真を見返しているような気分だった。


後ろを振り返ることなく、忙しい毎日を邁進してきたせいか、自分が少しずつ社会人として成長しているということにも気づかなかった。


周りについていきたい、周りよりも先を行きたいという気持ちが、いつの間にか自分の力になっていたことに、こうやって過去を振り返って気づかされたのだった。




来週から担当する第3グループは、営業グループの中で最も忙しいチームだ。


うちの会社で最も多いクライアントが飲食関連企業、つまり第3グループのクライアントなのだ。


和田さんの言う通り、第3グループへの異動は、スキルアップに繋がることは間違いないのだろう。


自分にとってこの異動はプラスなのだ。


ただ今は、和田チームへの気持ちが大きくて、離れることがただただ寂しかった。


異動命令に驚いたのは、どうやら後任の竹林希美も同じようだった。


入社して半年で異動命令、確かに驚くのも無理はない。


和田さんに連れられてデスクにやってきた竹林希美は、少し緊張気味に挨拶をしてきた。


身長が低いせいなのか、厚い前髪がそうさせているのか、幼い感じの印象を受けた。


くりっとした目と、ふっくらとしたほっぺが、さらに幼くさせているのかもしれない。


新卒ということで少し心配していたが、物分りがよく、想像していたよりも引継ぎはスムーズにいきそうだった。


アンベリールのプロジェクトを、カタログを見せながら少しだけ話すと、心底から魅力的なブランドだと思っているように、目をキラキラさせていた。


もしかしたら上手くやってくれるかもしれない。




夕方になると、1日外出だった仁がオフィスに戻ってきた。


一瞬目が合ったものの、忙しいのか、鞄を机の上に置くなり、そのまますぐに和田さんのデスクへ直行した。

 

今日はとりあえず飲みたかったし、何よりも早く会社から出たい気分だった。


時計が6時になっても、仁はまだ和田さんと話し込んでいる。


第4グループのオフィスを覗いてみたが、まだ千秋の姿はなかった。


異動の件は千秋にもメールで連絡していた。


「まじで?!まぁデスクは近くなるから嬉しいけど、忙しくなるね(>_<)」と返事があった。


第1、第2グループはエレベーターを降りて右側、第3、第4グループは左側と、同じフロアだがオフィスは違う部屋にある。


なので、千秋がいる左側に行かない限り、オフィス内で千秋とすれ違うことなどない。


千秋がいるから行くようなもので、それ以外はほとんど用がなかった。


そういうこともあり、第3グループとはほとんど接点がない。


仁と和田さんのミーティングは終わりそうな気配がしないので、先にオフィスを出ることにした。


こんなに定時に近い時間に退社するのはいつ以来だろうか。




10月になったというのにまだ残暑が続いているが、それでも夕方になると、ゆるい風が心地よかった。


15階のオフィスから見える夕日も綺麗だが、地上で外の匂いを感じながら見る夕焼けも悪くなかった。


1時間位買い物をしながら時間を潰していると、仁から、会社を出た、と連絡があり、道玄坂にある小さなバーで飲むことにした。


千秋はさっき会社に戻ってきたらしく、今日は難しいかも、とのことらしい。


私たちは奥にある小さなテーブルに座った。


「何飲む?俺買ってくるよ。」


「うーん、じゃあテキーラショットで。」


仁は目を丸くすると笑った。


「潰れる気だねー。普段そんなもん飲まないくせに。とりあえずビールで乾杯は?」


頷くと、仁は私の頭を軽く撫でてカウンターに向かった。


テキーラショットはさすがに冗談だったが、それ位飲んでやりたい気分ではあった。


ジョッキを2杯持った仁が戻ってくると、「じゃあ理沙の出世異動に乾杯。」と言ってグラスを当ててきた。


何も言い返さずに、とりあえず飲めるだけ生ビールを流し込んだ。  


飲んでやりたいという気持ちのせいか、結局一気飲みになった。


仁は黙って、目の前にいる荒れた女を、じっと見ていた。


「なんでこのタイミングで私が異動なわけ?」


仁に聞いたところで知ってるはずがないとはわかっていたが、とりあえずこの言葉を誰かに吐きたかった。


そして、知ってるはずがないと思っていた相手は、私が知らなかったことを話し始めた。


「今の第3の営アシ、もともと大阪出身の人らしいんだけど、お母さんが病に倒れて、看病のために大阪へ戻りたいってことで、急遽決まったことらしい。第3は営アシいないときついから、営アシ経験者ってことで、理沙、第1、第4の営アシが挙がったらしい。で、理沙が今回選ばれたってわけ。」


「だから何で私なの?」


肝心なところはそこだった。


仁は、下唇を少し噛み、言いづらそうに言った。


「1も4も、部長が営アシの異動を拒んだから。」


言葉は出なかったが、頭の中で訊いていた。


ってことは和田さんは拒まなかったってことー?


「和田さんも拒んだよ。」


私が思ったことを察したように仁は言った。


「でも、自分が自信を持って育ててきて、この子なら大丈夫と思ったから、推薦しようと思ったんだって。それで和田さん、理沙を提案して、それがそのまま通ったらしい。」


もっとアルコールを体の中に注ぎたくなり、テーブルの上のグラスを見たが、さっき一気飲みしたグラスは憎い位に何も残っていなかった。


「いいじゃん、第3グループ。忙しくなるだろうけど、絶対いい経験になるよ。」


仁も和田さんと同じくポジティブだった。


いい経験になるのは私もわかっているんだが、自分がこれから力を入れようとしていたプロジェクトに対する未練は大きい。


「アンベリール、一緒にできないの、残念だな。」


そうだなー、と言いながら、仁は少し遠い目をした。


仁がオフィスに戻ってくるなり、「このブランド知ってる?」と小さなカタログを見せてきたのが、アンベリールとの初めての出会いだった。


ほかにもたくさん仁と一緒にやってきたプロジェクトはあるのだが、1年以上も断り続けられ、粘ってやっと受注に繋がったというストーリーがあるせいか、2人の中では特別なブランドになっていた。


女子の視線からの意見が欲しい、ということで、仁は度々アンベリールのデザインについてどう思うかを訊いてきた。


こうゆう華奢なのってつまらない?


石とかついてるほうがいいの?


イベント以外に、どうゆう時にジュエリーってプレゼントされると嬉しいの?


一緒にやってきたプロジェクトのことや、遅くまで残業しながら作った企画書を、完成直前に間違ってセーブせずに閉じてしまったこと、初めて携わった広告が新聞に掲載された時のことなど、ビールを飲みながら、今まで一緒にやってきた仕事の思い出話をした。


「なんで俺ら途中でセーブしなかったんだろうね。」


「本当、あり得ないよね。結局朝方位まで作り直したんだっけ。」


「そうそう!でも結局和田さんからダメ出しくらってまた一から作り直したんだよな。」


苦い思い出も、今となっては笑い話だ。


こうやって、これからは、仁と同じ仕事のことで話し合えなくなると思うと、やっぱり寂しい。


仁とは、仕事が終わってからも、あーだこーだ飲みながら、アイデアを出し合うのが当たり前になっていたのに。


お互いそんなことを考えているのか、2人の間にはしばらく沈黙が続いた。


「寂しくなるね。」


思っている気持ちをそのまま言った。


「そうだな。理沙の意見に助けられることいっぱいあったし、これからも一緒にやっていきたかったな。」


仁がそう思っていてくれて嬉しかった。


私も、仁ともっと一緒に仕事を続けたかった。


「でもまぁ部署が変わるだけで会社からいなくなるわけじゃないしな。こうやって飲みに行く関係だって変わらないだろ?」


仁の問いかけに、私はわざと首を傾げてみた。


「あっそー!はいはい、じゃあこれでさようならということで。お世話になりましたー。」


仁は椅子から立ち上がると、空になったジョッキを手にし、肘で私の腰を軽く突いた。


もちろん、これからもこうやって一緒に飲みに行く関係は変えるつもりなどない。

 

仁は、私にとって、これからも特別な同僚だ。

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