第16話 異動命令

いつものように出勤すると、まるで自分が来るのを待っていたかのように、デスクの電話が鳴った。


相手は和田さんからだった。

 

鳴り響く電話を無視し、立ち上がると、自分のデスクから和田さんのほうを見た。


目が合い、電話を切ると、和田さんはこちらに来るよう手招きをした。


ガラス越しに見えた和田さんの顔に笑顔はなく、離れていても何か重大なことがあるらしいということがわかった。


もしかしたら何かまずいことでもしてしまったのかと思い、昨日提出したレポートのことなどを考えながら和田さんのオフィスのドアを開けた。


おはようございます、と言いながら向かいに座ると、和田さんは両手を組み、口をまっすぐにした。


考えても何も思い当たらなかったが、やはりまずいことが起こっているような気がしてならなかった。


事実、呼び出した相手は、なかなか話し出そうとしなかった。


「何かありましたか?」


待ち切れずに訊いた。


すると、和田さんはゆっくりと大きく深呼吸をし、重い口を開いた。


「来週から第3グループに異動してもらうことになった。」


はっきりと発せられたその言葉を、聞き逃したわけではなかった。


だが、あまりにも突然で、頭の中で、うまくその言葉が処理されなかった。


うちの会社で異動が珍しいわけではないが、このタイミングで、まさかそれが自分にやってくるとは、寝耳に洪水の気分だ。

 

話を聞くと、昨日上層部たちで行われた会議で決まったらしい。


現在の第3グループの営アシが大阪支社の営業になり、私の今のポジションには今年の新卒で入社した、竹林希美という、現在第1グループの営業が営アシになることになったらしい。


全くもって、嬉しいニュースではなかった。


和田チームのアンダーで働くというのも好きだし、弟2営業メンバーとも仲が良い。


しかも、やっとスタート地点に立つことができたアンベリールからも、離れるということになる。


第3グループといえば、厳しいことで知られている堀のチームで、営業のメンバーも今まで全く関わりのない人たちばかりだった。


「納得いかない」


まさにその一言を言ってやりたかった。


だが、「仕方のないこと」で片付けられてしまうのもわかっていた。


会社からの命令には逆らえないのが事実だ。


「堀のチームはテンポが速いから、真淵にとってもスキルアップに繋がるよ。」


ポジティブなことを言われたところで、今は耳に入れたい気分ではなかった。


和田さんが決めたことじゃないということはもちろんわかっているが、今のこのやり場のない気持ちを、どうしていいのかわからなかった。


結局「はい。」という返事しかでなかった。




今日の午後1に、竹林希美という後任を私のデスクに連れて行く、と言った。


早速今日から引継ぎを始めるとのことだ。


「アンベリールの案件、大丈夫なんですか。」


竹林希美は今年入ったばかりの新入社員だ。


営アシとして突然スタート間際のプロジェクトを持たせるのは心配だった。


自分として力を入れてきたアンベリールなだけに、なおさらだった。


じっくり温めてきた卵から孵化したヒナを、渡すような雌鶏の気分と言っても、過言ではないのだから。


「竹林には学んでもらいながら進める形になると思う。その分、俺と仁で、真淵がする予定だったパートをバックアップしていく感じになるな。」


真淵がする予定だったパート。


もう自分はそのパートから外されているというその言葉は、とてもむなしかった。


アンベリールは、真淵にもちょっとサポートしてもらわないといけないかもしれない、そんな類の言葉をどこかで期待していたのかもしれない。


「真淵には堀と今週どこかでミーティングを設定してもらって、来週から第3グループに専念してもらうことになっている。」


役二年半一緒に働いてきたのだ。


私がアンベリールに未練があること位、和田さんはわかっている。


だが、それを知った上で、「第2グループのことはもう忘れていい」、そう伝えられているような気がした。


自分のデスクに戻るなりパソコンに向かったが、何をしていいのかわからなかった。


後任に引き継ぐ為に、資料やデータをまとめたりするのが、今自分がしなければいけないことだろう。


何をしていいかわからない、というよりは、わかっているけどしたくなかった、のほうが正しい。


どれ位時間が経ったのかわからないが、しばらくメールをチェックするふりをしていたのだと思う。


届いていた未読メールを開封したが、ひとつも内容など頭の中に入ってこなかった。


そんなことをしていると、黒iPhoneが鞄の中で鳴った。


黒いのは会社用、白いのは自分用、営アシも一応iPhone2台持ちだ。


いつもは出社するなり机の上に置くのだが、そんなこともすっかり忘れていた。


メールは仁からだった。


「和田さんのメール見た。まじ?」と書かれていた。


「和田さん」と書かれたメールボックスには、確かに1件未読メールがあった。


『異動のお知らせ』と書かれた表題には、来週から自分が第3グループに異動し、後任に竹林希美を迎える、といった内容が書かれていた。


ついさっき送信されたものらしい。


『今夜飲み、よろしく』


それだけ返信すると『了解』とすぐに返ってきた。

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