第11話 襲わない関係

仁が缶ビールを開けると同時に、大きくあくびが出た。


もうすぐ3時になろうとしている時計を見るなり、立ち上がった。


「私そろそろ帰るよ。」


仁も同じように壁時計を見た。


「朝帰れば?」


ようは泊まっていけば?ということだ。


亮と別れてから、仁の家には何度か泊まったことがあった。


無論、仁との間に何かあるわけではなく、ただタクシー代を浮かせるためだ。


夜中の1、2時位であれば、まだ帰ってシャワーを浴びて寝る準備をする気力があるのだが、3時となると、化粧も取らずそのままベッドに向かうことが多かった。


肌に悪いのはわかっているが、この時間にはそんなこともどうでもよくなっていることが多い。


タクシーを捕まえて帰るまでの時間があるのだったら、その分ここで寝るほうがマシにも思えた。


そういうことで、仁の家から朝帰りをしたことが何度かあった。


「そうだね。じゃあそうする。」


カバンから携帯用の歯ブラシセットとメガネケースを取り出すと、洗面所へ向かった。


終電を逃して残業する時の為に、この2セットはいつもカバンの中に入っている。


ワンデーの使い捨てコンタクトでも、ずっとパソコンと向き合っていると、ずっと装着しているのは負担だった。


以前は2週間使い捨てを使っていたが、装着時間が長くなったので、2年前に1日使い捨てに切り替えた。

 

水で落ちるマスカラを使っているので、マスカラを取ったうえにメガネの目は、いつもよりも小さく見えた。


メガネ姿でリビングに戻ると、仁からジャージを借り、スカートの下から履いた。


別に仁も気にしていないようで、ベッドの上でiPadを使っていた。

 

ソファの上で横になると、ブランケットをかけ、メガネを机の上に置いた。


クーラーで冷えた部屋で被るブランケットは気持ちがよかった。




初めて仁の家に泊まらせてもらった時は、2月でまだ寒い時だった。


「泊まってく?」と言われた時は、正直少しドキっとした。


だが、仁も自分の言ったことにはっとし「そういう意味じゃなくて、始発で帰ればタクシー代も浮くだろ?」と慌てて付け足した。


確かに夜間のタクシー代はできるだけ避けたいものだった。


襲うつもりはないらしいという前置きもあったので、泊まらせてもらうことにしたのだった。

 

その時もスカートだったので、仁からジャージを貸してもらった。


身長が高い仁のジャージは、3回裾を巻いてちょうどいい長さになった。


仁は、自分はソファーで寝るからベッドを使っていいと言った。


ロングTシャツとジャージに着替えると、仁がいつも使っているベッドの中に入った。


仁の使っている香水と、仁のほのかな甘いような匂いがし、眠気が少し覚め、落ち着かなかった。


男の人のベッドで眠るのは、襲われないとはわかっていても、ドキドキした。


まるで仁に包まれているような感覚がしたのだった。


それに、そういう意味じゃないとは言っていたものの、もしかしたら10%かそれ位の確立で、もしかしたら、何かあるかもしれないと思った。


男が女に、泊まっていかないか、と誘ったのだから、それなりのことは誰だって考えてしまうのではないだろうか。


だが、私がベッドの中に入っても、ソファの上で寝る仁は動こうとする気配がまるでなかった。


ベッドの中でじっとしていると、しばらくしてから大きな寝息が聞こえてきた。


結局何も起こらなかったし、それ以降も、泊まっても何も起こらなかった。


そして、そういうことも考えなくなっていった。


仁にとって私は仲のいい同僚で、仁にとってもそれは変わりないのだろうと思った。


仲の良い同僚であって、特別な関係を持つ相手ではない。


私もそういう関係を期待していたわけでもなかったので、何も起こることなく仁の寝息が聞こえ、正直安心した。


仁との関係を、簡単に壊したくはなかった。


同じ会社で、同じ部署だから、仕事のことはもちろん、恋愛相談、アメリカに住んでいたから、その話だってできる。


仁とは会話に困ることがなかったし、話していなくても一緒にいれた。


その関係が、心地よかった。


変な一線を超えて、この関係が壊れてしまうリスクなど、いらなかった。


「電気、消す?」


「仁が寝る時でいいよ。」


「俺ももうだめ。寝る。」


「おやすみ。」


「おやすみ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る