第9話 自分 < あきちゃん

でも、亮だけが悪いとは思わなかった。


私に仕事が入って会えなくなった時、亮は何の文句も言わず、それどころか、いつも優しい言葉をかけてくれた。


あんまり無理するなよ、帰ったらまた連絡して、というのが、いつも言ってくれるお決まりの言葉のようなものだった。


そのおかげもあって、いつも仕事に打ち込めていたし、亮も理解してくれていて、そこまで気にしていないものだと思っていた。


男だし、私より年上だから、強いもんだと思い込んでいた。


でも、本当の亮はそうではないと気付かされた。


5年も付き合ってきたのに、私は本当の亮を知らなかった。




自分がやったことをひどく後悔した。


やっぱり、彼氏の携帯など、見るべきものではない。


見ていいことなど、これっぽっちもないと、身を以て学んだ。


そして、もう1つ最低なことをしなければいけなかった。


あきとのメールのやり取りを開き、さっき送られきたメールの削除ボタンを押した。


最低なことをしているのは重々承知だった。


だが、これ以外、私たちの関係を今まで通りにしておく方法はなかった。


私の中には本当に悪魔が住んでいるのかもしれない。




翌朝、私が寝過ごすと、先に起きていた亮は、私が好きなパン屋から、私が一番好きなアーモンドクロワッサンと、豆乳のカフェラテを買ってきてくれていた。


肩が痛いと言うと、マッサージをしてくれ、亮が眠いと言うと、私は映画を観ながら亮に膝枕をした。


誰もが羨むような、幸せな恋人の図そのものだろう。


私は亮に、今までと変わらず振る舞ったし、相手も私が携帯を見たことに気づいていないようだった。


ただ、勝手にメールを見て削除したという、大きな罪悪感が、常にまとわりついていた。


でも、この関係を守りたかった。


私がもっと努力すれば守れる、私はそう信じていた。


そんな勝手な自信、一体どうやって持てたんだろうか。


自己中な自分を、ただ認めたくなかったんだろう。


今ならわかる。


でも、認めたくなかった。


自分がもう、あきちゃんに負けているということを。




翌週の水曜日。


亮は仕事が休みで、珍しく私もオフィスを6時に出ることができた。


実は朝いつもより2時間早く出社した。


今日は絶対にドタキャンできなかった。


亮との本当の関係を、取り戻したかった。




会社を出ると同時に亮にどこで会おうかとメールした。


亮が住む代官山か、渋谷か、自由が丘か、その周辺がいつものパターンだった。


渋谷駅前のスクランブル交差点の信号が変わるのを待っていると、亮からメールがあった。


『お疲れ。早かったね。遅くなると思って実は今飯食い出したところ。ごめん、8時位に家に来る?』とメールがあった。


『わかった。じゃあ8時に行くね。』


それだけ返信した。




せっかく早く会社を出たし、久しぶりに渋谷で買い物でもしようかと思ったが、ぶらつく気分にはなれず、結局TSUTAYAのスタバで待つことにした。


ぼーっとしたい時、よく来る場所だった。


いつ来ても人は多いし、落ち着く場所ではないのだが、ここにいると、人に紛れることで、自分の存在をちょっとだけ薄くできるような気がした。


信号が青になる度、まるでビー玉が溜まった箱の底が外れたように、四方八方に行き交う人、人、人。


ただ一直線に早歩きで渡る人、渡っている途中で写真を撮る人、信号が点滅しているのに渡りだす人。


どこからやって来て、どこへ消えていくのか。


ここからこうやって眺めている人がいることなんて気にせず、信号を渡る人、人、人。


私もいつもは、早歩きで人の隙間を急いで渡る人のひとりだ。


移動している時間が、いつも何より惜しいと思える時間だった。


早く歩いて、一番最短距離で移動すれば、オフィスで作業する時間がちょっと長くなる。


普段の自分が、いかにゆったりとした時間を過ごしていないことだろうと気づかされる。


時計を見てみると、まだ席に座ってから5分位しかたっていなかった。


こうやって、仕事も英語の勉強も何もしないでラテを飲むなんて、滅多にしないせいか、時間がすぎるのがとても遅く感じられた。


そして、やっぱりそんな時間が勿体無いと思った。


結局、会社用の携帯を取り出し、メールチェックや提案資料の再確認などをしながら時間を潰した。


来週訪問予定の企業の資料に目を通している時、いつものように集中できない自分がいた。


私は、時間が勿体無いわけではなかった。


ただ、ぼーっとしながら頭の中に浮かんでしまうことを紛らわしたかっただけだった。


亮が、あきという可愛い女の子と一緒に、楽しそうに食事をしているところを、思いたくなかった。

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