第5話 ワインとするめ

私たちが住んでいるのは、東横線沿線上の自由が丘と多摩川の距離ということもあり、渋谷で飲んだ後は、どちらかの家から近い居酒屋あたりで飲みに行くのが、お決まりのパターンだった。


今日は多摩川にある焼き鳥屋に行くことにした。


だが、お店に向かっている途中、ちょっとずつ仁の歩くスピードが落ちていき、仁はコンビニの前で立ち止まった。

 

コンビニに入ると、迷うことなく隅にあるお酒コーナーへと向かった。


そして、迷わず、スクランブル交差点で見たCMのワインを手に取った。


あのCMに刺さった人がここにいる。



 

結局コンビニでそのワインを購入し、簡単なチーズの盛り合わせとするめなどのおつまみを購入して、仁の家で飲み直すことにした。


するめは私の好物のつまみだ。


仁の家には何度も来たことがある。


男一人暮らしにしては、綺麗に片付いている部屋で、本人曰く、週末にいるかいないか位だから、散らかるようなこともないらしい。

 

普段ワインを飲まないらしく、仁はワイングラスを持っていなかった。


仕方なく、普通のグラスで乾杯をし、仁はソファに腰掛け、私は床の上に座った。


「改めてよかったね。アンベリールの件。頑張った甲斐が報われそうだね。」


このことは、今日の出来事で一番嬉しいことだった。


「本当、青木さんとのリレーション築くのにどれだけ時間かかったことか。」


青木さんというのは、アンベリールの広報担当者だ。


仁が去年のコンペ後、断られ続けながらも頻繁に広報担当者を訪れていたことは知っていた。


コンペ後はさすがにかなりウザがられたらしいが、それでも諦めず、業界の動きや情報などをしつこい位に持って行き続けたのだった。


折れずに通いつめた仁の根性が、今回の社長同席商談へと繋がった。


「青木さん、俺みたいに頻繁に来る奴いないってさ。自分の妻より顔を見てる気がするとまで言ってたよ。」


仁はそう言いながら、鞄の中からアンベリールの新作パンフレットを取り出した。


「可愛いよね、アンベリールのデザイン。私もここのピアス、欲しいんだよね。」


「どのデザイン?」


仁が持っていたパンフレットをめくりながら探した。


「新作じゃないから載ってないかも。ベーシックな小さいハートのデザインのやつ。」


「あー、ローズってゆうシリーズのやつ?それ、ホワイトデーで結構出たらしいよ。」


パンフレットを仁に返すと、再びワインを口に運んだ。


「ホワイトデーなんて今となってはまるで自分とは無縁のイベントだなぁ。」


ため息交じりで言った。


「右に同じく。」


「なに言ってんの。仁は平日にたくさん綺麗な女の人たちとデートしてるんだし、し、充分でしょ。」


週2回はクライアントと食事に行く位なのだ。


まぁ全部相手が女性というわけではないらしいが、それでも色んな女性とディナーをしているだけで十分楽しいデートになっているように思えた。


「まぁ美人な人と飯が食えるのは悪くないけど、デートっていうのとはちょっと違うくない?デートってゆうのは、気になってたり、好意のある相手と出掛けることだろ?」


「まぁね。でも相手はどう思ってるかわからないよ。」


「でも俺にとってはデートではない。仕事とプライベートの狭間ではあるけど、狭間であってやっぱプライベートじゃないし。デートはプライベートのもんだろ?」


何も言い返さず、ワインが入ったグラスを軽く振りながら、横目で仁を見た。


「何?何か言いたげな感じだけど。」


すかさず仁が突っ込んできた。


「だって、そのあと親密な関係になったりしても、それはやっぱりデートでも何でもない、ある種仕事の一環でやってるってこと?」


親密な、というところを強調して言った。


仁は目を細めて私の顔を見た。


「それ、俺がお持ち帰りしてるってことを言ってる?」


深く頷き、「だって、流れ的にそういう感じになったりするもんなんじゃないの?」と返した。


仁はわざとらしく「あー」と声を出しながら、脱力したようにソファの背もたれにもたれかかった。


「なんでそーなんの?」


腹の底から出したような、低い声で言ってきた。


「だって、広告代理店の営業でしょ?そういうの、普通にあるもんじゃないの?」


どこかのネットの掲示板でも、広告代理店の営業にはそういうこともよくある話だと聞いたことがあるし、社内でも時々、どこチームの営業がどこ社の誰それと深い関係になっている、とか、そういう噂が流れたりすることもある。


仁は重い体を背もたれから離すと、私が座っている方へと向き直った。


「まぁそういうのもあるだろうな。というか、こっちからじゃなくても、相手から誘ってくることだってあるだろうし。そういう関係を持ってかどうかは知らんが、それで受注に至ってる営業だってもちろんいる。仕事だけじゃなくても、そこから恋愛にだって発展して結婚する人もいるぜ?でも俺は別に興味ない。」


少々酔っている感じではあったが、目は真剣だ。


「なんで?」


「なんでって?」


仁は眉間に皺を寄せながら同じ言葉で聞き返してきた。


「だって、男だったらそういう流れって、ラッキーって思うもんなんじゃないの?しかも仁、彼女いるわけじゃないし。」


仁は指先でこめかみを押さえると、苦い顔を見せた。


「男が全員オオカミってわけではない。彼女がいるいないに関係なく。」


仁はコーヒーテーブルの上にあるワインボトルを掴むと、自分のグラスに注ぎ、続けた。


「というか面倒なんだよね、そうゆうの。1回そういう関係になると、フォローしなきゃいけないのが仕事だけじゃなくなる。その人のことも個人的にフォローしなきゃ駄目になったりするだろ?仕事の中にそういう感情が入って、それがいつもプラスに働くってわけでもないし。とにかくややこしくなるのが嫌なんだよ。俺そんな器用でもないし。」


今まで、もちろんそういう関係があるものだと思っていたこともあり、クライアントとの食事後の流れなど、特に話をしたこともなかった。


なんとなく、仁の口からそういうことが出てくるとは意外なことだと思った。


「ちなみに堀さんは食品メーカーの競合にあたる2社の人たち両方と深い関係を持っちゃって、それがどこかでお互いにバレちゃって、どっちとも年契を切られたってゆう過去がある。2つの大手お得意様から去られちゃって、当時は大変だったらしいぜ。」


堀さんというのは飲食関連の企業を担当する第3グループの部長だ。


会社では一番厳しい営業部長として知られている。


部長になる前は、数々の大手クライアントと大型受注を取ってくるなど、かなりのプレイヤーだったらしく、堀さんの成功事例は今でも営業たちの間で活かされている。


堀さんにそういう過去があるのは、あまり驚きではなかった。

以前千秋からも、似たような話を聞いたことがあった。


「仁は営業やってて一度もお持ち帰りないの?」


仁はすかさず首を横に振った。


「お持ち帰りにはなったことない。されかけたことは何度かあるけど、回避した。」


「どうやって?」


すると仁は、一瞬はっとしたかと思うと、慌てて胸ポケットからiPhoneを取り出し、人差し指でスクリーンをスライドさせた。


「もしもし、BJワールドワイドの星野です。…あ、部長どうもお世話になっております。え?今ですか?僕、多摩川にいます。…え?!今からですかぁ?!…それはちょっと…。…あぁ~、それはまずいですね。…でも今晩ちょっと厳しい…。」


そこまで演技をしたところで、下唇を噛みながら気まずそうに見てきた。


まだ演技は続いているらしい。


「…わかりました。僕もお手伝いに伺います。…はい。失礼いたします。」


 言い終えると仁はiPhoneを胸ポケットにしまった。


私は呆れたようにため息をついてから、コンビニの袋からピリ辛七味唐辛子味のするめを取り出した。


「で、『ごめんなさい!急用が入って今から行かなきゃいけなくなりましたぁ。』って?」


私はするめをくわえながら言った。


「まぁそんな感じ。」


仁はソファから床の上にずり落ちると私の隣に座り、仁もするめに手をつけた。


「相手から誘われかけてる時にそんなこと言って、なんか演技っぽいよ。」


「誘われる前にやるんだよ。だいたいご飯食べてる時にわかるもんだよ、そういうのって。それにストレートに『俺あなたとはそういう関係になりたくないんです』とは言えないでしょ?」


一見、細かいことなんて気にせず、ノリと勢いで突っ走るタイプのように見えるのだが、実はこういう細かいことに対しても真面目というのか頑固というのか、自分の価値観を貫くところがあるというのも、仲良くなってから知った。


営業時の仁はもちろん前者の、ノリと勢いタイプだが、飲んでいる時には、後者の仁が現れることのほうが多いような気がする。


根はとても真面目タイプなのだろうと思う。


「理沙こそ最近男とデートとかないの?」


人の話は聞いていて楽しいが、自分のことになると面白くない話題だった。


「1ヶ月位前にしたよ。」


大学時代の友達の同僚を紹介されたのだった。


「1ヶ月前って結構最近じゃん!ってか俺何も聞いてないんだけど。」


仁とは何でも話しをする仲だ。


これが上手くいったものだったら間違いなくすぐ話していただろう。


「だってどうでもよくって1度会って終わったんだもん。」


「何が駄目だったの?」


身長は高くて、顔もまぁ男前のグループに入れられるだろうし、仕事は大手自動車メーカーの開発部。


同い年でも落ち着きがあり、簡単な言葉で言うならば好青年といった印象だった。


しかも相手は私のことを気に入ってくれたようで、次の約束をしようと誘ってきた。


だが、どこかしっくりこなくて、結局次の約束には至らなかった。


そのことを話すと、仁は「もったいない。」とこぼした。


確かにもったいないことをしたのかもしれない。


だが、そう思ったところで、新たな恋愛のスイッチは簡単に入らない。


「やっぱまだ引きずってるの?」


触れられたくないところだったが、仁には隠せない。


「半年位になるんだっけ?」


仁の質問に頷いた。


私が恋愛のブレーカーを落としたのは、間違いなく半年前にあった“カレ”との別れだった。




 “カレ”との出会いは、大学3年の時だった。


4歳年上のカレは、今まで付き合ってきた人の中でも、比べられない位特別な存在で、今までで一番続いた恋愛でもあった。


というよりは、「人を好きになる」という本当の意味を、初めて教えられた相手だった。


そして「運命」というものを感じさせられた相手でもあった。


そのカレとの別れ、それはまるで、突然の落雷のようにやってきた。


いや、そう思ったのは、多分私だけ。


カレは私よりずっと前に、終わりが来ると悟っていた。

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