第4話 女に可愛がられる営業マンの秘密

「楽しみだったんですっごい残念ですけど、また江川さんが時間できたら行きましょう。はい。では失礼します。」


仁はため息をつきながら携帯をポケットにしまうと同時に私の腕を離した。


「アイコムの江川さん?」


アイコムとはアパレル企業で、仁が担当しているクライアントのひとつだ。


江川さんとは私も商談で会ったことがある。


アパレル業界なだけあってか、ファッションはもちろんのこと、爪の先からヘアスタイルまで完璧に整った、美人なPR部長というのを思い出した。


「そう。今日の晩飯、ドタキャンされた。一緒に美味しいイタリアンの予定だったのに。」


「またクライアントとご飯の予定?昨日もLCBの黒部さんとご飯行ってなかったっけ?」


こちらはコスメ会社の広報担当だ。


「行ったよ。昨日は居酒屋でしっぽりね。」


仁にとってクライアントとご飯に行くことは、もはや当然のことになっていた。


「ということなので今晩、相手よろしく。」




金曜の夜は、だいたい飲みに行くことが多かった。


といっても、ほとんど仁と千秋、同期メンバー3人での飲みだった。


千秋は同じ年齢だったが、アメリカの大学在学途中で専攻をビジネスに変更したという仁は、2年遅れて卒業したので、私たちより2歳年上にあたる。


千秋は自動車、家電メーカーといった業界を担当するチームの営業をしている。


「じ~ん~、江川さんに振られちゃったんだって?」


千秋はニヤニヤしながら仁をからかった。


「振られたんじゃねーよ。今新商品の開発で忙しいんだって。リスケするって言ってたし。」


千秋は手に持ったジョッキをぐいっと飲んだ。


「でもそれにしても仁ってモテるね~。いくら仕事相手とはいえ、興味がなければわざわざこんな若造と疲れた仕事後に2人で飲みになんて行かないよ。しかも金曜の夜に。」


仁が関わる会社の担当者は、ほとんどが部長クラスの人で、忙しい人が多かった。


また、和田チーム自体、アパレル、コスメといった女性が比較的多い業界を担当しているチームということもあり、女性担当者も多い。


商談中にどうやって飲みに行こうって流れになるのか訊くと、仁は口をすぼませ、少し考えるようにしてから答えた。


「そりゃあ色々だよ。『この近くのどこどこってお店美味しいですよね、俺、イタリアン好きなんですよね。』とかから始めて『へー、イタリアン好きなんだ。どこそこってイタリアンもおすすめだよ。』ってきたら『僕そこ行ったことないです。』で返して、そこで『私も最近行ってなかったし、じゃあ今度時間がある行ってみる?』って誘ってきたらそれでいいんだけどさ。まぁそんな上手くいかない場合は『行ってみたいですけど、残業が多くてなかなか友達と時間が合わなくて行けないんですよね。ひとりで行くなんて寂しいですし。』とか。最後は『真淵さん時間があれば是非一緒にいかがですかって誘いたいですけど、そんな暇な人じゃないですよね』でどうなるか、かな。」


さらさらと出てきた言葉に、ぽかーんとしながら仁を見た。


「よくそういう会話すらすら出てくるね。さすが営業。」


正直な感想だった。


「日々色んな会話のボールを投げてますからね。」


仁は冗談混じりで言っているようだったが、少々自慢げのようだった。


「でも仁の場合、そのキャラで得してるよね。お姉さんに甘え上手キャラというか。」


「甘え上手キャラってなんだよ。」


千秋の辛口コメントに、仁はもう慣れている。


「んー、愛嬌あって仕事一生懸命な若い男の子、みたいな。まぁ顔もキメすぎず、自然にかっこいい感じだしね。それにすらっとしてるから、この子ちゃんと食べてるのかしら~って、ちょっと母性本能をくすぐられる感じが、年上女性にツボなのかも。」


「あー、ちょっと納得かも。」


自分の前に運ばれてきたホッケの開きをつつきながら言った。


「なんだよその上から目線。褒められてんの、それ。というか、俺のほうが諸川と理沙より一応歳上なんだけど。」


諸川とは千秋の苗字だ。


仁は千秋のことを苗字で呼んでいる。


「親近感が湧きやすいってことよ。ちなみにお勘定はどうするの?」


仁いわく、これは接待ではなく、仕事とプライベートの狭間だから、払うと言われても必ず割り勘にするらしい。


時には、自腹を切ることもあるらしい。


「仕事を通して知り合った相手ではあるけど、お仕事が欲しいんでってゴマすってるわけじゃないけどね。一緒に仕事したいんだから、その相手のことをもっと知りたいって思うのは普通だろ?お前らとこうやって飲んだりするから、もっと2人のこともわかるわけだし。プライドが高い人とかには素直にご馳走になったりするけどね。あ、でも、誘っておいて、しかも女性に奢ってもらうってゆうのは正直気が引けるよ。だから…。」


そこまで言うと、仁は話すのを止めた。


千秋はその先の言葉を求めるように「で?」と投げかけた。


「帰り際に好きなお菓子の銘柄とか聞いて、次の商談に行く時、そのお菓子を持っていくんだよ。一番バラエティが多いやつ。あ、もちろんこっそりね。」


千秋は頭をガクンとうな垂れると、ゆっくり頭を起こし、大げさに深呼吸をした。

「計算高い」という言葉を返したかったに違いないが、その言葉を深呼吸しながら呑み込んだようだった。


私も何も言わずほっけを食べ続けた。


仁は、そういった、女性が喜ぶ細かいポイントを掴んでいることは、私も前から気がついていた。


だいたいの男性は少し髪を切った位では気付かない人が多い。


だが、仁の商談を同行して「髪、切られたんですね。」と言っている場面に何度か立ち会った。


しかも、同性である私すら気づかない位、微妙に切った髪形も、仁は気づいていることがあった。


もちろん、「切られたんですね」の後には「いい感じですね」とか「似合ってますね」という言葉をさらりと付け加えた。


ある時は、私がリップグロスのカラーを変えた時のことだった。


「あれ?グロス変えた?」とすぐに気がつかれ、化粧の違いにまで気づいたことに驚いた。


この時には、通常付け加えられるお世辞というものはなかったが、しばらく唇を見つめられた時は、少しドキっとした。


仁は自分の営業手段を暴露し終えると、残っていたビールを飲み干した。


「私もそうゆう風にやったほうがいいのかな~。」


千秋は爪でジョッキをコンコンと鳴らしながら言った。


「相手に喜んでもらえることをやるんだったらいいんじゃない?諸川から飲みとか誘われたら、男は喜んで行くだろうけど。」


「でもそれはちょっと心配かも。男から誘うのと、女から誘うのって、違わない?男の人が千秋みたいな子から誘われたら、色んな期待とか膨らませちゃいそう。」


元々アナウンサー志望で、某大手テレビ局の新卒採用で最終選考まで選ばれたという千秋は、社内でも美人営業として通っている。


肌は白くて鼻はすっと高く、綺麗で自然と上に伸びる長い睫は、マスカラなんてしなくても十分綺麗で、同じ女子としてはすごく羨ましい。


そんな女の子からご飯なんて誘われたら、大抵の男は有頂天になるだろうと思う。


「そうだな。諸川にマジになっちゃって、ノーって言われた時の落胆は半端ないだろうから、諸川からは誘わないほうがいいかもね。」


この3人で飲む時、仁の意見はいつも男代表者としてのような意見になる。


「また2人とも大袈裟な。」


千秋は大きな欠伸を手で隠ししながら言った。


さほど私や仁の言っていることを真に受けていないらしい。


「じゃあちょっと仁で試して見たら?」


私がそう言うと、仁は千秋の真向かいにずれ、姿勢を正すと、すぐにクライアント役を演じ始めた。


少し眠そうにぼーっとしていたが、千秋は背筋を伸ばし、真っ直ぐと仁に向かい合った。


「本日はどうもありがとうございました。…あの、もしよければなんですけど、今度、星野さんのお時間がある時、一緒に食事でもどうですか?」


千秋は少し照れくさそうに顎を引きながら言った。


演技っぽくはあったが、それでもやっぱり可愛かった。


ディナーに誘われた仁は、大きな笑顔を見せながら、首をふらふらとさせて壁のほうに視線を向けた。


笑ったまま何も言わない仁を見て、千秋は「本番ではもっと上手くやるわよ!」と言いながら再びジョッキに手を伸ばした。


すると仁は「いやいや違うよ。」と返した。


「諸川は止めといたほうがいいね。やっぱ男が泣いちゃうよ。」


クライアント役に入り込んだのか、仁はまだ大きな笑顔を見せたままだった。


「諸川みたいな子が単刀直入に誘うと男の心臓によくない。」


まぁ可愛い女の子に言われると、男というのはそれが嘘でも嬉しいものなのだろう。




時刻はすでに12時を回っていた。


「あ、そろそろ終電だから行かなきゃ。」


千秋が時計を見ながら言った。


千秋は立川にある実家に住んでいる。


渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていると、右側にあるグリコの大型スクリーンから大雨の音が聞こえてきた。


夜の大都会を連想させるような大きなビルが建ち並んだ街に降る大雨、それがゆっくりとぼやけると同時に、サウンドは雨音から軽快なジャズに、そして映像は高層階でのホームパーティーを連想させるようなものへと変わり、ドレスを着たパーティのホストらしき綺麗な女性が、ゲストにチーズとクラッカーを振る舞い、グラスに赤ワインを注ぐ、といったワインの広告だった。


「あれ、うちのだっけ?今日からやってるよね。」


千秋が言った。


「いや、違う。Cの。」


すかさず仁が答えた。


Cとは競合の大手広告代理店のことだ。


今度のアンベリールのコンペにも名前が挙がっている。


「飲料のチームでもないくせによく知ってるね。」


千秋は目を丸くして言った。


「俺もお昼にこのアド見て、なんとなく気になって調べたんだよ。なんかいいよな、このアド。ついつい見ちゃう。」


この仕事を始めて、たった15秒のCMでも、雑誌に掲載されている小さな広告でも、私たちにとって、それは広告という名前をした立派な作品であり商品だった。


ひとつのものができるまで、本当に色んな人たちが携わっているということも、この仕事を通して知った。


マーケティング、デザイナー、クリエイティブ、メディア、プロモーション、また撮影スタッフなどなど、色んな所からのアイディアをかき集めて作り出される。


広告主に気に入ってもらえれば、されに具体化、磨きをかけて世の人の目に映る広告になる。


以前はドラマの間のCMといえば、ただの休憩タイムにしか過ぎなかったが、今ではドラマよりもCMを見る、というほうが多いかもしれない。


その商品の消費者ターゲットはどこにあるのか。


どれ位の予算がかかっているのか。


どこの会社の誰が手掛けたものなのか。


広告というのは奥が深いものだと思う。




千秋をハチ公口で見届けると、私と仁は東横線へと向かった。


「じゃあ2件目行きますか。」

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