chapter4-2-1:鳴瀬ユウの思惑 (前)



 ◆◆◆





 ―――闇夜の空を、影が飛び交う。



 そこは新都アオバに点在する、高層ビル密集地にそびえるビル……そのうちの一つの、路地裏を、俺は走っていた。


 飛び交う黒い影は、ただ一方的に獲物を追い詰めるように空から襲いくる。


 そして一方、しがないヒーローである俺は、相手の攻撃による爆風に吹き飛ばされるようにして、地面に転がる。


 服はぼろぼろで、もはや全身は傷だらけ。

 ……だが、ふらつきながらにどうにか立ち上がる。


 起き様に見た硝子に映る自身の目には、たしかな恐怖の色があった。


その色は、紫。


 理不尽な死の恐怖を前に、俺の心は冷えきっていたのだ。


 それはなぜか、なんて言うまでもない。


 音に聞こえた復讐鬼―――「英雄達」に仇なす謎のヒーロー、通称『黒い死神』にその命を狙われているからである。


 俺こと『ヴァイオレッド・シーフ』は、ヒーローになる前はしがない空き巣だった。

誰もいない家にしか踏み込めない気弱な俺は、ある時居合わせたヒーローに捕まり、更正の機会を与えられた。


―――「ヒーロー」。

仮面をかぶり正義の味方として生きることが、俺にできるただひとつの贖罪。


 だからこそヒーローとして「英雄達」に加わってからは心を入れ替え、常に誠実であるよう努めてきたつもりであったのだ。


 ……だが、街角で無防備に財布をポケットからはみ出させている一人の男の姿を見て、不意に魔が差した。

 そのポケットに、手が伸びてしまったのだ。空き巣やスリをしていた時代の名残だ、別に金に困っているわけでもなんでもない。


 だがそれを、すんでのところで自分の手で止めようとした、その瞬間。



「―――やめた方がいいぞ、「ヴァイオレッド・シーフ」。……噂通り、だな」


 ―――その瞬間、自分への弔鐘が鳴り始めたのを感じた。

 横から声を掛けてきた男は黒髪黒目、黒い服と、見事に根暗そうな見た目。

 ……だがしかしその身に纏う殺意だけは、そんなカモフラージュでは欠片も護りきれないほどに研ぎ澄まされていた。


『な、なんだお前は!どこから―――』


「なに、俺のことなんて気にする必要はない。なにせ……」


 男は腕に、懐から取り出した機械を取り付ける。


 ―――「変身機」、だ。


 しかもどす黒い外観のものともなれば、その正体はきっと、「反英雄組織」の―――!?


「すぐに、この記憶も消えるのだから」


 <MASKED仮面


「……変身』


 <負荷着装アンチフォーミング


『お前、まさかあの、黒い死神ッ!?』


『そんな名を名乗った覚えはないが……まぁ、好きに呼ぶといいさ』





 ―――斯くして、俺、ヴァイオレット・シーフは万事窮した。

 ただ一度の出来心で、どうしてこんな目に。

 理不尽な状況に対して、そんな悪態をつく暇すらない攻防。



『くそッ!そう簡単にやられてたまるか!』


 それでも一秒でも長く生きようと、手にした小刀に力を込め、能力を展開する。

 動体視力強化、それが俺のもつ力だ。


 目の前の死神の放つ弾丸を、目視で避けながら特攻をかける。

 ……その動きに、相手が一瞬仮面の下の表情を曇らせたのがわかる。


 ―――勝った!


 そんな確信が、俺の、僕のなかで産まれて。


『……なら、これで』


 <CINEMA映写機能力抽出エクストラクト


『なんだ、これは!?急に増え―――』


 そして、すぐに潰える。

 目の前の相手が消え、代わりに多方面に同じ姿の黒いヒーローが複数出現する。


 いったい、どれが本物なのか。

 ……そんなことを考える間もなく、俺の腹部に重い衝撃が走る。


『―――ここだ』


『が、ぐ……!?』


 鋭い衝撃に思わず血反吐を吐いた俺は、無様にまた地べたへと落着する。

 この高度、昔の自分だったら確実に死んでいたが……今は、一度はヒーローとなり向上した身体能力が憎い。


 俺は顔面からビルの階下に落下したが、その体は未だ原型を保っていた。

 薄れ行く意識。

 だがそのなかで、近くに相手の黒いヒーローが降り立つ。


『さぁ、能力因子は抽出させてもらう……もう少し傷ついてもらってから、だが』


 ―――黒い死神と呼ばれたヒーローは、俺の胸ぐらを掴み、拳を振りかざす。


 そんな、生身の俺に攻撃!?

 相手が本気で、俺を抹殺しようとしていることがわかると、途端に全身が震え始める。


 ……もう、死ぬしかないのか。

 そんな絶望に染まった俺の口からでたのは、ただ心からの呟き。


『なんで、おれが、こんな―――』


 ただ、それに尽きた。

 俺はヒーローになってから、極めて誠実に戦い、働いてきたつもりだ。

 昔から仕方なくやっていた盗みだって、さっきの未遂以外はここ数年一回もやってはいない。それどころか、誰かに直接暴力を振るったことすらなかったというのに。


 なのに、どうして……!




『……お前』


 目の前のヒーローは、驚いたような声をあげる。


 ……そうだ、そうだ!

 分かってくれ、俺はなにも悪いことをしてはいない!ここまでされる謂れはないんだ!


 俺はそんな弁明のため口を開こうとするが、恐怖で言葉がつまる。


 信じて、ただ信じてほしかった。

 俺はただ、今までの悪行を反省して、努めて償おうと、そう信じて―――、



『―――人格が、怪人になりかけているのか?』





『……は?』



 ―――訳のわからないことばが、耳に聞こえた。


 ……人格が、怪人に?なにをいっているんだ。

 俺は俺だ。何者でもない、ぼく自身。


 ただ懸命に生きようとしていただけの、ヒーローだ。

 そりゃあ、立派とは口が避けても言えないだろうが、言うに事欠いて正気じゃないなんて。


『お前はさっき、あの通行人を殺そうとしたんだ。その刃で、足の腱を狙って』



『なにをいってんだ、俺は、だって……』


 わけがわからない。

 目の前の男は一体何を言ってるのか。


『今までお前の強盗の犠牲になったのはおよそ30人、その誰もが小刀で心臓を切り出され、死亡している』


 心臓?誰が?

 そんなこと俺はしていない、しているはずがない!

 大体ついさっきあったばかりのお前に、どうしてそんなことが分かるというんだ。


 それどころか、お前と会った一件だって、俺は―――、


『変身する間もなく、お前に―――』



 ―――あれ?



『―――そうだ』


 なにか、おかしい。

 そうだ、俺はまだ変身していない。だからこそ無様に、逃げ続けていたんじゃないか。


 ……じゃあ、この小刀は?

 この紫色の、この装束姿は―――?


そうだ、そもそも変身してない生身なら、どうやってあいつの攻撃を回避して?


『お前は俺の前で変身していない。何故ならあの男に刃を向けた時点で……』




『既に、変身していたんだから』



 ―――思考が、かき消える。

 何かに、頭の中を塗りつぶされていくような、そんな感覚。


ああ、そうだ。


あのとき見えた硝子に写る俺の瞳は、たしかに紫だった。


……なんてことはない、ヒーローとして被った仮面、その発光部の。

じゃああいつの言葉で、俺は、人を―――、


 そう納得したとき、俺の意思とは関係なく、俺の、の口角はみるみる吊り上がって―――?


『あ、あ?はは、あはは、はははは!』




 そこで、の思考は終了した。




 ◇




 ―――そして、ようやくの思考が始まる。




『盗ん、だ……そうだ、ひとの、いのちを!おれが―――ぼくが!!!』


 ……嬉しかった、とても、愉しかった!

 そんな想いが、僕のなかに加速度的に広がっていく。


 そうだ、やっと、やっとだ。


 この下らない小悪党のなかに入って、早19年。

 己の身体も自由に動かせず、ただこの無価値な男の一部品として扱われ続けて、ついに、ようやくこの日が。


『あは、ひははははは!そうだ!そうじゃないか!』


あの男の、盗みという行いを初めて観測たとき、僕の心は震えた。

相手の大切な物を奪い取るという行為、それが欠けた自身の空白を埋める、パズルのピースであるという確信があったからだ。


そうだ……あの時からだ。

この男の身体を限定的に操れるようになったのは、あいつが「ヒーロー」なんて存在になった瞬間……あの時に。


この男には平常通りの日常の妄想を見させ続け、その裏で僕が盗む。

それが、あの時から始まった僕のただ一つの楽しみだった。


だが奴が所属する組織にはバレてはいけない。もしもそうなれば、この変身機おもちゃが取られてしまう。


そうなれば単なる因子でしかない僕は、途端に力を喪う。自由に、できなくなってしまう―――、そんな危惧から、僕は表立った行動は控えてきたのだ。


……でも、今日からは違う!


目の前の黒いヒーローのお陰で、ついに主人格、下らない俺は完全に沈黙した。もはやこの身体は完全に僕のもの。


「ヴァイオレッド・シーフ」とは、正しく僕のことだ。少なくとも、俺なんかでは決してない―――!



『あはっ、やっと、やっとだ!やっと、この身体を―――』



さぁ、身体を作り替えよう。

因子である僕が全身を侵食し、変換し、書き換える。

人間という種から新たな姿―――彼等の言うところの、『怪人』になるんだ。


 ―――やった、僕はついに、新人類に。



 <MASKED:最大解放チャージアップ


『―――あ?」


 ……その時、腹部になにか違和感を覚える。

 なんだろう、これは。

 あの男に使われているときには、感じたこともない感覚。


そうだ、結局五感は、主人格があるうちは僕自身感じることはできなかった。


 ―――だが、うん。ああそうか。


『……戦闘、終了』






 これが、痛みか。


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