chapter3-4:囚われた兄妹

 ◇◇◇



 町中で偶然にも巻き込まれ―――否、自ら首を突っ込んでしまった一件から一夜。

 鳴瀬ユウはある重要な用事の為、拠点としている廃ホテルを離れイズミ区内の大きな病院へとやってきていた。


 ―――センダイ第一総合病院。


 ここは「アンチテーゼ」の息もかかっている医療施設で、一般人への医療機関としての姿をカバーとしつつ、能力の研究や負傷した能力者の治療を行っているという。


「鳴瀬様……はい、認証しました」



 そんな病院に、何故怪我の一つもない俺が来たか。



「ハルカさんの容態の都合上、面会時間は1時間までとなりますので、ご了承ください」


「……はい、分かってます」


 それは当然、たった一人の家族―――鳴瀬ハルカの、見舞いの為だ。


 爆発事故とされているヒーローの襲撃事件から、既に一月以上。

 TVやネットで頻りに騒がれたその事件も、今となっては忘れ去られもはや話題にされることすらなかった。


 ……だが、その爪痕は今も色濃く、被害者達の心、身体へと残り続けている。

 その最たる例が、俺の最愛の妹―――鳴瀬ハルカ、その人だ。



「……ごめんなさいねぇ、ご家族にこんな制限を強いるのも酷なのだけど、規則なものだから……」


 面会時間の時間を区切った受付の女性は、辺りをキョロキョロと見渡してから俺へとそう耳打ちした。


「いえ……いつもありがとうございます」


 彼女は、「アンチテーゼ」等の事情は知らない極々一般人だ。

 いや彼女だけではない。

 この病院で働いている医療従事者のうち、半数、それどころか9割ほどの人々は病院の裏の顔を知らない一般人だろう。


 だからこそ信頼できる、ということもある。

 ハルカが居るのは個室とはいえ、一般人と同じ病棟だ。

 これがもし、地下深くにある施設の一室などであれば、俺はとてもではないが大切な妹を預ける気になどならなかったであろう。


 待合室を抜けた先にあるエレベーターへと入り、病院の23階へと向かう。


 この病院は都内でも最大規模の総合病院である。

 その建物の階数はなんと50階建て、病床数は2000床と規格外の収容量を誇っており、各診療科もほぼ全て取り揃っているという。

 能力による疾患などを治療、研究する独自の診療科「特能科」も存在し、ただの医療機関としてだけでなく、能力に関する研究機関という顔も持つ。

 つまりは、すべてにおいて他の医院と一線を画している大病院なのである。


 だが得てして、そのような大組織には裏の顔というものが存在する。

 その一つが、俺が所属する非合法組織「アンチテーゼ」への技術協力というわけだ。


 その縁もあり、妹―――鳴瀬ハルカはここで治療を受けることになった。

 彼女が入っている病室は23階。


 エレベーターのランプが「23」に点灯すると、「ピンポーン」とチャイムの音がなり扉が開く。


 扉が開くと、そこにあるのは俺が何度もきたこの病院の廊下だ。

 近くにある自販機前のベンチには何人かの患者とその家族が座り、なにか世間話をしている。


 小さな男の子と女の子と、そして両親が和気藹々と談笑する光景。


 俺は目を背けその前をそそくさと去り、目的の病室へと向かった。

 ―――別に、羨ましいわけではなかった。

 ただ自分がもう掴めない幸せを視ることが、どうにも煩わしく感じただけだ。



 ともかく、俺は目的の病室の前まで到達し、その戸を叩く。

 中から声はない。

 だが俺は、構わずその部屋の戸を開いた。

「……ただいま、ハルカ」




「―――あ、お兄ちゃん!」


 ワンテンポ遅れてこちらを見たのは、最愛の妹であるハルカだ。


 あれから一月、ハルカはこの部屋から一歩もでることなくベッドの上で過ごしている。

 以前から華奢だったその身体は更に細くなり、頬こそ窶れていないが確かに、気落ちしている様子が見受けられる。

 俺を出迎えたその顔は確かに笑顔であったが、だがどこか陰のあるように感じられるものでもある。



「今日は帰るの遅かったね……心配しちゃった」


 ハルカは手を膝の上に置いて俺に語りかける。

 思えば、昨日は見舞いにくることが出来なかった。

「今日は遅かった」というのは、恐らくそのことを指しているのだろう。


「悪い、色々用事とか、面倒事があってな……」


 俺はそういい、話を合わせる。

 ……ハルカの精神的な不安定さは、未だに完全に回復したわけではなかった。


 俺も極力刺激しないよう、言葉を選んで応対するように、というのが医者からの助言だ。


「うぅん、来てくれるだけでうれしいよ」


 この会話が、その良い例。

 ハルカの脳内では、「怪我をして病院にいる」という意識と、「未だに家で幸せに暮らしている」という意識が、混濁している。


 所謂、心的外傷の後遺症だ。


 父と母がいなくなったことや片腕を喪った事実を認識している一方で、不意に我が家で暮らしているかのような言動を取ることもある。

 それらが本人のなかでどのように両立し認識されているかはそれこそ、本人のみぞ知るところだが。



「容態はどうだ?」


 俺は「入院している」ハルカへと怪我の具合を聞く。このくらいなら、大きく彼女を刺激しないことは一月ほどのやり取りで既に把握しているのだ。


 するとハルカは、無くなった腕のその付け根へと触れながら、話をしてくれる。


「うん、だいぶ良くなったよ。腕の痕も……最近は痛まないから」


 そう言うハルカの腕の通されていない服の袖は、彼女の動きに合わせてひらひらと揺れる。

 医者の話によれば、瓦礫に切断された腕の痕もだいぶ治ってきているという。



「そう、か」


 ―――俺は、不意に言葉を失ってしまった。

 目の前の事実を改めて呑み込もうとして、それに失敗してしまったのだ。


 全て、俺のせいだ。


 見知らぬ誰かを助けるために、家族を犠牲にするなんて凡そ人のすることではない。

 そんなものは勇気でも、ましてや蛮勇ですらない。


 これは、一人の馬鹿の起こした人災なのだ。


 俺は椅子に座り込み、俯いてしまう。

 このままここに居させて、ハルカが完全に回復する日は来るのだろうか。

 身体は治ってきている。だが、その内心の傷がどうかなんて医者にだって、本当のところは分からないだろう


 今は混乱のなかにあるから俺を受け入れてくれている彼女がもし、完全に回復したら。


 ―――もしも、全ての出来事の原因が、俺であることを知ったら。


 彼女はきっと、俺を生かしておくことなど出来ないだろう。当然だ、殺されたって文句は言えない。


 もしも鳴瀬ハルカが俺を殺そうとしたのなら、抵抗することなくその命を捧げよう。


 それが罰というのなら、甘んじて受け入れる。それほどの罪なのだから、当然のことだ。


「……?どうしたの?」


 ハルカは不思議そうに、こちらを見つめる。

 たぶん、今の彼女は「普段通りに家で暮らしている」ハルカだ。


 ―――そうだ、彼女に殺されるその前に俺にはやらなければいけないことがある。


 この世界にいる、力を振りかざし人を危険に晒す者達を駆除すること。

 それこそが今、俺がやるべきことだ。


 ハルカがせめて、少しでも平穏に暮らせる世界を作るためにも、俺は悪辣な「ヒーロー」達を、この世界から消し去らなければならないのだ。


 俺は、そう決意を新たにする。


 ―――そうしてボーッとしていたのが、いけなかった。



「……テレビ、みよっか」


 鳴瀬ハルカはテレビのリモコンを手に、病室に備え付けられたTVをつけた。


「―――!、待て、ハルカ!」


 俺の静止も間に合わず、TVは一瞬の暗転を挟み放送番組を映し出した。


 ―――俺としたことが、何を呆けていたのか!


 この時間、夕方にTVで放送している番組などそうパターンはない。

 往々にしてそれはニュース番組であることが多い。もしそれがバラエティ番組であったとしてもこの時間であれば一旦ニュースを挟むものだ。


 そして案の定、流れた番組はニュース番組。

 だが、まだ内容によっては救いはある。

 もしも心温まるようなニュースであれば彼女を刺激することは。


『……次のニュースです。先日アオバ商業区の商店街近くで起きた自動車の多重暴走事件。数十人が命を失った凄惨な事件は、未だその発生理由すらもわかっていません』


 ―――あぁ、手遅れだった。


『被害者には、一家で買い物に来ていた家族なども含まれ―――』


 映り変わる映像はカメラ映像だ。

 件の事故後の現場を写し出すその映像には、道路にいくつか血の痕が残されていることをまざまざと強調していた。


 それが、最悪だった。


「家、族……?」


 どこかで家族が犠牲になったという事実と、目に映る血の色。


「おとう、さん……?おかぁ……」


 その全てが、ハルカの脳裏に事故時の記憶をフラッシュバックさせる。

 目を見開き、信じられない物を見たかのような表情で硬直し、震えている。

 ……くそ、最近は容態が落ち着いていたからか気が緩んでしまっていた。


 こうなってしまってはもはや、ハルカに俺の言葉は届かない。

 彼女の頭のなかには、俺の両親の悲鳴だけが響き続ける。どう叫んだって俺の声は聞こえないのだ、だってのだから。


 降り注ぐ瓦礫と、死を前にした悲嘆の声。

 どこからか聞こえる/記憶のなかから襲いくるそれを振り払おうと、ハルカは無造作に腕を振り回そうとして、そして。


「……あ」


 自身の片腕が無いことを、改めて認識して。


「あ、ああ」



 ―――その表情が、改めて絶望に染まる。



「ッ、妹がまたあの状態に……!どうか、早く―――」


 俺は急いで、ベットに取り付けられているナースコールへと助けを求める。

 自分には、どうすることもできないからだ。


 ヒーローと同じ力を手に入れても、結局俺は無力だ。目の前の大切な妹一人、救うことなんてできない。出来ることといえば、誰かに助けを期待して乞うことだけ。



「あ、ああ、ああああぁ、ああああああ!!!」


「ハルカ、落ち着け!違う、あれは……」


「―――いや、どうして、おかあ、さ……おとうさ……しんじゃ」


 俺は必死に宥める。

 だが、ハルカの悲痛な声はどんどんとヒートアップしていき、ついにそれは絶叫へと変わる。


「いやだ、いやいや、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌、いやぁ、嫌!おかあさん!おとうさん!わたしの、わたしのせいで……」


「―――わたしなんかが、いきのこったせいで!?」


 その言葉に、俺の背筋が凍る。

 違う、絶対に違う。


「違う、ハルカ!あれはお前のせいなんかじゃない、あれは俺が……!」



 ……必死に叫ぶ俺の声も届かず、ハルカは半狂乱になりながらベッドの上で暴れまわる。


 その時、病室の扉が勢いよく開けられ、外から数人の医者と看護師達が雪崩れ込んだ。


「―――ユウさん、離れて!」


「鳴瀬ハルカさん、落ち着いて!……はやく、鎮静剤を!」



「あ、あぁ……」


 複数人に取り押さえられ、水色の液体の入った注射を無理やりされるその光景。


 俺はそれを助けるでもなく、止めるでもなく、なにもできずにただ見守っていた。

 そのときの胸中に渦巻いていたのは、無力感と罪悪感、そして自己嫌悪だけ。


 ―――あぁ本当に、どんな力を手にした所で俺は、どうしようもなく無様なのだ、と。



 ◇◇◇




 あれから数時間。

 薬を投与されたハルカは、すっかりと大人しくなりスヤスヤと寝息を立てていた。


 俺は無言でその部屋を後にし、エレベーターに乗る。


 次々と階を降りていくエレベーターの中、俺の脳内にフラッシュバックするのはあの後の医者とのやり取りだ。


「……以前にもお伝えした通り、妹さんは心に深い傷を負っている状態です。「心的外傷後ストレス障害」……俗にいう、PTSDですね」


「特定の状況、特定の条件を満たしたとき、その心の均衡が破られ、平静を失い事故時のフラッシュバックに苛まれる。……今回の発作は、テレビで事件を彷彿とさせるようなニュースを目にしたことが、直接の原因でしょう」


 ハルカの主治医である精神科の定禅寺じょうぜんじ先生は、手元の書類を机に置き、姿勢を改めて俺へと話してくれた。


 それは以前にも、散々に聴かされた事実。

 繰り返し言うからには、当然意図がある。今回であればそれは「厳重注意」、だろう。


「……すみませんでした、注意が足りず」


 俺は深々と、頭を下げる。

 自分のせいで病院のスタッフ達にも、ハルカ自身にも大きな迷惑をかけてしまった。

 特に定禅寺先生は近隣でも名の知れた名医と謳われる人物なのだから、殊更に申し訳なく感じる。


「いえ、今回のことは不可抗力だと思います。偶然つけたチャンネルで何が映っているかなんて、分かりようもないことですから」


「ですが、今の彼女の容態は深刻です。しばらくは、刺激を与えず安静にするのが最適でしょう」


 厳しく、だが優しい口調で先生はハルカの治療に対する、最適な対応を模索してくれた。

 それが正解だと、俺も思った。


 ハルカもそうだが、きっと誰よりも俺自身があの事件を引き摺っているのだ。

 自分自身で勝手に落ち込んで、注意散漫になって。これでは、ただでさえ兄失格な俺だというのに更に顔向けができないというものだ。


「……分かりました、しばらく面会は控えます。お手数、おかけしました」


 俺は俯きながらそう告げ、席を立った。

 この場にいること、そのものが様々な人々に迷惑をかけることだということを肝に命じ、医者を一瞥することなく。

 ―――俺は目の前のことからまた、目を背けようとしたのだ。




「鳴瀬さん」


 だが、先生はそんな俺に声を掛けてくれる。

 俺が振り向くと、先生は立ち上がり穏和な笑顔で、こう告げた。


「……また、来てあげてください」


「貴方が居ないときの彼女はただ天井を見つめるばかりで、話しかけようと一切の反応をしません」


「でも貴方が来たときだけ、笑顔を見せた。それがきっと、彼女の回復への糸口となる……私はそう思います」



 ―――あぁ、暖かい言葉だ。


「ありがとう、ございます」


 今の俺にとっては、そういう気遣いの言葉が一番胸に染みる。

 この人になら妹を任せられると、俺は確信を新たに、告げた。



「―――妹を、よろしくお願いします、先生」




 ◇◇◇




 病院の正面玄関を出たその時、狙い済ましたようなタイミングで支給された携帯端末から音が響く。


「……通信?」


 見るとそれは、メッセージだった。

 差出人は『レイカ』―――つまりは、アンチテーゼからの業務連絡だ。


 彼女からきた連絡で、良いことがあった試しはない。

 ただでさえ余裕がない今の俺に、一体どのような要件なのかと俺はしかめ面でメッセージを表示する。


 ―――映し出されたのは、やはり、というか作戦に関する連絡だった。


『ユウくん!次の作戦の決行日時が決まりましたー!なので、「アンチテーゼ」本部の作戦室に19:00までに来てくださーい!』


 それを閉じると、俺は頭を抑えて一人、つぶやく。

 その言葉は疲労と、怒りと、怨嗟と。

 そして、自己への嫌悪感とで塗り込められた、恨み言だった。




「……こんなときに、ばかり」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る