chapter3-2:ビギンズ・ヌーン




 日課のトレーニングを終えた俺が次に行ったのは、ホテルから遠方にあるスーパーマーケットへの買い出しだった。



 僻地のホテルを拠点に選んだことで、住には困らなくなった。だが衣と食までも賄えているかと言われれば、それはまた別の話だ。


 幸いにもガス、水道、電気と最低限のライフラインは他所から引っ張ってこれてはいるものの、肝心の物資の買い出しは自分でしなければならない。


 あるいは「アンチテーゼ」からの供給を受けるという手もあったかもしれない。

 だが、胸中にある不信がその選択肢を拒絶した、というのが正直なところで、俺はあの荒れ果てた拠点で自分自身で物資を補給しながら暮らしていくことを選択したのだ。


 とはいえ戦闘に参加したぶん、毎月「アンチテーゼ」から給料のようなものが多額振り込まれているのだから、実質庇護を受けているようなものではある。


 それに加えて幸いにも、というより不幸にも両親を亡くしたことで、相応の遺産も手にしてはいるのだから、一人で最低限の暮らしを続けていく分には一生問題はないくらいの元手を手にしてはいるのだ。



 ……そんなこんなで、俺は今日もタイムセールを狙って俺はスーパーで買い物を済ませた。

 並みいる主婦が到達する前に「身体強化」で移動速度を上げ、目的のものを概ね確保してからいつものようにレジで会計を終える。それが俺の基本の戦闘スタイルだ。


 一見値下げに貪欲な浅ましい貧乏人の所行のように思われるかもしれないが、勘違いをしないでいただきたい。

 これも身体、および能力の特訓の一環なのである。


 非戦闘時にあっても意識的に能力を使用し続けることで、根本的な能力や継続使用時間の向上を図っているのだ。


 実際これは素人の思い付きによるものなどではなく、アンチテーゼから提案されたれっきとしたトレーニング。

 事実この生活を続けてから一月経たないくらいにも関わらず、少しづつではあるが能力のパフォーマンスが向上してきている。

 自主鍛練による自力の成長とも関係はあるだろうが、それを差し引いても能力発動時での身体能力の向上幅が、確かに広がっている確かな実感があるのだ。


 颯爽と買い物かごに目当ての値引き食材を確保した俺を、主婦たちが「またか」といった様子で見つめてくる。……こういう形で目立つのは本意ではないのだが。



 斯くして俺は、主婦たちに白い目で見られつつも小走りで空いているレジに並び、手早くここを後にすることにしたのであった。




 ◇◇◇




「さて、次は―――」


 主婦達の視線による熱帯雨を抜けスーパーを出た俺は、深呼吸をする。


 食材は買った。他の生活用品も買いたいところだが、これを持っての買い物は中々にしんどいものがある。いくら鍛練になるとはいえ、この夏日に生物や飲料を持って買い物をするのはあまりにも悪手だろう。


 それでは一旦家に置いてから、他の諸々の買い物を―――、





「きゃあ、助けて……ッ!」



 ―――そう考えたその時、俺の脳裏にひどいデジャヴを彷彿とさせる悲鳴が、街角に響く。



「おいおい、暴れんじゃねぇ、よぉ!」


 ふとそちらに視線を移すと、そこにはまた既視感を覚える光景。

 不良じみた男が、女性を無理矢理に車に押し込もうとしている。


 ……まず間違いない、能力者による誘拐だ。



「……はぁ」


 俺は頭をおさえ、深くため息をつく。

 この手の出来事に巻き込まれてはろくでもないことになるということは、これ迄の散々な経験から痛いほどによく分かっていることだ。


 脳裏に浮かぶのは、散々たる結果に終わった一月前の出来事だ。

 思い起こすのも苦痛なその出来事と同じようなことを、再び目の前で再現されるというのは些か不快に過ぎる。


 ……だが、今はメリットもある。



(ヒーローが出てくるまで、泳がせ―――)



「……」



 ―――そんな思考が出た瞬間、俺は俺自身へ吐き気を催した。


 我ながらなんという、反吐へどが出る打算だ。

「被害に遇っている女性を見捨て、あえてヒーローを呼び出して標的とする」……なんという心ない計画だろうか。

 一月前の力も気概もないくせに義憤だけは一丁前だった俺が、今のこんな俺を見たらさぞ幻滅することだろう。


 ―――「なんで目の前の被害者を見捨てようとするんだ」、と。



「おら、乗れ!」


「やぁ……離し―――」



 だがそんな蛮勇に意味がなかったことは、誰よりも俺が知っているのだ。過去の俺にはない事実を、摂理を、俺は知ってしまっている。

 善かれと思って行った「正義」の行為、それが招いた結果がどれほどに残酷で、凄惨なものであったかを、俺は―――




「―――待て !」


「―――」



 ―――瞬間、心臓が止まりそうになる。

 突如上げられた勇ましい声、それは過去の俺の怯えながら上げた中途半端な勇気からのものではない、たしかな信念を感じさせるものだ。


 あの頃の俺とは、無力なばかりで何もできなかった僕とはまるで違って。



 俺は、その声の主の元へとゆっくりと、その視線を向ける。



「その子から、手を離せ!」


 見るとそこには、白色の髪をした学生服姿の青年が拳を構え、立っていた。

 年齢は―――俺と同じくらい、だろうか。

 制服姿で、目の色は琥珀色。

 その着ている制服は、いつかの体育祭で見覚えがあったが……さて、どこのものだったか。



「なんだぁ、てめぇ?」


「ガキじゃあねぇか……痛い目みたくなけりゃ、さっさと失せろ!」


 誘拐犯であるチンピラ能力者達はいつものように、テンプレートな暴言で相手を威圧しようとする。


 昔の俺にとってはさぞ恐ろしかっただろうものであったのだろうが、今となっては烏合の衆のわめき声以上には感じない。おそらくはそれよりも強力で、凶悪な連中を山ほど目の当たりにしたからだろうか。

 だが、あの少年にとってはただただ脅威に写る存在であるはずだ。


 もし怖じ気づいて逃げてくれるなら、俺としても都合がいいが―――、




「貴方達がその子から手を離したら、ボクも離れるとも!」


 ―――なんなんだ、こいつ。


 圧倒的な力の差のある相手に威圧されても、少年は一切怖じ気づくことなく毅然きぜんとした態度を取り続ける。


 そこに無理をしている様子などは見受けられない。

 ……あいつは、本気で目の前の少女を助けることにしか眼中がないのか?


 ―――勇敢な上強大な力のある人物なのか、力量差も推し量れない筋金入りの大馬鹿者なのか。


 そのどちらなのかは分からないが、そんな彼を見て、俺は過去の自分を思い起こし姿を重ねる。

 下らない蛮勇で躍り出て、いざ身に危険が及べば保身を考えていた、浅ましい無力な自分を。


 きっと、あの少年のようにあれれば、俺も―――



「はぁ……」


 不良はため息と共に拳を振り上げ、冷酷に言い放つ。


「死ね」


 その言葉と共に振り下ろされた拳には、にわかに光が灯っている。


 ―――おそらくは俺、鳴瀬ユウと同じ「身体強化」の能力者だ。


 少年はそれを紙一重で避けようとするが、早さが足りず。

 その衝撃の一端は、確かにその肩口を捉えた。


「ぐ、う……!」


 少し後ろに飛ばされた少年だったが、どうにか体勢を立て直す。

 その制服にある着弾地点は破け、赤く腫れた肩があらわになっている。あの程度なら数日もあればすぐ治るレベルだろうが、問題はこの後だ。


 明らかに彼の動きのパフォーマンスは低下している。

 そんな状態で戦闘を続行しては、今度こそ致命傷を受けてしまう可能性もある。俺なら、旗色が悪くなったこの段階で一時撤退を選択するだろう。


 辺りの住民から「英雄達ブレイバーズ」への通報が済まされている以上、ここでの戦いには単なる時間稼ぎ以上の意味はありはしない。


 むしろ、これほどまで足止めができているのだから、十分に役割は果たせてるといえる。


「……まだだ!」



 だが、彼が退しりぞく様子はない。

 ―――まさか。


 本気で、自分だけで彼女を助け出せると、そう信じているというのか?



「しつ、こいッ!」


 再び振るわれる、拳。

 それに対して彼は再び回避を試みようと、一歩後ろへと飛び退こうとする。


 ―――だが、一瞬反応が遅れる。


 おそらくは左肩の痛みが、彼の判断力、脳から身体へと伝達される命令をひとたび阻害したのだ。

 ともあれ拳はもはや目前、回避も間に合わない。


 彼は咄嗟とっさの判断で、両腕で防御姿勢を取り―――、



「―――ガァ!?」


 大きく、吹き飛ばされた。


 能力を使って強化された拳だ、対抗手段があるならまだしも、生身の腕で殺しきれる衝撃ではない。

 吹き飛ばされた彼は無惨にも、公園のゴミ箱に激突してその場に転がり伏した。


「んだコイツ、能力ねぇのか?」


 不良たちは拍子抜けだ、というようにゆっくりと倒れる少年の元へと向かう。


 幸か不幸か、頭に血の上った不良達には「ヒーローが来る前に逃げる」といった選択肢はないらしい。


 きっと少年は今頃、胸中で無力感に苛まれていることだろう。

 諦めの境地。ヒーローが来てくれることへの期待。


 ……なにもかも、一月前の自分と同じだ。


 そして現れたヒーローはきっと、例によって人間性に問題のある人物で、圧倒的な暴力を振りかざし被害者である彼や少女に対して暴虐の限りを尽くす。



 この街で何十回も、何百回も繰り広げられた光景。


 きっと今回も、そうなるはずで。





「くそ……まだ……ッ!」


「―――」



 ―――だが、少年は未だ諦めてはいなかった。


 その目にはまだ、確かな闘志が宿っている。

 昔の俺なら易々と諦めた、絶体絶命の窮地。なのに、ことここに至ってもなおあの少年は諦めないというのか。





「たぁく、余計な手間とらせ―――」


 不良は呆れたように溢しながら、倒れる少年のもとへとゆっくりと歩き向かう。


 ―――その命に、止めを刺すためだ。


 あの手の輩は、自分達が世界の一番上だと本気で信じこんでいるような連中ばかり。

 だから例え相手が同年代の学生であろうと年下であろうとも、その命を奪うことに抵抗すらない。


 だから、彼はこのままだと死ぬ。当たり前のように、謂われもない理不尽によってその命を失うのだ。





「グホァッ!!!????」


「―――」



 ―――あぁ、どうしてだろう。

 咄嗟に俺の身体は動いていた。


 それは同情からなのか、未だに胸中に「義憤」なんて下らないものがこびりついていたのか。


 ともあれ俺の能力によって強化された拳は、俺自身も驚くような速度で確実に、不良の一人の身体、その急所を正確に捉えていたのだ。


 ―――骨の、砕ける音。


 それと共に不良の口からは血と胃液混じりの唾液が飛散し、地面に伏すと同時に白目を向く。


 ……危ない、危うく殺すところだった。やってることが同じとはいえ、彼はただの能力者。



 ―――ヒーロー相手と同じ戦いかたをしては、加減が効かない。



「テ、テメェ、なんだ急に!?」


 仲間が突然の横要りによってその意識を失ったことに、残りの連中はどよめきたつ。

 その目は先程の少年をみていたときとは比べ物にならないほどに警戒の色に満ちている。


 ―――おそらくは、本気で能力を使用してくる。


 見ると巨漢の不良、その身体の色がにわかに黄土色へと変化している。

 全身の肌には皹が見られ、その材質が明らかに人の肌とは違うなにかへと変性させていることが見受けられた。



「……別に、ただ気に入らなかっただけだ」


 不意に答えたそれは本心だった。

 そもそも彼等が人殺しなんてしようとしなければこのまま観戦しているつもりだったのだ。俺の獲物はあくまでヒーロー、間違っても其処らの雑多なチンピラ風情ではない。



 ―――だが、彼らは倒れ伏す少年に追撃を加え、あまつさえ殺そうとした。


 「気に入らない」、あぁ、気に入らないとも。


 高みから弱者を過剰に痛めつけて、悦に入るようなヤツを見ると抑えが効かなくなる。

 大概、俺の悪癖だ。



「貴方は……?」


 少年は顔を上げ、こちらを見つめる。

 あぁ―――その顔。


 きっと、「クラッシュ・ロウ」が現れたときの俺も、こんな期待に満ちた顔をしていただろうに。


「ただの通りすがりだ……立てるか?なら逃げ―――」


 俺が肩を貸そうとすると、彼はそれを支えとして立ち上がる。

 そして、そのまま毅然と俺の目を見つめ。


「いえ、いけます!」



 戦闘体勢を取る。


 ……あぁ、彼は、まさしく俺がなりたかった―――


「べらべら喋ってんじゃあ―――」




「―――『身体強化』」



 ―――俺は瞬時に思考を切り替え、能力を発動する。

 全身の筋繊維、血流、脳から発された電流の伝達速度、肺活量。その全てを強化、収縮させ、ただ一撃の拳の為に全神経を収斂させる。


 相手の大振りな拳。


 その無駄に大きい振り、がら空きの胴体。そのなかで最適、かつ最大に効果的な打撃を与えられる場所を見抜き、そして。



「ね、エェッ!??????」


 相手の言葉を遮るように、拳を


 放たれた拳は、易々とその肥大化した体表を貫き、その奥、深層へと隠れているナニカ。



 ―――分厚い岩石でカモフラージュされた先にいる、ゴボウのように細い身体の持ち主へと、その衝撃を確かに伝えた。




「……思ったより、成果はあったらしいな」



「―――ガ」



 刹那、砕け散る土鎧。


 その中からは少年が落下し、地面に頭を打ち、これまた意識を閉じる。

 あるいは先程の拳から伝わる衝撃で、その意識を既に失っていたのかもしれないが。



「一撃で、あんな巨漢を―――」


 少年は驚いたように目を見開き、その瞳を俺へと向ける。

 だがすぐに、殴りかかる際に解放された少女のもとへと駆け出した。


「!、大丈夫ですかお嬢さん!」


「げほ、げほっ……は、はい……」


 抱えられた少女は軽く首を絞められていたことで噎せてはいるが、命に別状はないように見受けられる。

 この不良たちの目的が彼女の身体である以上、下手な暴力には打って出ないと考えていたので、おおよそ予想の範疇のダメージといえる。



「ありがとうございました……お二方……」



 告げられた、感謝の言葉。

 ……それを素直に受けとることは、俺にはできなかった。


「―――俺は、別に」


 そもそも俺は、彼女を見捨てるつもりだった。

 たんなる気紛れで結果的に助ける形となってしまったが、それ自体が俺としては誤算だ。



「いえ、ボクからもお礼を言わせてください……!貴方がいなければボクは死んで、あの方を救えなかったかもしれないし……」


 学生のほうは学生のほうで、変にキラキラとした瞳をこちらに向けてくる。


 ―――やめてくれ、俺はそんな目でみられる資格はない。


「ボク、明通あけどおりイクトっていいます!貴方は……」


 学生―――「明通あけどおりイクト」と名乗る少年は、無駄に煌めく羨望の瞳と共に、俺の名を聞く。


 ……しまった、どうしたものか。


 ここで名を名乗れば、「鳴瀬ユウ」という名がこの後来るであろう「英雄達ブレイバーズ」の知るところとなってしまう。


 一度それが知れれば、例の爆発事故―――とされているクラッシュ・ロウの起こした鳴瀬邸での出来事にも行き当たってしまうだろう。

 ともすれば、今の「アンチテーゼ」での活動にも深刻な障害ともなり得る。


 名乗るわけにはいかない、だが―――、


「……」


 辺りには、無数の民間人。ここで名乗らずに去れば、それこそ不審者扱いだ。

 それに―――、


「……!!!」


 目の前の期待しきっている少年のような視線が、刺すように痛い。

 まるで、過去の自分に監視されているような、薄ら寒い感覚。それはまるで、俺の中の弱い部分を締め付けるように再認識させるようで。


 考えに考えこんだ結果、俺は―――



「―――鳴瀬、鳴瀬ユウだ……ただ、少し訳ありで、「英雄達」なんかには伝えないでくれると……」


 すごく、微妙すぎる判断をしてしまった。


 目の前の彼が、そんな約束を守るような人物とは限らないというのに。

 今まで出会ったヒーロー達のように、この勇敢な顔立ちの裏に、薄汚い本性を隠し持っている可能性だって当然ある。



 ―――でも、何故か俺は信じてしまった。


 真っ直ぐな瞳を、その奥にある、より真っ直ぐな心根を。




「……わかりました!この度は本当にありがとうございました……とても格好よかったです!」


 イクトは深く頷くと、そのまま頭を下げて感謝を口にする。

 そして告げられる、賛辞。


「―――まるで、ヒーローみたいで!」




「―――」





 ―――それは、その言葉だけは絶対に俺への賛辞にはなり得ない。





「……?どうかなさいました?」


「……いや」


 俺はその素直な感謝の言葉から背を向け、その場を後にする。

 ……そろそろヒーローが来る頃だ、無用な長居をしてはそれこそ、正体が露見する危険性が増す。



「用事を思い出したから、俺は行くよ。じゃあな」


「あ、はい!ユウさん、この度はご助力、ありがとうございました!」


「ありがとう、ございました……!」


 背に受ける二人の感謝の言葉。

 それに少し、暖かな気持ちを感じつつも、俺は一瞥もせずに遠ざかっていく。


 そんな俺の脳裏に無限と反芻し続けるのは、賛辞として贈られたはずのひとつの言葉。



(格好よかったです、まるで、「ヒーロー」みたいで!)




「―――」






「……嗚呼本当に、反吐へどが出る」


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