第9話 天使なんかじゃない

 典華が入部以来熱心に描き続けていた、なんだかわからない抽象画。

 彼女の中での完成形を実現するために、何度も描き直していたのをずっと見守っていた。

 どの辺が完成形になるのかは全くもって予想もつかなかったけれど

 その絵がまさか世界の終わりを呼び込む物だなんて事もまた、予想出来なかった。


 典華の高笑いと共にカンバスに筆が走り、最後の一画を描き終えた。

 その瞬間、空の触手が派手に輝きだし、周囲に光の粒子をまき散らす。


「ハーッハッハッハ! 見なさい! これが世界の終わり……の……光景、なの?」

「疑問系かよ」

「きれーい!」


 触手のまき散らした光の粒子は、スローモーションで映し出される線香花火のように空を舞い、周囲を照らすほどに明るく輝いた。

 その光は神々しさを感じるほどに明るく、荘厳で、次第に触手自身も光を放ち始める。

 一瞬、目を開けていられない程の眩しい光を放った後で、先端から触手そのものが光の粒子となっていく。

 次第にその粒子の密度が減少していき、やがて姿がほころび、ゆっくりと消えていった。


「え、ちょ、待って! 待って! どうなってるんですか!」


 典華の焦りと懇願をよそに、触手はどんどんと姿を失っていき、やがてその根元まで消失した。

 何も吐き出さなくなった魔方陣も、徐々にその光を弱めて消えていき、雲までもが散らされるように空から急速に失われていった。


「あ……ああ……私の……半年の苦労が……」


 嘆きの言葉も空には届かず、ついに雲は消失し、太陽も姿を確認出来た。

 すでに水平線に半分近く飲み込まれた状態で、空の大半は紅から藍へと移り変わりつつあった。

 もはや空に浮かんでいるのは、微かに輝く月と、宵の明星くらいのものだった。

 典華が床に手をつき、がっくりとうなだれていると、明日香が近づいて肩を軽く叩いた。


「よくわかんないけど、がんばったんだねー。残念な結果だけど、また頑張ろうねー!」

「いや頑張っちゃ駄目だろ」

「ああ……明日香さん……お嫁に来て……」

「お前もか!」

「抱きつくな!」


 落ち込み、どさくさまぎれに明日香に抱きつく典華をよそに、突然麻央が立ち上がり、しゃべり出した。


「世界を制するのに必要なのは、その世界の住人たちなのだ」

「麻央がしゃべったああ!」


 僕も驚いたが結衣が驚いている事に対してもっと驚いた。


「え、結衣って麻央の言ってることわかってたんじゃないのか?」

「いや? フィーリングで理解してた。先輩もわかってなかったの?」

「それでよく会話成立してたな」

「今、脳内に直接語りかけている。二人にはチャンネルが合わずに今まで日本語として言語化出来ていなかったようだな。申し訳ない」

「結衣が普通にリアクションしてたから気付かなかったんだな」

「あたしのせいかよ!」


 他の二人は最初から何を言っているのか全てわかっていたらしい。


「貴女がどの口でそれを言うのですか、魔王め!」

「ま、魔王? 麻央じゃなくて? どういう事なの?」


 結衣が混乱して説明を求めるが、麻央こと魔王も、典華も、それには応じずにお互いをにらみ合っている。

 一触即発。

 結衣と典華のにらみ合いとは全く空気が違う。

 冗談が介在することも許されない、張り詰めた空気が部屋中に漂う。


「天の御使いよ。其方が呪言に細工しておいたように、私も細工をさせてもらった」

「……最後の一筆に、という事ね……!」


 麻央の首がわずかに傾いた。鉄仮面の下では優しく微笑んでいたかもしれない。

 対照的に典華は苦々しい表情で拳を固く握って麻央をにらみ付ける。


「麻央が魔王で、典華が天使ってことでいいの?」

「そもそもー、空に出てきたアレ、何ー?」

「天の御使いよ、天からの預言で地上を滅ぼそうとするのなら、私は私の世界を守るために戦おう」

「なんだろう、魔王なのに世界を救おうとしてる」


 さりげに私のって言ってるけどな。

 もちろん所有格として使ってるんだろうな……。


「天からの指示は絶対ですわ! 堕落しきった人類はもはや導く価値もないと判断されたのです! この星を護るための手段は一つしかありません! 諦めなさい!」

「私はこの今の世界を気に入っている。騒がしくも美しいこの世界を。故に天を去り、魔王の謗りをあえて受け、ここにいる」

「二人とも、舞台の稽古とかじゃないんだよな……?」

「僕は転部届はもらってないぞ」


 複数の部の所属はうちの学校は認められていない。

 普通科高校の美術室で、役者の見た目はただのセーラー服を着た女子高生二人。

 しかし、ここに世界の命運を大きく左右しかねない大舞台が生まれてしまった。


「すごいねー本当に堕天使だねー! なんかさ、翼とか出ないのー?」


 見事なまでに空気を読まない呑気な感想が明日香から飛び出すと、一瞬空気が緩んだような気すらしたが、すぐに戻ってしまった。

 うまくいったら翼を出したりしてくれたかもしれない。


「堕天使とか厨二の極みじゃん。ツッコミが追いつかないよ!」

「だから言ってたでしょう、設定とか言わないでと」

「こんな意味だとは思わないだろ普通!」

「……私はこの、今の姿のままの世界を欲している。この世界を」

「おい待て麻央。お前はお前で何を言っている」

「言っておきますけど彼女は別に人間の味方じゃありませんわよ! 敵の敵なのですよ!」

「典華も自分が人類の敵だってのは認めてるんだな」


 魔王は魔王で世界を手に入れようとしているし、敵対する天使は人類や世界を滅ぼそうとしているわけで、どちらに与しても人類にあまり未来があるように思えない。


「典華ちゃんは敵なのー?」


 明日香が悲しそうな目で典華に詰め寄る。後ろに組んだ手と、傾けた首が絶妙な可愛さを醸し出す。

 このあざといポーズを全く無意識にやってのける辺りが明日香の恐ろしい所だ。僕が何度彼女からの無理難題を笑顔で引き受けたか、もう数えるのをやめて久しい。


 さっきまでの典華であれば、これだけでも十分感情を揺さぶられ、その思考まで影響を受けていただろうが、天使として開き直った以上は、その程度の事では……。


「いや……別に明日香さんの敵とかそういう……ね?」


 効果はばつぐんだ。

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