第10話 そして日常へ

 あれほど強気な姿勢を見せていた典華だったが、明日香の一言でコロリと戻ってしまった。

 いくらなんでもちょろすぎるが、それだけ明日香の力も侮れないという事かもしれない。

 

「典華……お前やっぱただの厨二設定だろ」


 あきれたように結衣が呟く。


「だから設定と言うなと」


 麻央に比べて典華は天使だという事を隠さなくなって以後も、あまり変化を感じない。

 特に翼やオーラ的なものが見えるわけでもなく、絵の具で汚れたエプロンも着けたままなので、控えめに言って演技の過剰な美術部員だ。

 逆に麻央は立っているだけで妙な凄みを感じてしまう。

 今までが完璧に女子らしい仕草でいただけに、堂々とした佇まいが威厳や強さを見ている側に与えるのだろうか。

 鉄仮面の凄みは今更言うまでも無い。


「天の御使いのやっていたことは、強大な力を持った邪神を呼び出す事で地上の生物を滅ぼそうという計略。私はそれをずっと邪魔し、呪言の書き換えを行っていた」

「魔王よりタチ悪いな!」

「この計画にどれだけの時間と予算をかけたと思っているの……!」

「ギリギリの所で阻止することで、そちらのダメージを最大にするのが当初よりの目的」


 たまに典華の絵を見てフゴフゴ言ってたのは、その辺の意図があったからか。

 僕にはあの時の言葉の意味はわからなかったけれど、典華や明日香はそれに気付いていたのだろうか。

 いや、気付いていたならとっくに作戦は変更されているか、もっと早く強行されただろう。


 麻央をにらみ付けていた典華が、急に天を仰いだ。

 深いため息をついて、ぼそりと呟く。


「……ああ、今回の作戦、失敗ですわね……。もう遅いし、今日は帰ります」

「急にテンション下がったな、典華」

「下がりもしますわ。半年かけた一大プロジェクトですのよ!」


 典華が不満気な表情でエプロンを脱ぎ、普段よりいくらか雑に、ガチャガチャと音を立てながら道具を片付け始めた。

 元々なかった威厳や凄みも、その表情や投げやりになった仕草のおかげで見事に、完膚なきまでに消え失せた。

 誰が見ても立派な、ふてくされた女子高生である。


 パレットの絵の具をオイルで洗い、イーゼルを部屋の隅に戻す。

 毎日やっている事ではあるのだが、今日に限っては作戦失敗後の撤収という意味が追加されているためか、片付けている事そのものが妙にシュールに見えてくる。


「もう術式を描く触媒も尽きましたし、どっちにしろ活動は終了です」

「あー、絵の具なくなっちゃったんだねー」


 見れば机に転がっている絵の具のチューブは大半がカタツムリのようにぐるぐると丸まっている。

 特定の色に偏るという事も無く、ほぼまんべんなく使用していたようだ。使いすぎてほとんど真っ黒に近い画面が出来上がっている。


「高いんですのよ。普通の画材屋に売っておりませんし」

「世界滅ぼす絵の具がそこらの画材屋に売っててたまるか!」

「というか、典華ちゃんの自腹なのー? それー」

「いえ、後で経費で精算いたしますわ。無駄遣いするとうるさいのです、経理が」

「どんどんファンタジー感失われていくな……」

「世界の危機からのギャップが激し過ぎるな」


 ファンタジー的な神秘の世界の住人である天使の口から経費という概念を持ち出されてしまうと、途端に小市民的な、あるいはお役所的な身近さを感じてしまう。


「とりあえず明日から反省文書いて提出しなきゃいけませんので、しばらく部活には顔を出せませんけど、必ずまた来ますからね!」

「反省文でいいのかよ!」

「フフ……いつでも来るが良い、天の御使いよ。この世界は、私のものだ」

「お前のものでもねえよ!」

「典華ちゃん、またねー!」


 普段は女子四人で連れ立って下校しているのだけど、さすがに今日は気まずいのか、片付けが終わったら先に帰ってしまった。


「もう真っ暗だな」


 気付けば太陽も完全に水平線の下にまわり込み、周囲は完全に夜の闇に覆われていた。

 月明かりと、道路に点在する街灯くらいしかろくな光源のないこの地域では、町の姿はほとんどわからなくなる。


「帰ろっかー」

「なんか、変な気分だな……」

「うんー。三人で帰るのなんてー、珍しいもんねー」


 三人。


「途端にどうでもいい気分になるな、その言い方だと」


 うーん四人目の存在感。

 しかし、実際のところ一人いなくなっただけで随分と部室が広く感じられる。イーゼルを立てたり道具を広げたりする人が女子四人の中では彼女しかいない所が大きいかも知れない。


 三人ともいつもと勝手が違うのか、それ以後はずっと黙っていた。

 廊下には誰も歩いておらず、他の教室や部室も電気が付いていない。自分たちの足音以外は、外から聞こえてくる虫の音程度しか聞こえてこない静かな廊下を、ただ黙って玄関に向かって歩き続けた。

 玄関に近づいた頃になって、ようやく明日香が口を開いた。


「典華ちゃん、また来るかなー」

「来るだろ。まあ、また世界の滅亡とか言い出したらどうしたもんだかわからんけど」

「何度来たとしても、私が全て阻止してくれる。安心して良い」


 天使の活動を妨害出来そうな存在は、確かに麻央くらいしかいないだろう。

 反省文を書き終わり、絵の具を補充してしまえばまた再度挑戦しに来るかもしれない。そうなれば、何とかして阻止しなければ人類に未来はない。


 下校時の悩みとしてはちょっと壮大すぎる気がする。


 普段の下校時、夜道を歩く時にも麻央がいれば何故か安心して歩けるのだが、ここに来てまた違った意味で頼もしい存在となってしまった。

 前を歩く麻央の背中が、いつもにも増して大きく見える。

 もっとも、頼って良い存在なのかというと、多少疑問は残るのだけど。


「うん、麻央の事は有り難いんだけどさ、典華の奴が完全に諦めたら……」

「その時は、ようやく私の世界になるだけの事。何も問題はない」

「あんまり事態は好転してない気がするんだよなあ……」


 その場で人類が滅亡させられる事が無い分、典華の作戦よりはマシかもしれないが、麻央が征服した後に生活がどうなるのかはわからない。

 少なくとも連れだって下校することがなくなるのだけは確かだ。


「あたしが勇者だったらなあ。友達止めてやるくらいの事は出来たかなあ」


 結衣が、誰に聞かせるでもなく小さく呟いた。


「ああ、僕も今同じ事を考えてた」

「明日香の聖剣とか、先輩超似合わねーな!」

「結衣だってそんなに似合うとも思わないが」

「いやいや、女子高生が剣を持ってる絵だけで勝ちでしょ」

「その勝敗の基準がわからん」


 さっきまで沈んでいた空気が、多少は和らいだだろうか。

 少なくとも、結衣に笑顔は戻ったようだ。


「結衣ちゃんー、大丈夫だよー!」


 そして場の空気とは全く無関係に、いつものように明るい声で明日香が後ろから声をかけてきた。

 振り向けば、後ろ手に何かを持った明日香が満面の笑みで結衣を見ていた。

 明日香はどんな状況でも笑顔を絶やさない所が凄いと思う。


「何が大丈夫なんだ?」

「うふふー。えっとねー。もし麻央ちゃんが本気出したらねー。あたしがえいっ! て斬ってあげるから大丈夫なの!」


 そういって後ろ手に隠していたものをすっと前に向けた。

 ラブレターでも取り出すかのように優雅にさりげないが、そうやって両手で可愛く持っているのは、剣だった。

 全長一メートルはあろうかという大ぶりの剣で、峰に複雑な波打つ模様があり、刀身に文様が彫られ、柄に手を護るための部分がついている。

 明日香がノートに描き、詳細すぎる設定と由来を語っていた、あの聖剣だった。


「お、おま……」

「星から託されたこれがあればねー。大丈夫だよ!」

「お前が勇者かよ!」


 静まりかえった玄関に、結衣の声が鳴り響いた。


(第一章 完)

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超次元美術部の日常 後藤紳 @qina

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