第2話 地域制圧型シミュレーション

 ゲームのジャンルの呼び方として、「地域制圧型シミュレーション」というものがある。

 ある特定のゲームメーカーが独自に呼称するもので、他社はこの呼び方を勝手に使用しない。

 サウンドノベルやビジュアルノベルなどのように、ジャンルとしての一般的な浸透はされず、その会社の専売特許とも言える状況だ。

 問題なのは、その会社の販売するゲームは、ほぼ全て十八歳未満が購入する事が出来ないものであるという事だ。僕もそうだが彼女ら女子高生が遊ぶのにも、少し早い。


 兄がやっているのを見たのか、実際にプレイしたのか。

 見たとしてどの辺りまでなのか、プレイしたとするならどこまでプレイしたのか。

 回答によっては様々な可能性が浮上する。

 普段からおっとりとした、今時珍しいほどの世間知らずなお嬢様的なキャラクターだと認識していた事を改めなければならないかもしれない。


 全員で固唾をのんで明日香の回答を待つ。

 たった数秒の時間が、僕ら四人には果てしなく長く感じられた。

 やがて、そんな四人の思惑も知らずに明日香はいつもの調子で答えを口にした。


「ううん、全然見せてくれないからー、お兄ちゃんがいない間に起動してー画面みてたー」

「なん……だと……!」


 部屋の空気が一瞬凍り付く。


「でもオープニングしか見てないんだー。遊び方わかんなくてー」


 部屋に安堵のため息の四重奏が鳴り響く。

 明日香は明日香のままだった。

 いつもの口調で答え、おおよそ見た目通りの、そして期待通りのキャラを維持してくれているようだった。

 三人は目を合わせて軽く頷くと、それをミッション終了の合図としてそれぞれの日常に回帰していった。

 典華はカンバスに向き直し、残る二人はスマホやノートに視線を戻す。

 僕も心を落ち着かせるためにも、ナイフを取り出して鉛筆を削り出した。


「……それ、お兄様にはお伝えしたのですか?」

「次の日からー、パソコンにパスワードかかっちゃったのー。もう使えなくなっちゃったー」

「正しい判断をなさいましたね、お兄様……」

「典華ちゃん、何か知ってるのー?」

「い、いや、そういう訳じゃありませんが……」

「先輩なら知ってるー?」

「ぼ、僕に振るなよ! 僕だって知らないよ!」

「んー、先輩が知らないならー、しょうがないかー」

「先輩はお子様だもんな!」

「えー、じゃあ結衣ちゃん知ってるー?」

「い、いや、その……なんというか……」


 人のことをお子様呼ばわりして墓穴を掘ったな。

 本当の事を伝えても良い時と悪い時と面白い時が世の中にはある。


 残念ながら今は悪い時だ。全員が明日香から目を逸らして誤魔化そうと試みている。

 文化祭の実行委員を決めるときのような、自分だけはこの場の当事者になりたくないという後ろ向きな空気が部屋を支配し始めた。

 典華は完全に作品に集中する振りをしているが、彼女は動揺するとパレットの上で延々と絵の具を混ぜ続ける癖があるのでわかりやすい。


「ゴフフー」

「えー、麻央ちゃん知ってるのー?」

「ホ、フフー」

「ちょ、麻央!」


 麻央がうっかり知っている事をこぼしてしまったらしい。しまったというような表情を、多分仮面の下で表したのであろう麻央は、明日香から視線を逸らし、スリットから不自然に多量の呼気を吹き出しながら明日香の質問から逃れ続けた。

 ……もしかして口笛のつもりだろうか。


「ねえ、なんなのかなー? 教えて欲しいなー?」

「フフーフフー」


 僕の方を見るな麻央。ほら、明日香までこっち向いて期待の眼差しを向けてきた。


「あれは、ほら……大人向けのゲームというか、そのまだちょっと早いというか」

「でもー麻央ちゃんは同い年でしょー?」

「そ、そうだけどね」

「エロゲーだよ!」


 しびれをきらした結衣が大声でその正体を明かしてしまった。


「直球で言うな!」

「いいじゃん、もう明日香だって大人なんだから」

「結衣さんも一応戸籍上は同い年でしょうに。戸籍上は」

「あたしだってもう大人さね……」


 結衣が突然上体をくねらせて、精一杯のセクシーなポーズを決めつつ大人アピールをしてみるも、典華の視線は真冬の吹雪の中のように冷たい。

 結衣に対して一切の興味を感じさせないその目は、瞳に姿を映してはいるものの、脳内でそれを映像として再生することを拒否しているかのようだった。

 そもそも典華の皮肉が結衣に通じていない。


「エロゲー? ってなにー?」

「フフ、男女が本気でぶつかり合い、繋がり合う様を描いたドキュメンタリーなのさ!」

「んー、シミュレーションなのにー、ドキュメンタリーなのー?」


 残念ながらエロゲーの説明は失敗だった。

 あの内容で伝わるとも思えないが、積極的に知って欲しいとも思っていないので、誰も補足しようともしない。


「相変わらず結衣さんの説明は意味がわかりませんこと」

「ゴフー!」

「え、結衣ちゃんの説明はあてにならないのー? じゃあー、結衣ちゃんの言う事は当てにしないようにするねー」

「みんなして酷いな! 差別かよ!」

「このまま結衣さんに説明を任せると明日香さんが汚れてしまいますわ。むしろ穢れます」

「汚れるってなんだよ! あたしゃ悪魔か何かか! むしろ淫魔か! ……淫魔……。悪くないな……」


 淫魔。

 サキュバスやサッカバスとも呼ばれる。寝ている男性の夢に現れて、主に性的な誘惑をするという悪魔の事だ。

 いくらなんでもエロゲーについて雑な説明をしたくらいで淫魔を自称されては、本物の淫魔もクレームを入れてきそうな気はする。

 しかし何が気に入ったのか結衣は随分ご満悦だ。


「結衣さんが淫魔……んまあ、そのスタイルで?」


 典華がカンバスから目を離して、わざわざ結衣の全身を上から下までゆっくりと眺め、そして嘲笑する。四人の中で、身長が最も低く、そしてボディラインが最も直線に近い体型なのが結衣だ。誘惑される人は大分限られるような気がする。


 対する典華は、麻央に次ぐ身長とボディの持ち主だ。

 胸の存在感に至っては、エプロンの上からでもその魅力を損なわない。

 もちろん、彼女らの僕に対する視線チェックは厳しいので、普段からそんな目で見てるわけじゃないんだけど。

 ないんだ。信じてほしい。


「プフー」

「お前ら……屋上出るかコラ……。あたしのこの悪魔の右手がうなったり光ったりしかねないぜ……?」


 ゆらりと立ち上がった結衣が、典華に向かって憮然とした表情で見下ろし挑発する。

 それを受けて典華も立ち上がり、鼻同士が接触しそうな距離まで近づいてにらみ合う。

 表情が優しいものであれば、身長差も相俟って百合の花でも割き乱れそうな構図だけど、現状で二人から見えてくるのは、せいぜい彼岸花辺りだろうか。


 静まりかえった不穏な空気の中で、狼狽えながら二人を交互に見つめる麻央の鉄仮面だけがカチカチと音を立てていた。

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